凛とした端正なフォルムに繊細で複雑に絡み合うくすんだ色のグラデーション。兵庫県丹波篠山を拠点に活動する陶芸家、安藤由香は、釉薬にこだわり、色をとことん追求する。アメリカLAでの学生時代、社会人生活を経て、突如帰国し、陶芸の世界に飛び込んだ。紆余曲折しながら辿り着いた自分なりの陶芸のスタイルとは。
陶芸に向かうまでの迷いや葛藤
──陶芸家になるまでは、LAで社会人をしていたそうですね。
「小学校の頃から、英語がすごく好きで。カナダ人の家庭教師に英語を教わっていましたが、1時間ただ好きなことをお喋りして、時々一緒に遊んだりして、それがとても楽しかったんです。それからもっと話せるようになりたい、アメリカに行きたいという思いが強くなって。高校卒業後、アメリカに留学し、ホームステイ付きの語学学校に通ってから大学を出て、現地で就職しました。実は最初はカメラマンになりたくて、大学で写真を専攻していましたが成績が悪すぎて、このままじゃアメリカにいられないと思い、カメラマンを諦め、ファイナンスに進路変更をしたんです」
──そのときは、とにかくアメリカにいることが最優先だったんですね。
「アメリカで仕事をし始め、結局8年間過ごしました。その間、1週間ほど日本に帰国したあるとき、私が器を買いに行きたいと友人に言ったら、丹波焼があるよと連れて行ってくれたんです。ただ自分が使う器を買って、アメリカに戻るぐらいの軽い気持ちでした。たまたまLAで趣味を増やしたいと思って、ちょうどヨガや茶道を習い始めたタイミングでした。社会人3年目くらいの余裕というか、大人の嗜み的に」
──丹波焼を買いに行って、何か発見があったのでしょうか。
「田んぼや山々が連なる景色、そんな山里で暮らす光景に本当に感動しました。丹波で日本の原風景を見た気がして、こんなところで働いてみたいと、いきなりスイッチが入ってしまったんです。今思えば、LAでの生活に常にちょっと虚しさを感じていたように思います。アメリカで大学にも通わせてもらって、仕事もあって、自分が絶対恵まれた環境にいることはわかっていましたが、でも夢を追いかけている人を見ると胸がざわつくというか」
──いったんは憧れのアメリカでの暮らしを達成できたから?
「私の場合、何をするにもたいてい目標を掲げて、そこに向かうために逆算して行動していました。それでもなんか虚しさが常につきまとっていて。例えば、日本語の教師になるためにアメリカに来ている人、それこそ写真家を目指して頑張っている人に出会ったり、自分がかつて憧れた世界に携わる人を見ると、そういう感情が湧いてくるというか。LAでの私は毎日がただの点でしかなく、明日のために頑張るというよりは、今日が楽しければいいというパリピー的な、刹那的な生き方をしていたように思います。だから何か自分の中で変えたいという気持ちが多分あったのかもしれません」
──そこから陶芸に向かう心境にはどんな変化が?
「そのときはただ感動して、器を買ってLAに帰りましたが、1週間ぐらいその器を使っていたら、じわじわと込み上げてくるものがありました。器のために料理をするようになって、器を使いたいから早く帰宅する。器一つでこんなに毎日が変わるんやって実感がありました。それからずっとモヤモヤとしていて、でもどうしたらいいかはわからない。そんなとき、ふらっと一人で出かけようと思い立って、カリフォルニアのサンタバーバラというワイナリーに列車で向かいました。たくさんワインを飲んだ帰りの列車の中で、答えが見つかったんです。私は陶芸家になる!と。あの日の記憶は今も鮮明に覚えていて、切符もずっと財布の中に持っています。翌日には上司に仕事を辞めると伝え、親にも内緒で帰国しました」
──行動力がすごすぎます!帰国後、どのように陶芸の道に?
