BALENCIAGA BY DEMNA EXHIBITION デムナが辿った10年の軌跡を総ざらい
Fashion / Feature

BALENCIAGA BY DEMNA EXHIBITION デムナが辿った10年の軌跡を総ざらい

パリ7区のケリング本社でデムナの集大成を回顧するエキシビジョンが開催された。デムナ自身がナレーションを担当し、彼が2015年より担当した30ものコレクションから101点もの作品が一堂に展示。メゾンのコードとは? ラグジュアリーとは? モードのレゾンデートル(存在意義)とは? デムナがデビューコレクションより追い求めてきた数々の命題が展示会と共に明らかに。その模様をつぶさにレポート。

Photo:Annik Wetter
Photo:Annik Wetter

展示会は歴代のインビテーションとして招待客に送られたオブジェから始まる。どこにでもあるレシート、造花のバラ、ゲストの名が刻まれたリング、バレンシアガと印刷されたカロリーバー、はたまたセイロにのせられたメタルの蒸しマンまで、デムナのウィットが出だしから全開する。ショウのインビテーションには毎回趣向が凝らされていて、デムナのコレクションへのメッセージやテーマが込められている。

Courtesy of Balenciaga
Courtesy of Balenciaga

続いて登場するのが、レター。そこにはデムナが以前バレンシアガ社から受け取ったメールがプリントされている。2007年、アントワープ、ロイアルアカデミーを卒業後、デムナがバレンシアガ社に研修の応募をしたのだが、その採用不可の通知のメールである。「もしその時採用されていたならば、私のキャリアの旅は今と違うものになっていたに違いない」とデムナの肉声のメッセージがそこには添えられている。

Photo:Annik Wetter
Photo:Annik Wetter

そしてランウェイコレクションに見立てられた今回のエキスポジションの最初の展示は、2016年に発表されたファーストコレクションのファーストルック『アワーグラス(砂時計)スーツ』。その時着用したモデルのエリザをリアルなマネキンとして再現するという懲りよう。
さらに展示は続き、ヒットを飛ばした『トリプル S スニーカー』の基礎となった、スニーカーのソールのプロトタイプが。「メンズのフットウエアとして、個人的にビッグシルエットのものが欲しかったんだ。そこでいろんなスニーカーのソールを重ねていこうと。同時にラグジュアリーブランドのボキャブラリーを再定義したかった。高級メゾンが顧客というオーディエンスに提供する基準(ノーム)にチャレンジしたかった」とデムナ。

Photo:Annik Wetter
Photo:Annik Wetter

次にハンガーにかけられた袖がひとつないコートが。メンズコレクションのファーストルックを飾ったコートのインスピレーション源となった一品。それは元々バレンシアガ社にあったアーカイブで、そのコートはユーベルト・ジバンシーの私物である。ある日、ジバンシーがそのコートを着ているのをクリストバル・バレンシアガが見て、袖を直した方が良いというアドバイスを送ったそう。残念ながらコートの袖を外したまま、修理されることはなかったのだが、そのアーカイブを見てデムナが、「バレンシアガではテイラーに関してどれだけ完璧を求められるのか、どうしてバレンシアガ本人がテイラーのマスターとして伝説を残したのか実感した」そうである。

パンツとパンプスが一体となった『パンタシューズ』、レザーで仕立てられたショッピングバッグなどアイコニックなピースが続いた後、モードの美術館、パレ・ガリエラのパーマネントコレクションとして収蔵されているピースが。襟ぐりが後ろに開いたオレンジのウールギャバジンのスーツだが、「染色の限界にチャレンジして、アーカイブの中でもなかったようなオレンジ」とデムナが語るように、目にも鮮やかなオレンジが特徴だ。染色においてもデムナがいかに挑戦しているのか、このピースからも伝わる。

