岡山市の中心部を舞台に3年に1度開催される、現代美術の国際展「岡山芸術交流」。第4回の開催となった今年のテーマは「The Parks of Aomame 青豆の公園」だ。不思議なテーマに込められた想いは、どう街や作品と呼応しているのだろうか。「晴れの国・岡山」の印象とは打って変わり、雨の中、プレ・オープンを迎えた日の様子をレポートする。
街の中心地・岡山城や岡山後楽園周辺エリアを舞台に、「岡山芸術交流2025」が開幕となった。

本プロジェクトのひとつ目の特徴が、「世界でもっとも注目されているアーティストをアーティスティック・ディレクターに迎えること」だ。初年度の2016年より、リアム・ギリック(2016)、ピエール・ユイグ(2019)、リクリット・ティラヴァーニャ(2022)と錚々たるアーティストが名を連ねてきた。そして今回は、フランス人アーティストのフィリップ・パレーノが就任。日本では2024年に箱根のポーラ美術館で国内最大規模の個展が開催されたことも、記憶に新しい。
今年度のタイトルは「The Parks of Aomame 青豆の公園」。一度聞くと忘れられないキャッチーさがありながら、不思議なこの「青豆」という響きは、村上春樹の小説『1Q84』に登場するキャラクターから触発され生まれたという。現実と空想、静かな葛藤や並行するふたつの世界を生きる複雑な「青豆」という存在を、岡山の街を「公園」に見立てるように描く試みだ。つまりアートが非日常のように日常に潜在し、時に境目が曖昧になったり、時に違和感を感じさせたりするようである──と筆者は理解したが、いくつかの作品を通じながらその試みを紹介したい。

まずはライアン・ガンダーの『The Find(発見)』(2023)。身の回りの日用品にヒントを得た多彩な作風で知られるガンダーらしく、今回の作品は「コイン」だ。
「SOLO」と「TOGETHER」、「PAUSE」と「ACTION」など相反する言葉が刻印されたコインを、展示エリア内の至るところに潜ませた。目を凝らして街を歩くと、郵便ポストの上や看板にもたれかけるようにと点在しており、見つけたものは無償で持ち帰ることができる。
公共空間に硬貨が落ちていたら、つい手を伸ばしてしまう人も多いはず。それがお金ではなく、実は作品だった……という体験は、まさに日常の中にある非日常そのものだ。


プロダクション・デザイナーで、ルイ・ヴィトンやシャネルなどの広告も手がけるジェームズ・チンランド『レインボーバスライン』(2025)も、今回のテーマを象徴する作品だろう。街中を走る路線バス約60台の車体下部にLED照明を取り付け、従来のダイヤ通りに走行させるというもの。いつ、どこで出会えるのかさえ確約されない本作もまた、何気ない日常の光景にささやかな違和感を演出する作品だ。

大規模な会場のひとつである旧内山下小学校に入ると、フィリップ・パレーノの『メンブレン』(2024)が視界に飛び込んでくる。本作は学習型AIとセンサー・ネットワークを搭載し、温度、湿度、風速、騒音、大気汚染、地殻振動などの環境データを収集し、内部プログラムを通じて岡山の周囲環境を感知・合理的に解釈する、巨大なサイバネティック・タワーである。タワーが語りかけてくる独自言語「∂A(デルタ エー)」は、俳優・石田ゆり子の声を合成したもので、会期中の時間の経過とともに変容するという。

同じ旧校内のプール跡地では、島袋道浩によるインスタレーション『魔法の水』(2025)も公開された。岡山理科大学の山本俊政准教授らが開発した「好適環境水」を使用し、海水に住む生き物と淡水魚がともに泳ぐ空間をつくり上げた。環境の異なる生き物たちが共存する姿にあっと驚くだろう。

街のはざまで作品を見つける楽しみも、こうした都市一帯を使ったアートプロジェクトの醍醐味だ。中心地の「表町商店街」を散策していると、「OK」のロゴが入ったピンク色のサインといくつか出くわす。主には商店街内の空きテナントが会場となっているという。

雷電館では、詩人としても活動するプレシャス・オコヨモンによる精神分析の診療室、『実在探偵社(岡山)』(2025)を展開。フロイトやユングといった精神科医の部屋を思わせるしつらいで、壁面にはオコヨモンがセレクトした恋愛、哲学、詩などジャンルさまざまに本が並ぶ。週末になると白衣を着た「実存探偵」がいるため、遭遇したらぜひ一声かけてみてほしい。