「丹波焼に弟子入りを申し込んだら断られたので、まずは1年間、京都の訓練校でろくろをみっちり学びました。その間に学校の先生に別の丹波焼の作家さんを紹介してもらい、3年間修行しました。ちょうど30歳目前で、そろそろ独立というときに、東日本大震災があって。大勢の人が亡くなり、家が倒されていく様子を見て、この先、自分が陶芸をする意味は何だろう、作る意味はあるのか、誰かの役に立つのか、そんなことを考え出したら、このまま続けていいのかわからなくなってしまったんです。そこでいったん中断しようかなと思って、修行を終えると同時にデンマークに行きました」
陶芸に再びときめかせてくれた色との出合い
──陶芸家デビューはせず、突然デンマークへ?
「たまたまデンマークがワーキングホリデーを採用していると聞いて、全く誰も知らない土地に住んでみたかったんです。エコビレッジに住み込みで有機農業の手伝いをしながら暮らしました。そのときの私は物を作ることに対してちょっと嫌悪感を抱いていました。物をあまりにも作りすぎて、害悪になってるんじゃないかとさえ思えて。でもエコビレッジで服をリサイクルしたり、自転車を直してくれるリペアマンという人を知ったり、みんなが物を大切にしている光景を見たときに、新鮮な気持ちになりました。物も使い手によっては尊いものなんだなと。景品でもらったようなマグカップをおじいちゃんが修理しながらボロボロなのに、お気に入りみたいで毎日ずっと使っていたり。小手先でこれが良い悪いと自分が決めつけていたことも全部リセットされ、とりあえず使い手に委ねてもいいのかなと思えるようになりました」

──勝手に思い込んでいたこと自体もエゴだったと?
「自分の作ったマグカップも、このおじいちゃんみたいに誰かにずっと使ってもらえるかもしれないと思ったら、いい仕事なのかもと思えてきました。デンマークがエコ先進国ということも考えずに行きましたが、人々の物への意識や感度の高さ、家で過ごす時間が長いこともあり家具を大切にするところなど、そういう価値観に助けられた気がします。あと旅先でお世話になった人へのお礼にと、自分が作った小皿を持っていったんですが、それを渡すと、『こんな素晴らしいこともできるなんて、すごいじゃん』と、びっくりするぐらいみんな喜んでくれるんです。もしかしたら陶芸は自分のアイデンティティの一つになっているのかなと思って」
※こちらの作品はNumero CLOSETでお取り扱い中
──まさにコミュニケーションツールですね。
「それからエコビレッジの後に、ボーンホルム島というデンマークの小さな島に3カ月間滞在して、フォルケホイスコーレ(デンマーク発祥の成人向けの教育機関)という学校に通いました。そこでは寮での共同生活で、基本的に自由にみんないろいろ作っていて、隣は陶芸のクラスでしたが、私はあえてそこは避けて、ガラスとジュエリーのクラスを取っていました。でもガラスも自分にはしっくりこず、また一から全部やり直さなあかんなとか思っていたとき、陶芸クラスで作ったマグカップを自由に使っていいように入れてあるバケツがあって、その中のマグカップが今まで見たことないようなカラフルな色ばかりだったんです。白もどこかクリームがかっていたり、ピンク、水色、黄色、デンマークの家みたいな色ばかりで。それを見て、ふと思い立ち、マグカップに水色の釉薬をかけて焼いてもらったら、自分の中でときめいたというか」
──何が安藤さんをときめかせたのでしょう?
「今まで白黒しか好きじゃなかったのに、なんとなくくすんだ水色でしたが、めっちゃいい色だと思ったんです。なぜこの色に惹かれたのかと思い返すと、そのとき見ていたデンマークの風景とすごくリンクしたというか。空の色、壁や家具の色、全てが繋がっていて、めっちゃ素敵な色やなと思えて。やっぱり陶芸が好きかもと気づき、すぐ帰国しました」
色を大事に探求することが、自分の陶芸のスタイル
──その後はどのようにここまできたのでしょうか。作風にも変化が?
