今こそ知りたいパリス・ヒルトン。“お騒がせセレブ”の本当の姿 | Numero TOKYO
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今こそ知りたいパリス・ヒルトン。“お騒がせセレブ”の本当の姿

かつておバカな“お騒がせセレブ”として知られるも、現在はマルチに活躍するキャリアウーマンとして評価されているパリス・ヒルトン。彼女は一体どんな人なのか。セレブリティ・ウォッチャーの辰巳JUNK、アメリカ在住でカルチャーと社会、アイデンティティをテーマに執筆するライターの竹田ダニエル、パリスの自伝『PARIS The Memoir』の邦訳を手がけた翻訳家の村井理子が彼女の本当の姿に迫る。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2025年5月号掲載

1.「おバカキャラ」で夢を与えるパフォーマー

文・辰巳JUNK

©Aflo
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「インフルエンサーの始祖」、それがパリス・ヒルトンだ。きらびやかな2000年代の象徴たる彼女は、音楽や演技を本業としないセレブとして世界を魅了した。きっかけは、22歳の頃の03年に始まったリアリティ番組『シンプル・ライフ』。ヒルトンホテル創業者一族のご令嬢として庶民の生活を経験する内容で、ベーコンを焼くためにアイロンを使うなど、常識外の行動で笑いをとる「おバカなブロンド」キャラを確立した。バッシングも多かったが、パパラッチに追われる境遇をうまく活用し、ショッピングや着用アイテムを宣伝していったことでY2Kファッションアイコンとして君臨。香水やアパレルを手がけて数十億ドル規模のビジネス帝国を築き上げた。セクシーさ満点の音楽活動にしても、後年チャーリーXCXから「ポップの天才」と崇められるカルトヒットとなった。

©Aflo
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スキャンダルも経験したパリスは、10年代になるとDJ業と経営へシフト。そして20年代「私はおバカなブロンドじゃない」と衝撃告白。甘い声色も演技だとして、低い地声を披露した。

衝撃を与えたのは、ドキュメンタリーで明かされた過去。中学生の頃に性加害を受けたショックで夜遊びを繰り返すようになった彼女は、問題を抱えた青少年向けの寄宿学校に入れられた。それらの施設では体罰が常態化しており、性的な虐待まで行われていた。独房に閉じ込められたパリスは、現実逃避にふけり、現在知られている楽しい「おバカ」人格をつくり上げた。誰にも頼らずお金持ちになることを決意し、18歳で解放されると見事に成功したが、トラウマが根深く、異性とキス以上のことができない状態が続いたという。

真実を告白したパリスは、それだけで終わらせなかった。被害者たちと抗議運動を結成し、青少年施設の虐待を防止する法案の実現に取り組んでいったのだ。議会で証言した際には、自身の知名度を活用した。「(超富裕層の娘だった)パリス・ヒルトンすら被害を受けたのなら、親をなくした貧しい子どもたちはどれほどの目に遭うのでしょう」

©GettyImages
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社会活動家として尊敬を集め、夫と子どもたちにも恵まれたパリスは、現在「おバカなブロンド」を演じるパフォーマーとして活躍中。事業家として、NFTやメタバース領域にも進出し、自伝のTVドラマ化も進行中だ。夢いっぱいの「おバカ」キャラで夢を与えるパリス・ヒルトンは、勇気と知性で世界を輝かせていく。

辰巳JUNK
平成生まれ。セレブリティ・ウォッチャー、ライター。主にアメリカのセレブリティ、音楽、映画、ドラマに関する論考をさまざまな媒体で執筆。著書にアメリカのセレブリティ20組を考察した『アメリカン・セレブリティーズ』(スモール出版)がある。

2.ミレニアル世代が見る新たな姿

文・竹田ダニエル

バレンシアガは、2000年代初めに人気を博したバッグ「ル・シティ」を24年4月に復活させた。1月に発表したキャンペーンでは00年代初頭のパパラッチ画像をデジタル加工し、現在の「ル・シティ」を融合。パリス・ヒルトンもフィーチャーされた。Courtesy of Balenciaga
バレンシアガは、2000年代初めに人気を博したバッグ「ル・シティ」を24年4月に復活させた。1月に発表したキャンペーンでは00年代初頭のパパラッチ画像をデジタル加工し、現在の「ル・シティ」を融合。パリス・ヒルトンもフィーチャーされた。Courtesy of Balenciaga

2000年代初頭、パリス・ヒルトンは「おバカなお騒がせセレブ」としてメディアに取り上げられ、パパラッチに自ら突進していくスタイルの「インフルエンサー」としてのパイオニア的立ち位置を確立した。当時、セレブ女性たちは一面的に描かれ、軽蔑の対象となることが多かった。しかし、近年では彼女の多面的な人間性やポップカルチャーへの影響が再評価されている。

今やミレニアル世代の女性たちにとって、パリス・ヒルトンは単なるゴシップの対象ではなく、時代の変化に適応しながら自己のブランドを確立してきた象徴的な存在となっている。メディアのナラティブの変化が、この再評価に大きく寄与しているとも考えられる。かつてはパパラッチによってプライバシーが侵害され、セレブのイメージはメディアによって一方的につくられていた。しかし、SNSの普及により、セレブ自身が自らのストーリーを発信できる時代となった。パリス・ヒルトンも自身の経験や価値観を積極的に発信し、自己のブランドを再構築することに成功した。特に20年に公開された彼女のドキュメンタリー作品『パリス・ヒルトンの真実の物語 | ‘This is Paris’』では、過去の虐待経験やビジネスウーマンとしての側面が明らかにされ、従来のイメージとは異なる彼女の姿が描かれていることで話題を集めた。

