「アネット」「ポンヌフの恋人たち」で知られるフランス映画の鬼才、レオス・カラックス監督の新作「IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー」はまるで42分間の映像詩のようだ。
そもそもパリのポンピドゥーセンターからの依頼で着想した展示会の企画が、予算が膨らみすぎて実現不能に陥った中、「レオス・カラックス、あなたはいまどこにいる?」の問いかけに、映像作品として回答したというのが本作だ。
このモノローグは不眠症のカラックス監督の暗い寝室で、プルースト「失われた時を求めて」へのオマージュから綴り始められる。エフェクトの効いた映像コラージュやタイトルの挿入はまるでゴダールの「イメージの本」のようでもあるが、全てはカラックスが監督としての「ME」への観察と、思考の深掘り、そして自身の過去作からのセルフ・オマージュが重なり合っていて、ゴダール作とは異なる内省へとベクトルが向かっているように思える。
何よりこの映像作品は彼自身が編集して作り上げている。
このコラージュには何度か娘が登場する。愛犬が登場する。そして「ボーイ・ミーツ・ガール」から「ホーリー・モーターズ」まで、監督のオルターエゴとして登場し役を演じてきた旧友のドニ・ラヴァンと二人、19区のビュット・ショーモン公園を歩く姿が捉えられる。
まるで映像による詩のようであり、独白である。とてもインティメイト(親密)な関係で生まれたことの意義がうかがえる。
3月、日本での一般公開に先立ってフランス映画祭とユーロスペースでのプレミア上映が行われ、上映後にはレオス・カラックス監督が登壇し、オーディエンスからの質問に回答した。
──この映画の構想は、ゴダールの死とロシアのウクライナ侵攻がきっかけになっているのでしょうか?
「ポンピドゥーセンターからの依頼でこの映画を撮り始めたのは、それらのことが起きる前のことでした。10分程度のセルフポートレート的なショートフィルムをとの依頼でひとりで作り始めました。自宅で娘や犬に囲まれてホームムービーのように作りました。夜の間にイメージがうかび、それを起きてから昼間に編集します。そんな中で、ウクライナへの侵攻があり、ゴダールは自分の命を終える決意したのです」
──自らの過去の作品も多くコラージュされていますが、それを編集する上で懐かしさのような感情はありましたか?
「自分は自分の映画を観直すことが好きではないと思い込んでいました。過去を振り返ることも。実際にこれまであまり観返すことはなかったのですが、実際にそうすると、実は好きだったことに気がついたのです。そして家で映画を作ることがとても好きだと気がついたのです。これはみなさんにもおすすめしたいと思います。特にお子さんにも。2〜3年おきにカメラや絵や音楽や、表現方法に限らず自分自身を、または自分を取り巻く世界を見るのは大切だと思います。画家が自画像を描く時には、鏡は正面にありますが、私はこの作業をしている間、自分の後ろに鏡があるような気がしていました」
──あなたは多くの困難があったために、多くの映画を撮れなかったとおっしゃっていましたが、実際には映画を撮り続けられています。その原動力はどこにあるのでしょうか?
「わたしには他にできるものがないだけなのです。映画監督は皆とは限りませんが、多くの監督はおそらく映画を作ることしかできないのだと思います。私はセットデザインもできなければ、詩を書くことも出来ません。振り返れば映画を作れない時間の方が長いのですが、今ではそれもでよかったのかなと思っています」
──本作は編集が素晴らしいですが、フィーリングとロジックのどちらを優先していますか?
「編集によって音楽が生まれたらいいなと思っています。わたしは25歳の時からずっと同じ編集者と仕事をしてきました。編集作業中、自分が作曲をしているような気分でいました。もし映画が撮れなくなったら、編集者になるのもよいですね」
──あなたの考える主観とはどのようなものですか?
「主観について、考えたことはありません。反対の客観についても考えたことがないです。わたしたちはみんな主観で生きている。それが正しいか正しくないかというサインはありません。その中で何がリアリティなのかを考え、見出そうとしているのではないでしょうか? 世の中が混沌としているという意味のカオスではなく、イメージのカオス、 世界のカオスがいろいろなイメージを作り、そのカオスが自分に迫ってくることがあります。明晰な目や耳を持ち、しっかりヴィジョンを持つことが難しくなっていると思います。そして、子どもや木や動物、いろいろなことを見ることが難しくなっています。それでもわたしたちは見る努力を続けないといけないのだと思うんです」
「IT’S NOT ME」は、観る人によっては、あまりにインティメイトで響く部分が少ない映像詩のような作品かもしれない。だけどいくつかの映像や言葉や音には鋭く切り付けるようなこの作家の感性が宿っている。かつてアンファン・テリブルと呼ばれた監督が、今の時代に何を描き、何を語るのか、どうかじっくり見つめてほしい。
『IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー』
監督/レオス・カラックス
出演/ドニ・ラヴァン、カテリーナ・ウスピナ、ナースチャ・ゴルベワ・カラックス
2025年4月26日(土)より、ユーロスペースほか全国公開
eurospace.co.jp/itsnotme
©Jean-Baptiste-Lhomeau
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