Photo:Annik Wetter
Photo:Annik Wetter

「私にとって非常に象徴的なピース」という赤の襟を抜いた「スイング パファー」。2016年のウインターコレクションからの一品だが、このピースを境に、世にはビッグシルエットのダウンが流行したといっても過言ではない。デムナが幼少期の頃、両親に買ってもらったコートがインスピレーションソースになっていて、「洋服を通じて感情を掻き立てられた最初の思い出でもあり、アートピースのように着るのではなく、ずっと見ていたかった」と。バレンシアガでコレクションとして発表する際、その思い出とともにシルエットにこだわり、また普段着るピースとして、リアル感も重視したそうで、ボタンを開けることで襟ぐりが開き、襟足が美しく見えるシルエットになっている。「クリストバルのアーカイブを見ていた時、彼も時代こそ違うが、同じようなアプローチをしていることに気づいた」と。いかにデムナ自身がクリストバルにオマージュを捧げていながら、それでいて彼のピースをそのまま再現するのではなく、いかに今の時代に合ったものに、そしてデムナ自身のコレクションに落とし込んだのか、よく分かるエピソードである。

Photo:Annik Wetter
Photo:Annik Wetter

トロンプイユ(騙し絵)。デムナがバレンシアガで一貫して求めたテーマのひとつである。一見するとファーだがよく見ると一本、一本筆で毛並みが描かれたコート、コットンデニムのセットアップかと思いきや、それは絶妙にプリントされたサテン生地だったちと。中でも目を引くのが、パイソンのレザージャケット。クチュールコレクションで発表されたものだが、よく見ると鱗の一枚まで、細かくハンドペイントされている。

Courtesy of Balenciaga
Courtesy of Balenciaga

1981年3月25日、デムナはジョージアで産まれた。多感な幼少期、祖母の家で人形をモデルに見立て、花柄のテーブルクロスをランウェイに見立てて、ファッションショウをして遊んだという。その時の花柄はノースリーブドレスとして、フランスの大手メゾンから発表されるとは誰も想像していなかったに違いない。12歳の時、アブハジア紛争と呼ばれる一連の内紛に巻き込まれ、故郷を去り、家族と共にトリビシに移る。戦争の被害を最も受けるのは、いつも女性や子供など弱者である。故郷を追われた一家は、コーカサスの山々を歩いて超えた。飢えを凌ぐため、国連が主催するワールドフードプログラムの食料に頼った。

2018年、「ワールドフードプログラム Tシャツ」がバレンシアガに登場。ネオンイエローに、お馴染みの国連のマークがプリントされたTシャツ、襟ぐりにバレンシアガのロゴがある。「ファッションを違う方法で何か世に役だてたいという思いから、ワールドフードプログラムとパートナーショップを結びました。我々がクリエートするものから、この産業が何か世に良い結果を残せるのか、ひとつの試みです。このコラボレーションは自分自身の運命だと思っています。世に良いインパクトを与えるものとして、ファッションを使うべきだと思います。それはただ売上のパーセンテージを配分するだけでなく、何かメッセージを伝える手段として。我々はみんなそのメッセージの一部なのです」。

Photo:Annik Wetter
Photo:Annik Wetter

デムナがバレンシアガで歩んできた軌跡をこの展示で辿ると、いかに彼がファッションへの熱い思いがあるのかがつぶさに感じられる。それは先代のクリストバルへのリスペクトであったり、幼少期の心温まるノルタルジックな思い出であったり、新しいものにチャレンジする情熱であったりと。それらの思いはコレクションの中で洋服として昇華され、またその作品が彼の人生の中で大切な思い出のピースとして残る。デムナがバレンシアガで歩んだ10年の時は、彼の人生そのものであり、そしてバレンシアガで発表した数々のピースは彼の今までの人生を色濃く象徴する。それはまるで中世の英雄譚を描いたタピストリーのようでもあり、小説家の一生を描いた自叙伝のようでもあり、見るものの心に響く。次はグッチでどんな第二章を編んでいくのか、今から待ち遠しい。

Photo:Annik Wetter
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Text:Hiroyuki Morita

 

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