廃墟となった雑居ビルには、3組のゲストによる作品を展開。地下に続く「表町シェルター」会場では、アンガラッド・ウィリアムズが執筆・パフォーマンスを行う、詩的散文による6部構成の実験的作品『今、この疾走を見よ』が公開された。ウィリアムズの物語が、ありふれた世界を非凡なものへと変える異世界を描く。

どこからともなく聞こえる音に誘われるがまま上階へと進むと、現代エレクトロニック・ミュージック界の先駆者の一人・アルカの作品『トランスフィクション』だと気づく。AIによってアルカの鍵盤タッチを学習したマグネティック・レゾネーター・ピアノが、オリジナル楽曲を延々と自動演奏を続け、幽玄な空間を演出している。

対照的に、隣の部屋ではフィリップス天文学教授であるディミタール・サセロフとフィリップ・パレーノの協働による『エキゾプラネット・アルピナリウム』が静かに展示されていた。強力な顕微鏡を通して微細な「異星の細胞」を見ることができる。

ニューヨークとロンドンを拠点とするメディア企業・Isolariiは、哲学者のシモーヌ・ヴェイユが1933年から1943年の死の直前まで書き続けた全ノートから初めて編んだアンソロジー『脱創造』を刊行。日本語版のみで特別に出版された本書は、市内各所で会期中無料で配布される。ヴェイユの思想を、街の中で人から人へと渡していくプロセスそのものが作品だと言えるだろう。

デザイナーであり起業家のラムダン・トゥアミは『オカヤマ・トリエンナーレ・ラジオ』を公開。岡山シンフォニービルに自身のラジオブースを設置し、会期中、岡山の人々の声や物語を世界中のオーディエンスに届けるという、まさに岡山と世界をつなぐ実践だ。

また新たな試みとして「アーティスティック・トランスレーター」というポジションが新設されたことにも触れたい。その役割をアーティストの島袋道浩が務め、参加者が自画像を凧にして上げる体験型作品『飛ぶ人たち』の制作や、ツアーガイド「行くつもりのなかった岡山芸術交流」などを行った。「協働する市役所の職員にも作品を観てほしい」という島袋の想いから、市役所舎内では「岡山芸術交流」に関する映像作品が公開されている。アートに関心ある人のみならず、「そうではない」人たちをも作品とつなごうと試みる、まさに「芸術的な通訳」だ。
例年、コンセプチュアルなアート作品を多数展示する印象のある「岡山芸術交流」だが、今年度も同様だ。こうした難解とも言える作品を、わかりやすいものに置き換えることなく、街や市民にそのまま開放していく。総合ディレクターの那須太郎(TARO NASU代表)は、10年のあゆみを振り返りながらこう語った。
「いま、このような国際的な展覧会は各地で行われています。でも、それを『まちおこし』と言うのは違うだろう。人が変わらないと街は変わらない。そのために(岡山芸術交流は)人を育てていこうと考えています。それは時間がかかることなので、これからも継続的に続けていけたらと思います」
今年度、初めて全会場・全作品を「無料」で公開した。「屋外の都市空間を多く活用し、岡山の街自体が作品に」というコンセプトに基づく試みであると同時に、前述の本プロジェクトの街や人に対する姿勢とも重なるように思う。
アート作品を点在させ、誰もが分け隔てなく使えるパブリックな空間へと拡張していく。もちろん違和感を感じ立ち止まる人もいれば、気づかずに通りすぎる人もたくさんいるだろう。それもまた「公園」的だと言えるのではないか。初年度開催から10年目を迎えた「岡山芸術交流」。拡充されたさまざまな試みによって、どう岡山の街(日常)にアート(非日常)が溶け込み、街や社会へと作用していくのだろうか。

「岡山芸術交流 2025」
会期/2025年9月26日(金)~11月24日(月・休)
休日/月曜日※ただし、10月13日(月・祝)・11月3日(月・祝)・11月24日(月・休)開館、10月14日(火)・11月4日(火)休館
URL/www.okayamaartsummit.jp/2025/
Text:Akane Naniwa
