ソウルのマルチアーティスト、イ・ランにインタビュー「全ての人の物語は社会とつながっている」 | Numero TOKYO
Culture / Feature

ソウルのマルチアーティスト、イ・ランにインタビュー「全ての人の物語は社会とつながっている」

今年9月、エッセイ集『声を出して、呼びかけて、話せばいいの』を出版し、同時期にミュージシャンとして来日公演を行ったアーティストのイ・ラン。音楽、文筆、映像、イラストなどさまざまな方法で人の痛みを見つめ、表現する彼女の信念とは。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2025年12月号掲載

 

どの活動も私には同じ

──イ・ランさんはさまざまな方法で表現していて“セルフキュレーションの達人”ではないかと思いました。当初から複数の分野で活動したいと考えていたのでしょうか。

「結局は私ひとりが創っているものなので、受け取る人たちが分類しているだけ。一人の人が一つの分野で一生懸命に活動していることに私たちは慣れているので、例えば『ミュージシャンなのになんで物書きをしているんだろう?』とか『映像作家がなんで歌を歌っているんだろう?』と思うじゃないですか。でも私としては『イ・ランさんがいろいろなことをやっているんだな』と捉えてもらえたらなと思っています」

──特定のジャンルでしか表現できないものもありますか?

「そういうことはないですね。同じトピックでも音楽、文章、映像と、全てで表現できます。ただその形態や受け取られ方が違うという。制作のプロセスも全部異なるので『このジャンルじゃないといけない』みたいな考えはあまりないです」

──社会への問題提起も積極的に行っていますよね。何がきっかけだったのでしょうか。

「それは、私がこの社会に生まれ、この社会で生活をしているからです。生まれながらの不平等や、属性による不平等が社会にあってはいけないと思うのは当然のことですよね。一枚目のアルバム『ヨンヨンスン』の中に〈おなかが空いた〉というテーマで歌った「食べたい」という曲があるのですが、それは食べたいのに食べられないからおなかが空いている。

なんで食べられないのかというと、お金がないから食べられない。なんでお金がないのかというと、もともと貧乏であったり、不平等ゆえにお金を稼ぐ機会を得られない。でもこの社会ではお金がないと生きていけない……こういうことを考えると自分の物語の全てが社会問題だし、全ての人の物語は全て社会とつながっているんです。韓国でも日本でも『なぜアーティストが社会的なメッセージをこんなに発信するのか?』とよく聞かれるのですが、これは質問自体がおかしなことで、当たり前のことだと思っています」

2024年12月24日、ユン・ソンニョル前大統領の弾劾訴追を求めてソウルの国会議事堂前に集まった市民たちを前に、プロテストソング「オオカミが現れた」を歌った。
2024年12月24日、ユン・ソンニョル前大統領の弾劾訴追を求めてソウルの国会議事堂前に集まった市民たちを前に、プロテストソング「オオカミが現れた」を歌った。

──さまざまな不条理と向き合うとき、怖さは感じませんか。

「生きていること自体が怖いこと。それ自体に恐怖心を持っています。でも恐怖心を抱いていることについて発言すること、話すことは当然のことだと思う。良い暮らしや幸せを目指すことが目的だからといって、幸せな肯定的な話ばかりをしようという考え方はあまり好きじゃないんです。社会の不条理や否定的とされているものが存在しているのに、肯定的な物事だけについて語っていると、次第に話し手が否定的なことについて話さなくなってしまいますよね」

──今気になっている社会問題は?

「いろいろな問題が同時に起きているので、何か一つだけというのは難しいですが、社会問題を常に意識して感じ取ることは必要だと思います。私は家にある着ない服や使っていない生活用品をまとめて近くにある女性ホームレスの保護施設に提供しに行ったりします。身体が不自由になったり、お金がなくなったり、周りに人がいなくて孤立してしまうことは、いつ誰にでも起き得ること。いろいろな変化の中でしっかりと生きていくためにも、常に他の人のことをよく観察してケアすることを習慣として身に付けないといけないと考えています」

──最新エッセイ集では、これまでの作品以上に社会の不条理や抱えている痛みに向き合っています。どのような経緯で作ったのでしょうか。

「以前に日本の文芸誌『文藝』から、母を主題にしたエッセイの執筆を依頼されたことがあって。韓国の出版社からも家族についてのエッセイの依頼があり、家族内での女性について書こうと考え、母にインタビューしたり、姉に文章をお願いする準備をしていたのですが、その最中に姉が亡くなってしまったんです。その後、『文藝』に掲載されたエッセイの評判が良かったので続きを書いてほしいと依頼があり『姉は何を語りたかったのだろう?』と、姉が生前に残したブログや日記を見て、彼女がどうやって人生を耐えていたのかを書きました。

