
ラッパー、シンガーとして活躍しながら、ガールズグループ「HANA」のプロデュースを務めるちゃんみな。2026年には自身のレーベル「NO LABEL MUSIC」とは別に「NO LABEL ARTISTS」も立ち上げ、「若者たちの理想の上司像」を体現する存在としても注目されている。さらに、1歳の子どもを育てる母でもある。仕事と子育て、24時間フルに活動する彼女が、自分らしく健康で美しくあり続けられる理由とは?
自身の出産経験を起点に、ウェルネスブランド「for her.」を立上げ、起業家として日本とアメリカの2拠点で活動しながらキャリアを重ね、さまざまな女性の心身をサポートする片山有紗と、2007年の『Numéro TOKYO』創刊と同時に長女を出産した“バリキャリママ”の先輩でもある統括編集長の田中杏子と、仕事に育児に頑張る女性のセルフケアについて語り合った。

出産を経て体験した、女性ホルモンの“波”
田中杏子(以下、杏子)「デビューシングル『未成年』から10年。ずっと忙しかったと思いますが、女性の特有の体調の波とはどのように付き合ってきたのでしょうか」
ちゃんみな「実は、妊娠する前は、女性ホルモンの周期的な揺らぎが体調に影響するタイプではなかったのですが、妊娠してから急に“女性ホルモンの塊”になりました。まるで、“鬼ヶ島在住の鬼代表”のように、とにかく気が立ってしまって。今から考えると、あんなに浮き沈みが激しいのは10代以来でした」
片山有紗(以下、有紗)「その妊娠中に、ガールズグループオーディション『No No Girls(通称:ノノガ)』をやっていたわけですから、本当にすごいです。私も『ノノガ』をずっと拝見していて、最終審査はKアリーナ横浜で観覧しました。参加者のみなさんの姿にも感動したけれど、ちゃんみなさんがステージに登場したとき、同じ母として涙がでるほど感激しました。自分の産後を重ねると、信じられないくらい。産後すぐでしたよね?」
ちゃんみな「産後は怒涛の毎日で、家族の助けを借りながらどうにか乗り切りました。産後うつに仕事のストレスが重なって、ご飯が食べられなくなってしまったんです。出産から一年経ち、やっと体調が回復して、今は筋肉をつける作業に移行しています。でも、この経験があるから、HANAのメンバーの体調の変化を感じ取れるようになりました。今は子育てのハードさをリアルに実感しているところです」
杏子「この1年はどうでしたか」
ちゃんみな「やっと出産したと思ったら、授乳で胸が張って痛くなるし、十分な睡眠も取れない。授乳してオムツを替えて、吐いたりしたら着替えさせて、1日ずっとその繰り返し。ゴールも見えず、精神的にもつらくなってしまいました。私は気分が落ち込むと、ひとりで抱え込むタイプなんです。パートナーにも家族にも言わない。それを曲として昇華するので、音楽があったから命をつなげられたというところはありました」
杏子「1歳のお子さんと同時に、HANAもプロデュースしているわけですよね」
ちゃんみな「飛び級で彼女たちの“お母さん”もやらせてもらっているような感覚もあります。悩みごとがありそうだと感じたら、ひとりで抱え込まないように、タイミングを見て話しかけたり。でも、彼女たちの存在によって私が救われる部分もたくさんあって、HANAがいたから乗り越えられたところも大きいですね」

「セルフケア」をキーワードに考える
日本の文化とアイデンティティ
杏子「有紗さんは0歳から15歳までをアメリカで過ごし、出産もアメリカで経験したんですよね。日本に戻ってきたときに、あまり産後ケアが浸透していないと感じて『for her.』を立ち上げ、産後ケアスープを開発されたとか」
有紗「はい。日本には我慢を美徳とする文化があり、母親は自分のことを二の次にして、家族を優先するものという意識がまだ残っているようにも感じました。家族や周囲の人の幸せのためにも、まず自分の心と体を満たしてほしいと思い、セルフケアのためのウェルネスブランドを立ち上げたんです」
杏子「たしかに、日本にはまだ“自己犠牲”が美しいとされる雰囲気が残っていますね」
有紗「一方で、日本で育った人にとっては、この国ほど安心できる場所はないだろうとも思うんです。社会は安全で、食べ物はおいしい。口に出さなくても、空気で察してくれる。アメリカにいると、ささいなことでも主張しないと生きていけないんですよね。ずっとファイティングポーズをとらなきゃいけない緊張感があります」
ちゃんみな「アメリカで楽曲制作をするときも、自分が曖昧な回答をすると、思いもかけない方向に進んでしまうことがあります。自分の意見を主張して、イエスとノーをはっきりと言わないといけない。それは韓国もそうですね。というか、世界的に見れば、日本の『空気を読む力』は特殊能力ですよ」
有紗「私は、今、LAを拠点にビジネスを展開しているのですが、メッセージの伝え方も変わります。例えば、薬膳スープの商品をリリースするときも、日本ではこの商品は他とは違うどんな特徴があるのかを、丁寧に説明すると興味をもってくださるんですが、アメリカでは、日本人の私がどういう背景でこのプロジェクトを始めたのかを伝えると、それが説得の材料になるんです」
杏子「アイデンティティやその人のストーリーが説得力になると言えば、有紗さんのお祖父様は、モスバーガーの創業者・櫻田慧(*慧は「彗」の下に心)さんです。モスバーガーは日本のチェーン店で初めてテリヤキバーガーを開発したことでも有名ですが、有紗さんもそのスピリットを受け継いでいるのかもしれませんね」
ちゃんみな「そうなんですね! 私、モスのグリーンバーガーが大好きです」
有紗「ありがとうございます。祖父がLAに駐在していたときにハンバーガーに出会い、帰国後にこれを日本にも広めたいと、仲間と立ち上げたそうです」
杏子「ハンバーガーはアメリカ料理ですが、日本の照り焼きを応用したり、素材を厳選し、クオリティを追求するところに日本らしさを感じます。それに、ちゃんみなさんも有紗さんも、ルーツと自分のストーリーをミックスして新しいものを生み出しているという点で、共通していますよね」