「日本に戻り、丹波の先生の工房を使わせてもらいながら、神戸のアパートにも小さいアトリエを構えました。その頃、結婚をして、夫が富山の仕事をすることになったのを機に、氷見に引っ越し、5年間過ごしました。もともと白黒が大好きで服も持ち物もほとんど白黒で、弟子入りしていた時も白黒の作品ばかり作っていて、それ以外は使っていなかったぐらい。なのに、色に目覚めてからは、まず影響を受けた水色から取り組み出して、ちょっと淡いネイビーだったり、ちょっとくすんだ白などを作り始めました。丹波焼で修行していたときも、その後デンマークに行ったときも自然の風景をよく見るようになって、その美しさに魅了されたのがきっかけかもしれません。それに、たまたま富山県の氷見がデンマークの風景に似ていたので、海や空、立山連峰を見て、毎日感動していました。絶対飽きさせないんですよね、空って。それを見ながら作っています」
(左)コンプレッサーで釉薬を極薄に吹き付けることでなだらかなグラデーションが広がり霞や靄のような雰囲気に仕上がる。(右)自分では絶対に描けないような無作為な波打ちのような液だれのラインを出したいときに用いる手法。
──こうして安藤さんの作品を象徴する色が誕生したんですね。具体的にはどのように表現しているのでしょうか。
「釉薬にも温度や時間の影響をあまり受けないものもありますが、それだとブレないけど自分好みの色出しができないので、あえて複雑でグラデーションのような微妙な色味になるものを採用します。土にこだわる人もいますが、私は土はシンプルに黒土と磁器土の2種類に絞り込み、釉薬を複雑に絡み合わせて新しい色を作っていくことを楽しんでいます。でも計算できないことが多い分難しい」
(左)釉薬の調合の割合、窯入れの温度や時間を全て記録しているというネイルのカラーチップのような釉薬サンプル。(右)釉薬のストック。新しい色は失敗から生まれることも多いという。「ネイビーは、黒の釉薬を作るつもりが調合を間違えて青になってしまったのを、このままでいいじゃんみたいな感じで生まれました」
──形へのこだわりは?
「形には色ほどのこだわりはなくて。釉薬を見せるための物質のように捉えているので、色優先で考えています。例えば、新しい釉薬ができたときに、こんな形状だったらかっこよく見えるんじゃないかと。ただ器に関してはアプローチが全く違っていて、機能性が優先です。例えば、マグカップなら、いろんな形状を作るのではなく、絞り込んでこの形がいいと思ったら、それを作り続ける。それまでに本当に細かく計算して、試作に試作を重ねているので、どちらかというとプロダクトデザインに近いかもしれません」
──花器と食器では色へのアプローチは違うと?
