ミシン刺繍と手刺繍を組み合わせながら、糸で色を何層にも重ねて描き出す刺繍作家のLmrnuc(エルマルノウチ)。もともとファッションにルーツを持つ彼女は、ヴィンテージのドレスの買い付けで出合った、カフタンドレスなどに施された刺繍に感銘を受けたのをきっかけに、刺繍で表現することに目覚める。生まれ育った街を離れ、心機一転、作家活動をスタートした彼女にとって刺繍とはどんな存在なのか。創作の原点、新しい自分への思いを聞いた。

──刺繍を始めたきっかけは?
「前の仕事でヴィンテージのドレスを買い付けしているときに、たくさん素晴らしい刺繍を見て、なかでもカフタンドレスのような民族衣装に施された刺繍に感動し、夢中になった時期があります。そこから、自分でもやってみたいと思うようになりました。でも憧れのドレスのようなデザインよりも、好きなミュージシャンや映画のキャラクターを刺繍するほうが楽しくなって没頭しました。あまり筆で描く絵は得意ではありませんが、糸と針があったら楽しく描けるというところから始まって、刺繍は表現手段として自分には性に合っているみたいで気に入ってます」


──刺繍するモチーフのアイデアはどこから?
「パネルに描いた女の子は、ぼーっとして好きなことを考えているときの心がどこかへ行ってしまっているような、そういう人を見て。頭の中に溢れているものが表情には出てこない、みんながみんな顔に出しているわけではない、それでも滲み出てしまうものを縫い表してみたくて作りました。ほかには、今日見た夢が面白かったなという記憶から練ったり、その時々でさまざまです」
──では、そんな女の子の様子をどう刺繍で表現するのでしょうか。
「これはいろいろな人の顔を組み合わせて作っています。AIが生成したものではなく、実在している人物の顔をミックスしています。自分が撮影した人たちの顔を組み合わせてはいますが、顔や頭の部分は男性で、三つ編みの髪の毛だけ、髪が長かったときの自分です。まず最初に絵を作って、それをお手本に模写するように刺繍をしていきます」

──どのように刺繍をしていくのでしょう?
「ミシンで絵を描くように刺繍し、それと手刺繍を合わせています。決まりはありませんが、手だけだと私がイメージしている質感よりは柔らかく仕上がることもあり、フリーモーションと呼ばれるミシン刺繍などと組み合わせるのが好きです。ミシンと手のバランスは、モチーフによっても、使う生地によっても変わります。生地は基本的には、洋服を作っている方から譲ってもらった布を使用しています。もともと古着を扱う仕事をしていたので、着られなくなった服や余ってしまう生地を使って何かを作るということがすごく好きで」
──ミシン刺繍というと、横振り刺繍を思い浮かべますが、エルマルノウチさんの刺繍は油絵のように何度も何度も入ったり来たりと縫い重ねているんですね。
「糸を重ねることにこだわりがあるというよりは、どうやったら自分の思い描くイメージに近づけるのか想像を膨らます中で現れる自分の中のカオスな状態が刺繍に出ている気がします。もっとシンプルな表現にも憧れますが、それが今の私のスタイルになっているという感じかもしれません」


──刺繍作家として新たなスタートを切ることにしたのはなぜ?
「それまでは、東京で古着を扱っていたり、ファッション関係の仕事をずっとしてきました。ファッションに心を燃やしていたときは、まだ世界情勢、環境問題含め知識の部分が、今もまだまだですが、当時はもっと何も知らず、服の過剰生産の問題に対して、噛み付くような発言をすることもありました。今は大事にしたいことは、攻撃的にならなくても、大事にできると学びました。時には噛み付くことやそういう人も必要だと思うんですけど、私のスタイルはそうでなくとも、作品を作り続けていくことで何かを発信できればいいんだという結論に至りました」
──これからを見つめ直したときに、自分の居場所はそこではなかったんですね。
「刺繍を元々やってみたかったのもあったし、東京だと仲間がいっぱいいる分、甘えてしまうのと、自分の成功体験も失敗も全て詰まっているので、場所を離れることで、単純に気分転換したかったのもあります。たまたまご縁があって京都に移住することにしましたが、周りの人たちも親切で楽しく、自分に合っているようです」
──この土地が作品制作の上で影響を与えることはありますか。
「すごくあります。特にアトリエのあるエリアは、音楽との距離がすごく近い。DJをはじめ音楽に関わって生きている友人が増えて、東京でも音楽は身近でしたが、もっと距離感が近いような気がします。仲間たちとリスニングバーで楽しく過ごしているうちに、自分ひとりでも通うようになりました。そういう場で作品のフィードバックをもらえることもありますし、実際に作品を見ていただいてプロジェクトのきっかけをいただくことも。お店の人たちがお客さんたちにインスタを見せながら私を紹介してくれることも多くて。京都に移住してからそういう新しい繋がりが始まった気がします」
──ところで、使う道具にも何か思い入れがあったりしますか。
「あります。ミシンはそのひとつです。この裁縫箱は初めて自分で選んだもので、小学校一年生のときからずっと大切に使っています。糸切りバサミはアトリエを借りたときに友人がプレゼントしてくれた刺繍用のもので、これを使うようになってから驚くほど作業効率が上がって、一生使い続けたいと思える宝物です」
──小学生時代の裁縫箱を未だに愛用されているとはすごいです。
「6歳のときに選んだ裁縫箱なので、自分が今よりもっと自由だった頃と繋がっている気がして。真っ直ぐ縫うよりもいろいろ動かしながら縫うほうが好きだとか、憧れはあるけれど、今のようなフリースタイルでやるほうが好きだという、自分の種というか原点がここにあると思っています。
刺繍をしている時間は、何かを描きたいという想いが刺繍に繋がったり、絵本作家になりたかった子どもの頃を思い出したり、いろんな時代の自分と遊んでいるような感じです。好きな音楽を聞きながら一人で黙々と制作していることが多いんですが、自分にとっては瞑想のような感覚です」
──刺繍をする時間は、自分との対峙の時間なんですね。
「移住したばかりの当初は、友達もいなかったので、一人の時間が増えて、座禅も体験しに行ったりもしましたが、座禅中に起きていることは、刺繍中とほとんど同じでした。その体験を重ねるうちに、刺繍をすることは私にとってメディテーションなんだという理解をしました。京都に来て学んだことの一つです」
──刺繍中は何か思考をめぐらせているのでしょうか。
「考えるときもありますし、ただただ没頭しているときもあります。何かを考えることは好きですが、今は自分の自然な状態を何よりも楽しみたいので、見せることに捉われず、余計なことを無理に考えず、自分の楽しい、嬉しいといった純粋な感情を大事にしています。刺繍って時間がかかる分、その時の心の状態が作品に反映されていくと思うんです。自分は陰と陽でいうと、陰のほうだと思いますが、暗くてもいいけど決してネガティブにはならず、心地いい状態で続けていきたい。心地よさが全てです」

Photos:Ai Miwa Edit&Text:Masumi Sasaki