つらくて時間もかかりましたが『声を出して、呼びかけて、話せばいいの』を完成させることができました。本の結末がどうなるか自分でもわからなかったのですが、それぞれの話を書いているなかで飼っていた猫のジュンイチが亡くなり、結末が見えて。ただ、自分では予想できなかった結末だったので、不思議な思いで本を書いていました」

──本を書いたことで心境の変化はありましたか。

「自分がどう生きるべきかを考えられるようになりました。今まで作品や活動、日常の中で『死にたい』という思いに一千万回以上耐え、『どうすればここからすぐ消えられるだろう』ということだけを考えながら生きてきたのですが『一回きりの人生をありのままに感じながら生きていこう』と考えられるようになったのは、自分にとって大きな変化でした」

2025年9〜10月に行われたジャパンツアー「SHAME イ・ラン with オンニ・クワイヤ」では、10人編成のフルバンドセットで“恨”をテーマにパフォーマンスを披露。聴く人の“恨”をも発散させたのか、友人から「スッキリした。まるでお風呂みたいだった」という感想をもらったそう。
2025年9〜10月に行われたジャパンツアー「SHAME イ・ラン with オンニ・クワイヤ」では、10人編成のフルバンドセットで“恨”をテーマにパフォーマンスを披露。聴く人の“恨”をも発散させたのか、友人から「スッキリした。まるでお風呂みたいだった」という感想をもらったそう。

“恨”を発散する

──エッセイ発売と同じタイミングで行われたライブ『SHAME イ・ラン with オンニ・クワイヤ』では『恨(自分の運命に対する嘆き、望んでいた状態に達しないことへの苛立ちや悲しみ)』をテーマとしていました。

「恨というのは韓国人にとって身近な言葉で、人生に常にあるものなんです。ライブでは、韓国に生まれて恨を感じる一人一人の話をつないでセットリストを組みました」

──文芸誌『GOAT meets』で「恨を歌う」とも綴られていましたが、どういった感覚なのでしょうか。

「家族と暮らしていたときは大きな声を出せなくて。それがつらく、もどかしく、大きな声を出したいという気持ちが常にありました。ステージでは大きな声を出していい環境が整えられているので、自分の中にある恨を発散しながら歌っています。韓国では文化的に恨を出して解消する行動を取ることが普通なんです」

──恨はイ・ランさんのすべての活動に通底する核のように感じました。

「たぶんそうだと思います。これはお葬式とかでもよく見られる行動なのですが、韓国では『タッタパダ』というもどかしさやどうにもできない感情を抱えているときに、自分の胸を叩く文化があって。私は歌うときも、文章を書くときも、この感覚でやっています。それでも自分の中の恨があまり発散されないし、新たな恨も生まれているので、永遠に続けるしかないと思っています」

『SHAME』

8月にリリースした新曲「SHAME」。自分がどこにも属していないと感じられても、私と私が愛する存在が共に「ここにある」ことを意識して精いっぱい生きていけるようにと願いを込めた。韓国語と浜辺ふう訳の日本語の2バージョンがデジタル配信中。

価格/¥2,200
各種配信はこちらから

 

『声を出して、呼びかけて、話せばいいの』

9月に河出書房新社から発売された新刊『声を出して、呼びかけて、話せばいいの』(斎藤真理子、浜辺ふう/訳)。血縁という地獄に苦しめられた彼女が、母、姉、自分自身の痛みに向き合った渾身のエッセイ集。

著者/イ・ラン(斎藤真理子/浜辺ふう訳)
価格/¥1,980
発行/河出書房新社

Interview & Text:Miki Hayashi Edit:Mariko Kimbara

Profile

イ・ラン Lang Lee 1986年、韓国・ソウル生まれ。ミュージシャン、作家、イラストレーター、映像作家。2ndアルバム『神様ごっこ』で韓国大衆音楽賞「最優秀フォーク楽曲賞」を、3rdアルバム『オオカミが現れた』で同賞の「最優秀フォーク・アルバム賞」と「今年のアルバム賞」をW受賞した。著書に『悲しくてかっこいい人』『声を出して、呼びかけて、話せばいいの』など。
 

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