©GettyImages
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また、彼女のファッションセンスも再評価されている。00年代に流行した彼女のギラギラとしたきらびやかで派手なマックブリング※スタイルは、当時は批判の対象となることもあった。しかし現在では「レトロでキュートなY2K世界観」として受け入れられており、彼女のファッションがアイコン的な存在、そして文化的要素として再評価されているのだ。

パリス・ヒルトンの再評価は、メディアとファッションの変遷を反映したものであり、ミレニアル世代の女性たちは、その変化と成長を自身が経験した女性蔑視や体形差別、社会からの厳しい目線などと照らし合わせながら、ある意味で見守る立場を取っているともいえる。彼女に対する、世界中からの絶えない関心は、単なるノスタルジアではなく、メディアとファッションの変遷への関心でもある。彼女の多面的な人間性への理解やポップカルチャーへの影響を再認識することで、セレブリティやポップカルチャー、さらにはメディアの新たな価値観も浮き彫りになるだろう。

※マックブリング……00年代前半に流行したY2Kファッションの一形態で、ギラギラとした派手な装飾を特徴とするスタイル。ローライズデニム、ラインストーン付きのロゴTシャツ、ハイブランドのサングラスやジューシークチュールのベルベットセットアップなどが象徴的アイテム。

竹田ダニエル
1997年生まれ。カリフォルニア州出身、在住。「カルチャー ×アイデンティティ×社会」をテーマに執筆するZ世代のライター、研究者。近著に『世界と私のAtoZ』(講談社文庫)、共著に『アメリカの未解決問題』(集英社新書)がある。

3.サバイバーの一人として次世代を救う存在に

文・村井理子

10代前半のパリスは、ADHD(注意欠如・多動症)の特性により学校や周囲の生徒に馴染むことができず、転校を繰り返していた。家を抜け出して夜遊びすることも多く、素行の悪さで両親を悩ませ続けた。コントロールできない強い感情やエネルギーを持つパリスに、両親は手を焼いた。どれだけ叱っても夜遊びをやめず、危険な行動を繰り返す状況が長く続いた結果、両親は「感情発達プログラム」を実践すると謳う寄宿学校にパリスを送り出すことを決意してしまう。それが、どれだけ恐ろしい施設で、どれだけ深く娘の心と体を傷つけるのかも知らずに。

ある日の夜中、二人の屈強な男に自宅のベッドから引きずり出され、手錠をかけられ、パリスが連れていかれた先は、暴力や洗脳や強制労働がはびこる寄宿学校CEDUだった。その日以降、何年にもわたり指導者たちから性的虐待を含む数々の虐待被害に遭った。指導者たちの言いなりになることを選ばなかったパリスは、反抗的な態度や脱走を企て、何度も独房に入れられる。暗く、狭く、寒い、一人きりの世界でパリスは、いつかこの地獄を出て、トップクラスのビジネスウーマンになると誓うのだった。そして想像の世界で未来の自分の姿を思い描いた。殴られても、蹴られても、夢を抱き続けることで試練を耐え抜いた。危機的状況下であっても、パリスは自分を見失うことを拒絶した。そんなパリスを支えたのは、自分はヒルトン家の人間であるという誇りだった。

©GettyImages
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寄宿学校を18歳で卒業すると、虐待で抱えてしまった大きなトラウマを忘れるために、浴びるようにお酒を飲み、朝まで踊り、自由奔放な生き方を続けた。それが、私たちが知るパリス・ヒルトンのあの姿なのだ。

パリスは今現在、青少年向けの居住型治療施設での虐待防止を目的として、さまざまな活動を行っている。ここ数年は、アメリカ議会下院で自らの体験を証言し、同じことが現代の10代の若者に決して起きることがないように、サバイバーとして、強い声を上げ続けている。若かりし日の明るい笑顔に隠されていた悲惨な虐待の日々を知れば知るほど、パリス・ヒルトンという女性の真の強さが見えてくる。

世界一有名なパーティ・ガールから、実業家、そして10代の若者に対する虐待防止を訴える活動家へと見事に転身を果たしたパリスは、大きな影響力を持つサバイバーのひとりだと思う。

村井理子
1970年、静岡県生まれ。滋賀県在住。翻訳家、エッセイスト。パリス・ヒルトンの自伝『PARIS The Memoir』(太田出版)の翻訳を担当。最新のエッセイ集に『ある翻訳家の取り憑かれた日常』(大和書房)がある。

『PARIS The Memoir』
パリス・ヒルトンが自身のADHD、寄宿学校で受けた虐待、セックステープの流出事件や飲酒運転騒動の裏側を告白した暴露的自伝本。2023年3月にアメリカで、邦訳が今年1月に出版された。

著者/パリス・ヒルトン
訳(太田出版)/村井理子

Text:Tatsumi Junk, Daniel Takeda, Riko Murai Edit:Mariko Kimbara

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JUNE 2025 N°187

2025.4.28 発売

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