セント・マーチンズで共に学生時代を過ごした小浜伸彦とリバー・ジャンが手掛ける「RIV NOBUHIKO(リブ ノブヒコ)」。“Wild Luxury”をコンセプトに、日常にフィットするクチュールを目指し、在宅の一般女性たちの手によるハンドワークを多用し、独自のメソッドとコミュニティを育てながら服づくりを行っている。二人のユニークなバックグラウンドと、そのルーツに深く根差したブランドのヴィジョンを聞いた。
「ロンドンのチャリティショップに入り浸っていました」
──おふたりは、セント・マーチンズの同級生。ブランドを一緒にやろうと思ったのはいつ?
小浜伸彦(以下、小浜)「今の僕たちにつながる話でいうと、卒業コレクションがきっかけだったと思います。校内のディスプレイで、僕とリバーが隣同士だったんです。その時、僕らが仲良くしていたチャリティショップのオーナーが見にきてくれて、すごくいいから、そのショップで売るためのコレクションをつくってくれないかと相談されて。使い残しの生地もたくさんあったし、じゃあ、一緒にやってみようとなりました。卒業後、ビザの期限が3カ月しかなかったので帰国ギリギリ前日まで作業して、なんとか仕上げたコレクションはすべてそのショップに寄付してきました」
──どんなチャリティショップだったのですか?
リバー・ジャン(以下、リバー)「オシャレな人たちが寄付した服や、アフガニスタンの子供たちがつくった小物も置いてあったりして、すごく好きなショップでした。売上はアフガニスタンに学校を建てるために使うなど、本当にすごい。私も一緒に何かやりたいと思いました」
小浜「そもそもロンドンって、チャリティショップが至るところにあるんです。僕らはチャリティショップが大好きで、暇があったら行くし、暇がなくても行くし、本当に入り浸っていました。クラスの友達ともチャリティショップの話しかしていなかった気がします」
──服のリサーチや素材集めなども兼ねて?
小浜「それは全くなくて、本当にただ好き。チャリティショップというのは、ドネーションの考えがベースにあるからなのか、売上を立てなければいけないということもないぶん、これ、誰が着るの?!みたいなエッジの効いた服がランダムにたくさん置いてあって、すごく楽しいんです」
──熱いですね。卒業後はそれぞれどのような道へ?
小浜「僕もリバーも、帰国後はそれぞれドメスティックのブランドで働きました。そのうちブランドをやってみたくなり、韓国にいるリバーに声をかけて、一緒に動き始めました。それがコロナのタイミングだったので、リモートで2年ほど続けた後、リバーが来日して今に至ります」
「リアリティのあるクチュールをつくりたい」
──ハンドワークを交えたデザインが特徴的です。このアプローチは当初から?
小浜「そうですね。改めて振り返ってみると、僕たちの卒業コレクションもハンドワークが多かったので、やっぱりそこがリブ ノブヒコのスタートポイントだと思います。
──チャリティショップのために制作した経験も、今に生かされていますか?
小浜「チャリティの考え方は、ずっと大切にしています。リブ ノブヒコではほとんどの服にハンドワークが入っているのですが、縫製工場や刺繍工場などを通さずに、職人ではなかった一般女性の方々を職人として育成し、手作業の部分をそういった在宅の職人さんにお願いしています。具体的には、結婚、退職、子育て、介護などさまざまな理由で家から出られなくなった女性たちです。必要な資材とパーツだけこちらで用意して、その後の作業は0から100まで、そのお針子さんたちの家で完結できる仕組みです」
──誰でも組み上げられるようなシンプルな形をモチーフとすることは、ブランドがやりたい方向性と連動していますか?
小浜「どちらかというと、リアリティのあるクチュールがつくりたいという考え方のほうに連動していると思います。シンプルに見えるかもしれませんが、実際の縫い方はかなり複雑なんです。縫いの工程を簡略化することを、外注する上での前提条件としては考えていないです」
──素人だと、仕上がりにバラつきがあったりしないですか?
小浜「もちろん人によって得意不得意があります。ただ、僕らはすごく細かい基準とカリキュラムを設けていて、いろんなテストをしているので大丈夫です。そのテストにパスできたら、問題ないレベルに到達していることになるので、そのプロセスを経て仕上がってきたものに対しては、設計図通りにできているかどうかをチェックするくらいで済みます」
──今、お針子さんは何人? どのように募集しているのですか?
小浜「減ったり増えたりしていますが、大体20人ぐらい。オンラインで探したり、求人サイトや地元の掲示板を使ったり。DMで応募してくださる方もいます。リモートでできるので、日本各地にいます」
リバー「韓国にもやってくださる方がいます。みんな楽しそうに仕事してくれているから、私たちも楽しい」
──着る人はもちろん、つくる人たちもそれぞれに楽しめる仕組みですね。
小浜「はい。リバーも僕も、ロンドン時代にメゾン系のブランドでアシスタントをしていたんですけど、そこで感じた違和感みたいなものが僕たちの根っこにあって。もの自体は素晴らしいのに、楽しみづらいというか、ハードルが高いというか。その敷居を低くして、作り手も着る人もみんなが楽しめるような感じにしたいという思いがあります」
リバー「私がいたのはセリーヌで、フィービー・ファイロは自分が着る感覚を大切にしている人だから、そこでの経験は本当に勉強になりました。ロンドンに行く前は、フセイン・チャラヤンとかマルタン・マルジェラとか、コンセプチュアルなファッションが好きだったんです。そこからだいぶ方向性が変わって、リアリティを大事にするようになりました」
フェミニンとカッコよさのバランスを象徴する「花」
──シーズンごとに、ストーリーやテーマはありますか?