ちゃんみな「今の時代は、それぞれのアイデンティティを保ちつつ、フレンドリーな関係を築くことが以前にも増して重要になっていると思います。私の母親は韓国の人なので、競争に勝ち上がらないと生き残れない歴史も知っているし、日本で差別されているところも目の当たりにしてきました。幼い頃は、隣の国同士なのにどうしてこんなに仲が悪いんだろうと思っていた時期もありました。育ったのは日本なので、私の中にも日本特有のマインドが深く根付いていますが、パートナーは韓国の人だし、韓国やアメリカで過ごしたことで学ぶこともたくさんあります」
有紗「ちゃんみなさんは、日本で育ちながら、音楽で自分らしさを表現することができたのはどうしてなのでしょうか」
ちゃんみな「自分の中で、“善”と“悪”がはっきりしているからなのかもしれません。私にとっての“善”は、世間的な判断とは違って、自分の美意識であったり、相手との関係性の間で決まったりするものなんです。お互いにメリットがあったり、いい効果が生まれるのであれば善になる。音楽であれば私と聴いてくれる人の関係。それを常に考えながら行動したり発言したりしていますね」
有紗「自分の軸をしっかり持っているからそれができるのかもしれませんね。今、いろんなプロジェクトが動いていると思うのですが、海外へのチャレンジについてはどう考えていますか」
ちゃんみな「取材でもよく『世界を目指してますか?』と聞かれるのですが、そのたびに、『世界ってどこだろう』と思うんですよ。アメリカなのか、ヨーロッパなのか、もしくは韓国なのか。それこそ10代の頃は『絶対に世界進出して、世界一になる!』と思っていたんですが、ふと『“世界”とは?』と考えたら、自分がやりたいことは、どこかの国の誰かの価値観に合わせることではなくて、自分の表現を追求してパフォーマンスで精一杯おもてなしすることでした。それから、『“世界”は私』だと思っています。たくさんの人に、“私”という“世界”をお伝えする。私のパフォーマンスを求めてくれてる人がいるなら、地球のどこにでも行くという感覚です」
有紗「素敵ですね!」
杏子「最後に、ちゃんみなさんの現在のセルフケアについて教えてください」
ちゃんみな「メンタル面のセルフケアでいうと、乗馬です。平日に急に時間ができたら、娘の保育園のお迎えの前に2時間くらい乗馬をしてリフレッシュしています。乗馬をしていると、地球を感じるんです。馬と人間は何世紀にも渡ってともに生きてきました。そういう長い時間の流れも感じるし、馬に乗っているときは、目の前には馬と地球だけ。スマホから離れて無の時間になる。それが私にとっての最高のリフレッシュです」

写真中央:ちゃんみな
ラッパー、シンガー。作詞作曲、トラック制作、ステージ演出などすべてセルフプロデュースで行う。2024年に第一子を出産同年、BMSGとタッグを組み、ガールズグループオーディションプロジェクト「No No Girls」のプロデューサーを務めた。同プロジェクトから生まれたガールズグループ、HANAのプロデューサーとしても活躍。自身の活動の幅を広げ続けている。
写真右:片山有紗
(かたやま・ありさ)起業家。ウェルネスブランド「for her.」代表。0歳から15歳までアメリカ・ケンタッキー州で育つ。2014年に実親が営む老舗・自動車部品メーカー「片山工業株式会社」に入社。21年にアメリカで第一子を出産。自身が産後に苦しんだ経験から、23年にウェルネスブランド「for her.」を立ち上げた。25年に日米で「for her.株式会社」を設立し、取締役社長に就任した。
写真左:田中杏子
(たなか・あこ)Numéro TOKYO 統括編集長。大阪生まれ。イタリア・ミラノでファッションを学び、第一線で活躍するファッション・エディターに師事、雑誌や広告などに携わる。帰国後はスタイリストや「流行通信」「ELLE JAPON」「VOGUE NIPPON」などのエディターを経て、2005年11月よりNuméro TOKYO編集長に。07年2月の創刊と同時期に長女を出産した。25年4月より統括編集長に就任。
Photos:Kisimari Hair:Yuta Kitamura Makeup:Yuko Nozaki Styling:Aika Kiyohara(すべてChanmina) Hair & Makeup:Kei Kouda(Arisa Katayama, Ako Tanaka) Interview &Text:Miho Matsuda Edit:Mariko Kimbara
