透明なグラスが、まるで踊っているように曲がっている。ガラス作家・小牧広平の作品は、素材の輝きはそのままに、有機的でユーモラスだ。祖父の言葉に導かれてガラスの道に入り、作家・舩木倭帆(ふなきしずほ)に師事した後、独自の作風を打ち出した小牧。山梨県にあるアトリエを訪れ、制作への思いやインスピレーションの源などを聞いた。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2026年4月号掲載 拡大版インタビュー)
祖父の言葉に導かれ、舩木倭帆から学んだこと

──ガラスの道に進んだきっかけは?
「祖父が絵を描いていて、その抽象画の画風に惹かれていたのですが、祖父が若い頃はガラス職人になりたかったと語っていたためでしょうか。あと、『お前は職人向きだ』と言われたのも関係している気がします。吹きガラスを選んだのは、舩木倭帆(ふなき・しずほ)先生の吹きガラスの作品集を見たのと、子どもの頃、テレビ番組でガラス職人の吹きガラスの制作過程に魅了されたのが大きいです」

──その後、どのようにガラスを学んだのでしょうか。
「美術とは関係ない大学に進学したのですが、就職活動を始める大学3年生くらいのとき、改めてガラス工芸に興味を持ち、週一回のガラスの講座に通い始めました。それからお金をためてガラスの専門学校に通った後、北海道の小樽のガラス工房で働きました。そのうちにもっとガラスを学びたいと思い、舩木先生の下に弟子入りしました」

──舩木先生の作品のどこに惹かれたのですか。
「言葉にするのが難しいのですが、たたずまい、抜け感、造形などでしょうか。僕の感覚では『澄んでいる』イメージで、ガラスだから透明ということではなく、センスや生き方など、精神論的なものも含まれている気がします。その感覚は木村忠太さんや三岸節子(みぎし・せつこ)さんなど、他のアーティストの作品にも感じることがあります」

──先生のところでは、何年くらい修行していたのでしょうか。
「6年間くらいです。先生の工房は広島にあるのですが、夜10時に寝て朝5時に起きる生活でした。草むしりや工房の掃除にはじまり、当時の窯は灯油を使って煙突があるもので、週の半分くらいは泊まり込みで火加減を見ていました。先生はとにかく仕事熱心な方で、夜中の3時くらいには起きていらっしゃることもあり、いいものを作りたいという先生の信念が伝わってきて充実した日々でした」
──先生のもとで何を学びましたか。
「技術的な部分はもちろん、作品へ向かう姿勢を教えていただいたと思います。先生は白洲正子さんや棟方志功さんなど、民藝界隈のレジェンドの方々と交流があり、過去の話を伺ったりして、いろいろ学ばせていただきました。なかでも『真面目にやる』ことが重要だという言葉が印象に残っています。何をもって真面目というかですが、挨拶を含め、当たり前のことを当たり前にやるということだと思っています」
独立してからの道のり、人との繋がりから生まれた形

──舩木先生のもとで修行した後は、独立なさったのですか。
「山梨で独立しましたが、先生のもとで技術は学んだものの、売り方のことまで考えていませんでした。先生の作品は出せば売れるので、何となく作ったら売れるものだと思っていたんです。ところが独立してからは、そんなに甘くはなく、一度は、ガラス制作から離れ、新しいことを始めるつもりで会社勤めをしたこともあります。ですが次第に自分の中で違和感が生まれ、やっぱり自分の好きなことはガラス制作だとわかり再開しました」

──ガラスへ戻るにあたって、このアトリエを整えたのですね。
「ここは友人がたまたま近くに住んでいて紹介していただきました。最初は空き家でぼろぼろの状態でしたし、庭も森のような状態だったのですが、1か月半で修理し、1か月半で窯をつくり、それから1か月後には制作を開始しました。自分にはガラスしかないと思ったし、もう二度とガラスを辞めないと決意しました。その時、作品に限らず自分自身を見直してライフスタイルを180度変え、いろいろな人と積極的に会うようになりました。そのおかげで良い出会いに恵まれ、今の作風に繋がる経験をしたのも同じ頃です」
──この曲がっている独自の作品はどのように誕生したのでしょう。
「味噌を作っている『五味醤油』のオーナーと友達になり、彼が酵母を使ったビールを作ったというので、ビール用のグラスを飲み口の厚さに変化をつけながら試行錯誤して制作しました。そのとき、撮影していた人が、いろいろなグラスがある中で歪な形のグラスを見て『この曲がってるの、かっこいいですね』と言ってくださったんです。『cozy glass』のシリーズはその一言がきっかけで生まれました。以前は、規格サイズの使える食器を作るのが当然だと思っていましたが、新作を作ってみると、曲がった感じがしっくりきました」

──ひとつの作品、ひとつの作風が生まれた瞬間ですね。
「当時は売れると思っていなかったのですが、あるとき友人に連れられて、マイグラス持参でサウナに行ったんです。たまたま、それを見た別のビール会社オーナーの方が自分のところでも使いたいと注文を下さり、店で使っていただいたりと、どんどん広がっていきました。以前は、規格サイズの使える食器をつくるのが当然だと思っていましたし、舩木先生に教えていただいたのもそういった器でしたが、新作を作ってみると、曲がった感じがしっくりきました。その時、これでいい、好きなものだけを作っていこうと決めたんです」
──曲がり具合はどのように?
「自分の意図はありますが、偶然や自然法則の力も大事にしています。奇抜なものを作りたいのではなく、純粋な意味で良いものを作りたいんです」
言葉から広がる創作のイマジネーション