小浜「あります。例えば25年春夏のテーマは「アッシュホワイト」。抽象的な花の絵を描くペインターがいて、その人の言葉がインスピレーションです。「部屋の中に花がある。その花はいずれ枯れて捨てられる。でもその花は、その場の空気が覚えていているから、そこにまだ存在している」っていう。儚さの中に強さが存在しているような、相反するもののニュアンス、コントラストに対するバランスを考えることが好きです」

これらのアイテムはNumero CLOSETにて取り扱い中
──毎シーズン、コレクションに花のモチーフが登場するように思います。
小浜「きっかけになったシーズンがあって、女性初のプロボクサーの言葉に着想を得たコレクションだったんですけど、彼女はこう言っていました。「女性はもう部屋を飾る花ではない。自立した人間になった」と。このメッセージがすごく好きで、花ではなくなった女性へ、逆に花を贈ろうというコンセプトを設けました。花のモチーフはそこから続いています。フェミニンさとカッコよさのバランスの象徴として好きなモチーフです」
──シーズンごとにストーリーを変えながらも、コンセプトは不変。
小浜「はい。僕らが考えるブランドのシグネチャーというのは、服のデザイン、ビジュアルよりも、もっとコンセプトに集中しています。チャリティの気持ち、バランスに対するアティテュードはこれからも曲げないでいきたい。その中で、新しいチャレンジはどんどんしていきたいです」
初のランウェイショーはルーツに立ち返り、夢を広げる
──来たる25-26年秋冬でランウェイデビューですね。
リバー「私たちがやっていることを多くの人に伝えることができる、リブ ノブヒコの名刺を差し出すような機会になると思っています。これまでリアリティを大切にやってきたけれど、ショーではもう少しドリーミーな側面も見せることができるのが楽しみです」
──テーマの “Lee” とは?
リバー「私の母の名前です。母はシングルマザーで私を育ててくれました。クラシックなスーツをよく着ていて、ブラックドレスも似合う自立した強い女性という感じで、本当にカッコいいと思っていました。でも最近、当時の母の年齢に近づくほど、実は意外とそんなに強くなかったのかも、すごく頑張っていたんだなとわかるようになってきて」
小浜「リバーのお母さんは、フェミニンな人でかわいいんですよ」
リバー「今、母のクローゼットは全部リブ ノブヒコのようです。いつも着てくれています。今回初めてランウェイをすることになって、スペシャルな機会だからこそ、母のストーリーをテーマにしたいと思いました。ここまで私が来れたのは全て母のおかげだから。ショーで何を見せるのがベストなのか、本当に色々と考えたのですが、やっぱり私たちが大事にしている人への感謝の気持ちを表現しようと決めました」
──韓国は、家族の絆がとても強いですよね。
リバー「確かに強いと思います。家族を大事にする文化です。日本でも私はお針子さんたちを家族のように思っていますし、大事なコミュニティです」
小浜「リバーは韓国に行くたび、海苔とかお土産をたくさん買ってきて、みんなに送りまくるんです。工場やお針子さんたちからすると、何の脈絡もなく海苔が突然届くので、これはどうすればいいんですか?と電話がかかってきたこともあります(笑)」
──いい話ですね。小浜さんはどんなルーツをお持ちですか?
小浜「僕の家族は結構ユニークです(笑)。自分は高校生の時に1年近くひきこもっていたんですけど、このままじゃまずいと思ってくれたらしい兄に、突然モンゴルに連れ出されて『この滞在中にお前は将来を決めるんだ』と強制されたりとか」
──それで、決まったんですか?
小浜「決まるわけないと思っていましたが、決まりました(笑)。母がデザイン関係の仕事をしていたから、僕もできるだろうと思ってチャレンジしてみようと」
──それで、エスモードに進学を?
小浜「はい。一度決めたら、意外とそのまま走り続けることができました。もし家に閉じこもったままだったら、ファッションデザインは選ばなかったかもしれない。その意味では兄に感謝です」

──お母さまがクリエイティブなお仕事だと、家もデザインやアートに囲まれた環境だった?
小浜「そこでいうと、父の存在が大きいです。父はアートが好きで、自分で描いた絵も飾っていました。職業は医者なんですけど、ロン毛でサンダルを履くような、ちょっと変わった人で、進路を決めるギリギリまでアートの道を歩んでいたらしいです。だから今でもアートへの興味や理解があって、リブ ノブヒコの展示会にも来てくれます」
──最後に今後のプランについて教えてください。
小浜「ひとつ考えているのは、サイクルをつくるということ。お針子さんに作っていただいたものの売上で、また別の人を助けるような、社会的なサイクルをつくりたいです。ブランドの規模がもう少し大きくなったら、そういうラインに着手しようと思っています。ファッションを介してみんなで楽しみながら、一緒に成長していきたいです」
Photos:Hiroki Oe Interview&Text:Miwa Goroku Edit:Masumi Sasaki