金工作家 kanehen 宮島司緒里「モビールは単純な原理で複雑な動きをするのが面白い」 | Numero TOKYO
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金工作家 kanehen 宮島司緒里インタビュー「モビールは単純な原理で複雑な動きをするのが面白い」

伝統工芸の鍛金(たんきん)を学び、「kanehen」として金属を叩いて生活の道具や身近な品を作る金工作家、宮島司緒里。金属という素材にこだわり、モビールを中心に制作する。そこに至るまでの、金属を熟知しているからこそできること、生活空間に平穏を添える「kanehen」流のモビールの解釈、形とは。

※こちらの記事で紹介している作品はNumero CLOSETで一部お取り扱い中です。

カルダーとは違う、kanehenのモビールの解釈

──モビールを作るようになったきっかけを教えてください。

「2003年から『kanehen(かねへん)』として金属の作品を作り始めましたが、モビールをメインに作るようになったのは、数年前からです。もともと大学、大学院と伝統工芸の鍛金(金属を金槌で叩いて立体に成形していく技法)を学んできたので、鍛金の技術を生かしたもの作りを心がけていました」

──鍛金技術を用いてどういうものを作っていたのでしょうか。

「彫刻のような大きな作品を作っていました。でも卒業後はどうやって生きてゆけばいいのかわからなくて、大学院の頃、銅鍋を作っている先輩を見て、生活の道具を作るというのもいいなと思うようになりました。卒業後に4年間地方の美大に勤めたあと、鍋やフライパンなどの生活用品を作り始めたんです。実際に使えるものを作るのは楽しい。でも、金属を立ち上げて成形するのは、現代ではほとんどが機械に代わったほど、腕力と時間が必要な作業なので、結果的にカトラリーやトレイといった薄いものを中心に作っていました」

──そこからなぜモビールに?

「あるとき個展をやることになって、展示する作品が薄い平面的なものばかりだと展示空間として寂しく物足りなく感じて。鎌倉山の海の見える素敵なギャラリーだったので、せっかくの場がもったいないと、空いた空間を埋めるために大きいモビールを搬入の前日に思い付きで作ったんです。モビールを作ったのはそれが初めてで、展示空間のために必要だったんですが、モビール=(イコール)カルダーというイメージが強いので、真似のように思われるのも嫌だったし、ちょっと気恥ずかしい部分がありました」

──やはりカルダーの存在は意識してしまうものでしょうか?

「高校生のときに、カルダーの展示を見て以来ずっと先達として尊敬しています。カルダーはモビールが有名ですが、他にも家族や知り合いのためにアクセサリーやフォーク、陶器のマグカップの取っ手を金属で作ったりもしています。私はその身近な人のためのものを作る、というのが特に好きですね。アートと生活がつながっていて、そんなところも憧れです。それと絵描きの人が筆致を見てイメージが湧くみたいに、カルダーのハンマー使いが想像できるというか、作り手としての巧さや面白さ、その仕事ぶりを気持ちいいなと感じていました。でも、モビールは伝統的な鍛金からみると技術的には難しくない、技法的には簡単なものだと感じていて、自分がモビールを作るとは思ってもいませんでした」

──にもかかわずモビールが制作の中心となっていったのは?

「自分の中でなかなか踏ん切りがつきませんでしたが、鍛金は体に相当の負担がかかるので、ちょっと体を壊してしまったり、続けていくのは、年齢的にも体力的にもしんどいと思うようになりました。それに、ここ10年、20年で金属でトレイやカトラリーを作る作家さんがどんどん増えてきたこともあり、もうカトラリーはいいかなという気持ちが生まれて、自分の造形力を生かしたモビールをつくろうと切り替えました。いろいろなきっかけがちょうど重なった感じです。そして、100個くらい作ったあたりから、カルダーのことが気にならなくなってきました。自分の求めるものが見えてきたように感じています」

──カルダーとは解釈の仕方が違うということ?どう違うのでしょう?
「私は普通の家に住む人のためにモビールを作っています。私自身、家で幼い子どもと向き合う日々に、ふと台所に何げなく掛けてあった自作のフライパンを見て、自画自賛みたいですが、手作りならではの歪みも込みであらためて美しく感じられ、心がほぐれるような感動がありました。カルダーの太陽のように陽気でダイナミックな表現も魅力的ですが、私が求めるのはもっと日常的で穏やかなモビールですね。そして、素材の選択から生まれるスケール感。カルダーは様々な金属素材を扱っていますが、鉄が主でサイズが大きいんです。私が主に使う真鍮は鉄より柔らかいため、強度的にバランスが取れる大きさも違います」

真鍮素材を生かし、造形を損なわない動きのモビール

──モビールづくりにおいてこだわっていることは?

「真鍮という素材を十分に生かすことです。金属は紙より重くゆっくりゆったりと風に反応して動きます。その動きを損なわないような造形を心がけています。それに、素材感を大事にするため仕上げも表面に蜜蝋を塗るだけです。モビールは、黒と真鍮の二色展開ですが、黒も塗装ではなく、薬品を使い、化学反応によって発色した真鍮の中から引き出した黒です。そして、一般的には日本の住居はそんなに広くはないので、そういった事情も考慮して、小さいサイズのバリエーションを増やし、卓上のものも作り始めました」

卓上メタルモビール/Numero CLOSETにてお取り扱い中

──例えば、彫刻家や画家が巨大な作品を作るように、もっと大きなモビールも作ってみたいという衝動にかられることもあるのでしょうか?