──ユニークは造形のインスピレーションはどこから?
「『pecori glass』は、花々が風に吹かれて揺れている様子がグラスに見えたのがきっかけで生まれました。作ってみると、お辞儀をしているように見えたので、この名前にしています。もっと深く頭を下げているような『dogeza glass』も制作しました。そのあたりから自分の作風が固まってきたように思います。砂浜の貝殻のイメージからつくった作品もありますが、創作のために何かを見ているわけではなく、生きている中で出会った景色から引き出されてくるのです。その際、形や風景だけではなく、砂や風がたてる音や、砂、風、貝といった言葉からもイマジネーションをもらっていると思います。『ペコリ』もそうですが、言葉は形を作る上で重要な気がします」
──言葉は、視覚情報とは違う形でイマメーションを広げる力があるのかもしれませんね。
「はい。時々、茨木のり子さんの詩を読んだり、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』でゴーシュが使っているコップやグラスはどんな形かな、と考えたりします」
左:窓際に飾られたガラス作品。 右:砂浜の貝殻のイメージから作った作品。
──自分の作品が使われるシーンを考えたりしますか。
「使い方は十人十色だと思うので、あまり重要ではないと考えています。ただ、器が道具であるという点は大事にしたいので、オブジェというよりは日常の中で使えるものを作っていきたいです。そこはずっと変わっていません。今はこのスタイルで制作していますが、自分でも何が正解かはわからないです。見えていないものを探しているように思います」
──透明な作品が多いですが、そこには意図があるのでしょうか。
「色つきの作品もつくっているのですが、ガラスは透けて見えるのが特徴ですし、色のある作品も透明な作品が引き立つからつくっています。それは舩木先生から教わったことの一つでもあります。透明の中でも、(透明に)色はないので矛盾した言い方になるのですが、温かみのある色が好きです」
──素材に関して、気にしていることはありますか。
「知り合いから再生ガラスを譲っていただいて活用しています。再生ガラスは固まるのが早くてシャープな印象になるので、薄い作品などはつくりやすいです。環境に配慮してやっていることではありますが、あまりその部分を強調せず、できる範囲で無理なく意識していきたいという思いがあります」
制作の日常の中で見えていないものを探す

──日々の制作ペースは?
「特に決めていないです。その日のメンタルなども関係していて、今でも納得できるものは一日二個ぐらいしかつくれないこともあります。ガラスは思った形につくるのが難しくて、昔から『うまくいかないからうまくなりたい』という気持ちで続けているように思います」
──繊細な作業なんですね。制作時の習慣などはありますか。
「基本的に音楽をかけながら作業しています。アニミズム的な曲やラップ、対談など、何でも聞きます。あとは舩木先生が音楽がお好きで、スタジオにクラシックがかかっていることが多かったので、その影響でカノンなどの定番のクラシックもよく聞きます。ただ全くの無音になる時間もあります」

──周りは自然豊かな環境なので、制作に行き詰まったときには自然に触れられますね。
「僕はインドア派で(笑)。山は近いですが山登りはしないし、キャンプ道具も一通り買ったんですけど、テントも一度立てただけですし、そのときもテントではなくて家で寝ました。基本は家にいることが多くて、展示会などで月に何回かは遠方に行くのですが、それで十分だと思っています」
──それでは気分転換はどのように?
「時間があるときは大体絵を描いています。描画は純粋に好きなことの一環ですので、描くとしても小さな作品ですし、そこで時間を取ったり、生業にするつもりはありません。今は仕事としてはガラスに絞って向き合いたいと思っています」

──確かに、家にはさまざまなアートが飾られていますね。
「大きい絵は祖父の作品です。玄関付近にあるオブジェは、京都のギャラリーで購入したもので、リビングにあるクマのお面は骨董屋さんで買ったものです。昔はうつわをよく見ていて、縄文土器の欠片なども入手しており、土器は自分の作品のヒントになっているような気がします。最近は特にオブジェや絵画、骨董などに惹かれます。もともとモノが好きで、だからモノづくりを行っているんだと思います」

──今の作風は何年くらい続けているのでしょうか。
「4年くらいでしょうか。ありがたいことにこの作風が定着して、いろいろな方から認知していただきました。ただ、舩木先生が亡くなられたのは2013年で、今の作品を見ていただいていないのが残念です。ご存命だったら、どうおっしゃったのだろうと考えたりします。今はこのスタイルで制作していますが、自分でも何が正解かはわからないです。見えていないものを探しているように思います」
──代名詞となった「cozy glass」や「pecori glass」に続く新作の予定はありますか。
「新作をつくりたい気持ちはありますし、抽象的なイメージはあるのですが、まだはっきり見えない部分があります。実は、一日の最後につくってみたりしているのですが、まだ自分の中でバシッと決まるものがなくて模索中です。何がきっかけになるか分かりませんし、見えていないものを探しているように思います。一生探し続けるのかもしれません」
Photos:Eri Kawamura Text:Akiko Nakano Interview&Edit:Masumi Sasaki