「器は数を作る必要があるので、実験的なものではなく、ネイビーや白、ブルーグレーなど安定した色を使います。陶芸を始めた当時や独立したての頃は、器ばかり作っていたんです。ただ作っているときに面白い釉薬ができても、結構失敗もするんですよね。そのときに器ではなく、一点ものにしたほうがいいのかなと思い、花器を作り始めました。なので、いろんな形状が好きというよりは、一点物を釉薬で見せるには何がいいのかと考えた結果、一輪挿しが生まれました」
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──今、夢中になってる色の方向性はありますか。
「最近は触ったときに今までと違うザラっとした質感を目指して、研究しているところです。ギャラリーでの展示では、スポットライトを当てて完璧な状態で見せてくれますが、実際の家はもっと暗いし、棚の中だったらなおさらなので、微妙なグラデーションがあまり見えなかったりします。なので陰影をうまく捉えてくれる作品を作りたいと思って。光だけではなく、影さえも味方にできるような作品って何だろうと。そこで思いついたのが、表面に艶のない、ちょっとした凹凸や、ザラっとしたテクスチャーです。ただ、ベースは変わっていないから釉薬が硬くてなかなか流れないので、そこにとどまる釉薬を編み出しています。他にもやっている人はいますが、石のようなザラザラした質感だけど、“かっこいい”ではなく、渋い色合いの中にも女性らしい柔らかさみたいなものを、自分なら表現できるんじゃないかなと思って」
──女性ならではの感覚から生まれる表現のようなものでしょうか。
「曲線にしても女性のフォルムみたいなものが出ていると思いますし、色合いにしても柔らかいものになりますよね。自分の中では、男性らしさと女性らしさの両方が混在してるものが好きなんです。どんなものに対しても両極なものが一つになるというか。形は端正でシンプルだけど、色はもっと感覚的でつかみどころがない。自分自身の性格も男っぽさと女っぽさが共存していて、仕事に関してはストイックで、ほんま男みたいだとよく言われます。何か目標を決めたら脇目もふらず夢中になってめっちゃ頑張るんですが、いざやりだすと、なかなか一直線には突き進めず、波打つような感情の中で行ったり来たり日々ぐらついています。ああでもないこうでもないと渦巻く内面が色にも出ているのかもしれません」
つかみどころのない陶芸と一生付き合っていきたい
──陶芸をやろうと決心し、その先の目標は?
「世界で認知されるということは一つの目標でした。なぜかといえば、自分自身が日本にいたときにはアメリカに憧れて、アメリカに染まりたいと思っていましたが、その地ではじめて日本の陶芸の素晴らしさに気づき、なぜそれまで気づかなかったんだと。日本の感性や陶芸のレベルの高さは、一部のコアな人は知っているかもしれませんが、私みたいな一般の人は全然知らないから、日本の陶芸を世界に発信していきたいと思ったんです。陶芸をやると決めたときから、世界を見ていました」
──実際、海外の方からの反応はどうでしょう?
「海外の方からお求めいただく事も多く、とても良い反応をいただいています。作るときには意識してはいませんが、日本人としてのDNAと、自分が過ごしてきたアメリカ、ヨーロッパ、日本で見てきた風景がそこに取り込まれて、自然と雰囲気として表れているのかなと思います。でも私にとってはかなり大きいサイズの作品でも、海外の住空間からしたら小さいみたいで、一時は大きいものを作らないと、世界に発信できないと思い、頑張っていました。でも大きいものだと色が間延びする気がして、やっぱり小さいほうが好きなんです。それに以前、商業施設に納品するために大きい作品を4点ほど試作しましたが、体がガタガタになってしまい自分の限界を感じました」
──勝手なイメージですが、女性陶芸家で言えば、ルーシー・リーも小さい作品の中での表現が際立っていたように思います。
「私もルーシーみたいに、おばあちゃんになるまでずっと続けたいので、無理をしてまで大きいものとか、海外に向けてとか意気込むよりは、身の丈に合ったサイズ感で、自分が納得できるいいと思ったものを作って、それを誰かが使ってくれるのが理想です。昔の癖で目標を掲げたらそこに猛進していく、目標のために仕事をしているみたいなところから、もっと自分の内面に向き合い、謙虚に作っていきたいです。自分が飽きないように、どうやって続けていけるかということを考えています」
──飽きっぽいほうなんですか。でも陶芸を始めてから十数年が経ちましたよね。
「つかみどころがないものだからだと思います。つかめないながらも扱っていると、また違うものが見えてきたり。終わりのない模索する対象を見つけることができたというか。趣味でクッキーやパンを焼くのも好きで、写真も自分で現像して焼いていましたが、どれも共通して待たなければならない。一回手から離れるということが、自分を駆り立てているように思います。一度突き放される感覚というか、委ねなければならない、手に入らないみたいな感じがたまらないんですね」
──なかなか思い通りにならない相手みたいな?
「まさしく。でもどうにもならないことってあるから、陶芸は一生付き合えそうです」
Photos:Ai Miwa Edit & Text:Masumi Sasaki