「依頼があれば、大きいものを作ってみたいという気持ちはなくはないです。大きいものも作れはしますが、すごくやりたいかというと、そうでもなくて。私は大きいものが作りたいのではなく、私のモビールが必要な大きな空間があれば、という感じで、どちらかというと普通なんです。私にとって憧れる存在は、百姓です。百の姓をもつ、つまり100の職業をもつ、100のことができるということで、百姓と言われていますが、縄を編めて、綿を採取し紡げて、作物も作れる。私も家庭菜園をしたり、羊の原毛から糸を紡いでセーターを編んだりしていますが、自分でも生活に必要なことをいろいろやってみたい、何がどうなっているのかに興味があるんです」

──それは物事の起源や仕組みを知るということ?

「モビールも引っ掛けるだけのシンプルな構造に、重力とバランスと風という少ない要素の単純な原理なのに、とても複雑な動きをする。その仕組みを知るという点で、モビール作りも私にとって必要なものだと思っています。まだ試したいことや形はたくさんあるので、それらを皆さんに届けられるクオリティで、サイズ感やバリエーションを増やしていきたいなと思っています。そして、卓上もそうですが、コンパクトに収納する制約も興味の一つです。手元に届くときは、この薄い箱(厚さ2、3cm程度)に全てのパーツが収まっていますが、それを逆算して作ったり、そういうところも楽しんでいます」

──モビールのデザインを考える上で、ヒントとするモチーフだったり、イメージする形は何かありますか。

「部屋に植物や花を飾るようなイメージで作っています。そして、どちらかというと、主張が強い、個性的すぎるものは好みでなくて。視界に入った時に、痛いのが嫌なので、抽象的だったり、そこに意味があまり強く出ないプレーンなものが好みです。不定形なものも作りますが、葉や丸のモチーフがいつの間にか多くなってきました。そのほうが実際に生活空間に自然に馴染むように思っています」

──だから抽象的でグラフィカルなデザインが多いんですね。

「最初の頃はいろいろ試しましたが、ここ数年はできるだけ要素を減らし、感じの良いバランスを探ってきました。パーツを増やせば、なんとなく賑やかで見栄えはしますが、数で誤魔化しているような気がして。そこからどれだけ数を減らせるか試す中で、最小限のパーツ5〜7個あたりでバランスをとるようになりました」

──素人目には、パーツを最小限にすると、空間とのバランスの取り方が難しそうな気がします。
「結局、空間で見たときに気持ちよく感じることが大切です。少ないといっても物足りない感じにはしたくないので、その加減も慎重に吟味しながら決めています。でも今は、最小限の要素で見せるのはひと段落していて、ちょっと数を多くすることで見えてくる違いを掘り下げているところです」

──どこをどう深掘りしているのでしょうか。

「パーツ同士を引っ掛けたときの繋がりに、パーツを増やすことで、平行になるタイプと、ジグザグになって伸びていくタイプと、違うタイプを組み合わせたり。細長いパーツのものは、数をつなげるともっとダイナミックな動きになるので、パーツの長さはそこまで変えずに増やしてみたり。ちょっとした違いでできる形が全く違ってくるので、やれることはまだまだたくさんあります。それに、必然性のある色の配置がイメージできたら、真鍮と黒を組み合わせたり2色ミックスも展開もしたい」

金属の素材としての魅力、楽しさや可能性を伝えたい

──伝統工芸にもいろいろある中で、なぜ鍛金だったのでしょう?

「高校生の時に、進路を考える上で、絵を描くのが好きだったし、姉も美術短大に通っていたのもあって、イラストでもデザインでも美術系の仕事ができたらいいなくらいの軽い気持ちで、美大を目指して美術予備校に通っていました。予備校に通っている間に、デザインと工芸の仕事があるなら、デザインして誰かに作らせるのではなく、自分の手で作りたい、私は工芸がやりたいんだと気持ちが変わっていって。入学前に大学の卒業制作展に行って、工芸の中で鍛金という技法があるのを知りました。金属の板が手の中で動く、なんだそれ、やってみたい!と強く思ったんです。在学中は、制作できることがとにかく楽しくてしょうがなかった」

──その後、いわゆる芸術作品ではなく生活道具という方向に気持ちが向かっていき、それを選択したんですよね。

「私にとって作品か道具か、そこに境目はありません。ただ、いわゆるアート業界の権威的なものは、自分が想像できませんでした。元々関東育ちですが、東京の忙しさが苦手で田舎に住んでいるぐらいなので。高校生の頃、少しでも仕事でで何か美術に関わることをできたらと願っていた自分を思い返すと、今の私にはアトリエがあって、作ったものを手に取ってくれる人がいるというだけで、本当に贅沢なことだし、幸せだとあらためて思います。五十歳を過ぎて、日々金属と戯れつつ制作できることに感謝しています」

──宮島さんにとって、金属というメディアが自分の表現方法としてしっくりきているのですね。

「そうですね。だから、金属を叩いてつくる人『かねへん』として活動しています。これからも金属から離れることはないです。今後はモビール以外も作ることがあると思いますが、しばらくはモビールをメインにしてゆくつもりです。モビールも洋服を買うくらいの感覚で手に取ってもらえたら嬉しいですね」

──家にあるとなんだか気分が上がる、暮らしのちょっとした贅沢のような。
「そう、時間に追われ慌ただしく過ごす日常でも、ちょっと視界の端っこに映るとホッとするというか。そういう植物みたいな存在になれたらいいなと思います」

Numero CLOSETでkanehenの作品をチェックする

Photos:Miwa Ai Interview&Text:Masumi Sasaki

Profile

kanehen 1971年生まれ。金工作家、宮島司緒里が手がける。1998年東京藝術大学 大学院美術研究科 鍛金専攻修了。2003年より、長野県にて「kanehen」として生活の中の金工品を制作する。2010年、岐阜県に拠点を移し、その後、モビールを中心に制作。Instagram:@kanehen_miyajimashiori

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