さまざまな制約から解放されてもっと自由に生きるには?「日常、リアルな生活に根ざした仏教の進化を目指したい」という思いで実験寺院 寳幢寺(ほうどうじ)を設立した松波龍源師に、ハードな日常を生きやすくしてくれる仏教の考え方を聞いた。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2026年4月号掲載)

仏教を日常で“実践”するために
「実験寺院 寳幢寺」の僧院長であり、書籍の執筆やYouTube、ポッドキャストへの出演でも知られる松波龍源師。お坊さんと聞くと代々家族で継ぐ印象があるが、龍源師は一般家庭の生まれ。仏教との出合いの鍵は幼少期の環境で、科学万能主義で神仏を信じない父親と、毎日仏像に手を合わせる信心深い母親のもとで育つうち、「仏様」の存在に興味を持つようになったのだそう。大学では文化人類学を専攻し、ミャンマー仏教の儀式を研究。そこで龍源師の生き方を決定づける事件が起こる。
「在学中、武道クラブのキャプテンになるほど武道に入れ込んでいたのですが、部員に頑張ってほしくて厳しく指導したら、反発されて逆にいじめの対象になってしまったんです。自死すら考えるほどの抑うつ状態のなか、光となったのはある尊敬する武道の師匠の『君は正しい心を持っていたけれど、やり方が正しくなかったんだよ』という言葉でした。仏教には、この世界に現れてくることは全て因果関係のもとに成り立つという考え方があるのです。僕が苦痛を与えたから相手は反撃した。彼らの悪い部分を引き出してしまったのは自分だった。すまない気持ちがあふれる一方で、仏教はもっとみんなが“使える”ものであるべきだと強く思うようになりました」

そこで研究者ではなく実践者となることを決意。北京での5年間の武術修行の後、真言律宗の寺院などで修行し僧侶となり、東京大学のミャンマー仏教研究者、藏本龍介とともに2017年に寳幢寺を設立した。
「実は最初、ミャンマー仏教をそのまま実践しようとしたんです。ですが厳しい戒律が日本のライフスタイルに馴染まず失敗。そこでどうしたら現代の日本社会に適合する仏教を表現できるかを突き詰めた結果が寳幢寺なんです。だから基本は在家修行(*)のスタイルで、座学とフィジカルで学んで、仏教を身に付けることのできる場にしています」
*在家修行……出家せずに、通常の生活を送りながら仏教を実践すること。

弟子入りの条件は「フィーリングが合うかどうか」で、龍源師との面談後、伝統的な密教の入門儀式を経て正式に入門となる。学びの場は月1回オンラインで開講し、思想や哲学などを教える。並行して瞑想や食事会、ワークショップなどオフラインでの講義や交流も定期的に開催。対面でのセッションには随時対応、社会人も訪れやすいよう寺は夜まで開放。遠方の人が無料で宿泊できる寮も完備と、まさにかゆい所に手が届くシステム!
現在は50人が集い、その顔ぶれは小学生から会社経営者までさまざま。20~30代の女性が最も多いという。日本の名だたる大企業のトップも訪れるが「お寺をビジネスにしない」のが一貫したポリシーで、対価としてのお代は請求せず、寄付としてお布施を受け取る形にこだわる。
新しい寺の形を模索する龍源師はどんな未来を描くのか。

「お釈迦様は無用な苦しみを避け、幸せに生きる方法を示しましたが、長い歴史の中で仏教には儀式や神話的なストーリーが付随し、実践しづらいものになってしまった。僕自身、説得力を高めるために戦略的にこんな格好をしていますが、本来はそれすら必要ないわけで。仏教が“宗教”や“特別なもの”という位置付けから解放され、“仏教”ですらなくなること。それこそが寳幢寺が目指す未来であり、私たちの実験なのです」
ロジカルな“仏教思考”で自由になる!
いま知っておきたい3つのキーワード
1.空(くう)
物事の実存を疑う姿勢が解放につながる
「空はあらゆる可能性が存在する“可能性の海”。私たちは他人からの評価を実在するものとして捉えがちですが、仏教では、物事は固定した実体として存在するのではなく、空から“降りてきた”ものが関係性によって生成され、私たちの認識が意味づけしていると考えます。例えば僕がこの服装(法衣)で新幹線に乗って、周りの人にクスクス笑われて、恥ずかしいと感じたとしましょう。この僕の感情は、日本の新幹線の中で、他の乗客という相手との“関係”によってのみ成り立ちます。もしそこがチベットやミャンマーだったら、当たり前すぎて誰も気に留めない。
つまりどんな相手とどんな関係を持つかによって認識(=世界の見え方)は変わり、世界は無限に生成されるということ。お寺の外でお坊さんを見慣れていない人とはすぐにわかり合えないかもしれない。でも国際常識ではお坊さんが法衣を着ているのは普通のことなので、どちらの世界を選んでも良いのです。自分が生きる世界は自分で選べるはずだと思います」
2.永遠
人は意味として永遠に生き続ける
「身体を実在の根拠とする考え方では、死によって全てが失われますが、仏教ではそうではありません。生命を“意味”と捉えるからです。イギリスの進化生物学者、リチャード・ドーキンスの“ジーン”と“ミーム”の話じゃないですが、人は身体(=ジーン)ではなく、他者や社会に与えた意味(=ミーム)として生き続ける存在であって、その意味は時を超えて影響を与え続ける。釈迦の教えが2500年後の今も語られているように、肉体がなくなった死後も、意味としての生命は不死的に存在しうるんです。
例え何かが達成できなかったとしても死んで終わりじゃなくて、それを引き継ぐ意味の連鎖がまた生まれる。そうやって考えていくと時間は無限化できませんか? だからこそ決して自分の存在を軽んじず、出会った人の幸せや社会が良くなることを願って行動する姿勢が大切。ほんのわずかな悪意や不誠実な態度でも、バタフライエフェクトのように、思わぬ大きな影響を生む可能性があるのです」
3.慈悲
他者や社会が嬉しいことならそれは慈悲
「先日、美容整形をするかどうか悩んでいる方がいました。美容や身だしなみに多くの時間やお金を使うことは、自己満足や利己的行為と捉えられがちですが、僕はそうは思いません。お釈迦様は身なりや服装に禁欲的な教えを残していますが、それは主に僧侶へ向けたもので、一般の人が美を楽しむことを否定するものではないんです。美しいものは人の心を和ませ、喜びや癒やしを与えてくれます。仏壇に供えられたお花やお線香を見て、『きれいだな』『いい香りだな』と思うのと同じ。過度になったり執着するのはよくないけれど、自分の見た目がどうしても気になってウジウジ悩むくらいなら、手術で変えてしまうのもありだと思いますよ。
コストをかけて自らを美しくするという行為は、他者や社会への貢献であり、ある意味では慈悲とさえいえるかもしれない。胸を張って自分を解き放って、全力で楽しめばいい。この世界は自分と他者との関係で成り立っているのだから、自分も相手も嬉しいと思うことは、無理にやめようとする必要はないと思います」
Photos:Tamami Tsukui Interview & Text:Hiroko Yabuki Edit:Mariko Kimbara
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