アリアン・ラベド監督作『九月と七月の姉妹』は女性が無意識に飲み込んでいる本心を露わにする。彼女が作品に込めた思いとは。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2025年10月号掲載)

──“シスターフッド”がテーマの文学作品を映像化した理由は?
「10代の姉妹の一筋縄ではいかない人間性にフォーカスした原作に魅了されたから。ソフィア・コッポラ監督の『ヴァージン・スーサイズ』は評価されていますが、女の子がすごく性的な扱いをされていると思います。本作は正反対の立場を取っています」
──主人公の姉妹がインド系で、意地悪な女の子は足が不自由。随所にマイノリティを登場させた意図は?
「政治的なアプローチです。ほとんどの映画にマイノリティは登場しません。隠されてきた人たちや物事を全面に出したいと思いました。映画監督としての責務ですし、本当の意味で平等に愛を与えたいんです」
──女性ならではの生活感を映像化したこだわりは?
「映画は男性が作ってきた歴史があるので、長らく女性の日常生活は物語から抜け落ちていました。生理があり、フラストレーションを感じること。セックスの最中に何を考えているのか。身体の傷跡など。気まずさや惨めさ、ままならない生活をつまびらかにしたかったんです。作中の女性たちは、セックスの中心に自らの喜びがあるので行為中も主導権を握っている。そんなリアルな女性のまなざしを大切にしています」
──女性の性が映像作品で美化される傾向をどう思いますか。
「セックスシーンは、急に柔らかな照明になってムーディな音楽が鳴り始まりがちですが、本作はそうせずに、母親とバーで出会った男性が夕食を共にした雰囲気のままのセックスシーンを撮りました。あくまでやり取りの一つであり、二人の大人が『欲しい』と思って得ただけのことで誰も傷ついていない。セックスをシンプルに考えたいんです。男性には、互いに重圧になるので挿入をしないとセックスが成立しないと思い込まないでほしい。女性には、焦らずに自らの快適さを最優先することが大切だと伝えたいですね」
女性の映画監督の現状は
──女性の映画監督は製作活動をしやすくなっていると感じますか。
「男性の映画監督と同じチャンスを得ているとは思いません。予算も非常に少なく、国際映画祭でも受賞者が五分五分になっていません。また、女性が勝ち取ると何かを失うということが世界中で起こっている。例えば中絶は男女の問題なのに、女性ばかりが当事者で、中絶する権利も危ぶまれている。マイノリティも女性も『何か欲しい』と思ってもまだ戦わなければなりません。映画作りも同じ。簡単ではありませんでした」
──女性の“知性”と“性的な魅力”のバランスをどう考えていますか。
「考えないようにしています。性的な魅力とは、ヘテロセクシャルの男性視点だということ。”男性が自分をどう思うか”が気にならなくなるので年齢を重ねることを楽しんでいます。まだ模索中だけど、ゴールは”世間にどう思われるか”から解放されること。自分自身に忠実で、男だから女だからではなく、人類全体を思いやれるようになりたいです」
──今後、どのような表現をしたいですか。
「アクティビスト、映画監督、女性として働き、女性の役に立ちたい。特にセックスの視点を尊重し続けたい。俳優としては女性の複雑さを表現して、真実を追求していきたいです」

『九月と七月の姉妹』
我の強い姉セプテンバーは、妹のジュライを支配し、内気な妹はそれを受け入れ、姉妹は強い絆で結ばれている。しかし、二人が通う高校でのいじめを機に、シングルマザーのシーラと海辺にある一族の家「セトルハウス」へと引っ越すことに。新生活のなかで、セプテンバーとの関係が不可解なかたちで変化していることにジュライは気づき始める。
監督・脚本/アリアン・ラベド
出演/ミア・サリア、パスカル・カン、ラキー・タクラー
原作/デイジー・ジョンソン『九月と七月の姉妹』(東京創元社)
9月5日(金)渋谷ホワイトシネクイント、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国ロードショー
Interview & Edit : Aika Kawada
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