水面に広げた墨や絵の具が生み出す色柄を、吸い上げるようにして紙などに写しとる墨流し。日本では平安時代の貴族たちが、川に墨を流して遊ぶようになったのがはじまりといわれている。「昔から広く楽しまれてきた一方で、技法そのものは大きくは発展していないように思う。そこに自分が追求する意味があると考えています」と、その可能性に着目し、個人の作家として、またDWS名義のチームとしても幅広く活動しているアーティストの新井緑にインタビュー。
──墨流しに注目したきっかけは?
「ヘアメイクの専門学校を卒業後、アシスタントをしていた時に、その学校がサマーソニックにブースを出すから、何か面白いコンテンツをやってほしいと相談を受けたのが始まりでした。そのイベントで卒業生として集められたのがDWSメンバーの3人(Cota/Kaol)で、水面に浮かべた色を体に転写できたら楽しそうだなとひらめいて、3人で手探りで数週間ほど実験してみたら、なんとなくできるようになって。その時の楽しさが墨流しを始めるきっかけになり今に至ります」
──改めて、墨流しとは?
「墨流しは日本の伝統技法のひとつといわれていますが、平安時代の貴族の遊びとして、川に墨を流して和紙に写しとり楽しんでいて、それが浮世絵の背景などにも使われるようになり、着物の染めものなどにも発展していったそうです。墨流しは自然の力を借りて、水や風のうごきを使って水面に描きだしていく。自分のちからだけでは絶対に作り出すことができない、神聖とも思える伝統技法だと感じています」
──誰でもなんとなくキレイにできちゃう?
「そうですね。自然の力がはたらくので、初めての人でも何となくそれなりの模様が作れてしまうけど、自然の力が加わるからこそ、水面に広がる色をコントロールするのは難しい。簡単な技法に見られてしまいがちなのに実際に突き詰めるのは難しく前例がない。そういったこともあり、柄(技法)の基本は昔から大きな変化はなく、突き詰める人が少なかったんじゃないかなと思います。だからこそ、この技法をいろいろな方向性から突き詰めていくことができたら、見たことのない面白いものができたりするのかもしれない。そこに自分がやる意味があると思っています」
──アーティストとして、どのように活動を始めたのですか?
「先ほどお話ししたフェスのイベントで集まった3人でDWS(Dirty Workers Studio)というチームを立ち上げ、現在は香港人タトゥーアーティストのWiniとマネジャーKUMAが加入し、一緒に活動しています。活動当初は一瞬で人肌をマーブル模様に染めあげる日本初の“ボディーマーブリング”というペイントを主に、国内外のイベントや音楽フェスなどを周って活動していました。チーム活動をする中で、更に墨流しの技法を突き詰めるためには、一人で墨流しと向きあう必要があると感じて個人制作をスタートし、個展やアーティストさんとのコラボレーション制作など作家活動もしています」
──企業とのコラボレーションワークも多数。特に面白かったのは?
「面白い経験は沢山ありましたが、一つ挙げるならトルコのファッションブランドとチームでのコラボレーションがすごく記憶に残っています。初めての海外の仕事だったんですが、突然Instagram経由でDMが来て、コラボレーションの洋服を作ることになりました。トルコにも呼ばれて、イベントで洋服を染めたり、ボディーペイントをしたり。
最終的に7回もトルコにいくこととなり、最後のコラボレーションでは墨流し模様のキャンピングカーに乗って、トルコの各地を周ってペイントをさせてもらいました。トルコでの経験は衝撃的なことも多く、とても思い出深くて、ブランドの方々には心から感謝しています」
──墨流しから生まれた新しい技法としては、どんなものがありますか?
「水面上で絵の具をバキバキとクラックさせる技法です。墨流しは水や塗料の性質や、それぞれの相性がかなり影響してくるので、それを活かしてこの技法をみつけました。それと、この技法を一番に表現できると感じてベースに使用しているアクリルパネルへのペイント。水を吸収しない素材のペイントは難しいのですが、色を定着させることもできるようになりました」
──どうやってできるようになったのですか?
「とにかく試行錯誤の繰り返しです。染めものなどの基礎知識があればもっとスムーズにできたかもしれませんが、私の場合は独学ですべてが手探りなので、徐々に進化させてきました。私は美大等は出ていなくて、美術の基礎は知らないまま活動しているので、時間がかかっているかもしれませんが、そのぶん自由に楽しめている面もあるんじゃないかなと思います」
──使う色のこだわりは?
「普段、自然から力をもらったりインスピレーションをもらうことが多く、例えば空も森も海など、自然が作りだす色以上に美しいものはないと思っていて。なので作品をつくるときには自然では作り出されない配色や柄を使って、見たことのない美しさや面白さを作り出せるように意識しているかな」
──一見、石の断面を思わせる複雑な色柄が印象的です。水面での作業は、どのくらいコントロールできるものでしょうか。あるいはしようとしていますか。
「水面はある程度コントロールはできるようになりました。コントロールできない部分も把握しているので、あえてそれを利用して制作することもあります。
例えば水面をわざと荒く動かして、そこで自然に生まれる水の動きを使ったり。なので、狙う部分と、狙いきれない部分の両方を楽しんでいる作品が多いですね。一方で、今年取り組んだ白い影作品のシリーズは、完全に狙って仕上げていきました」

──墨流し以外で注目しているアート、好きなカルチャーなどありますか?
民族や工芸品に惹かれます。特にアジアや中東。父が世界各地の途上国で仕事をしていた関係で、子供時代の一時中国で過ごしました。母は音楽家で中国楽器の先生をしていて、家にはいろんな楽器や工芸品、謎の仮面とか、不思議なものに囲まれた家でした。いま振り返ってみると幼少期の環境が無意識的に制作に大きく影響していると思います。
──最近、タトゥーの仕事もスタート。
途中からDWSのメンバーにも加わった友人のWiniがスタジオ(The good cat scratch)を立ち上げることになって、それを機にスタートしました(Instagram:@midori_dws_tattoo)。タトゥーには元々興味があり、墨流しの技法と組み合わせることができたらまた新しく面白いものが見つかりそうだと思い。墨流しタトゥーのデザインはすべて水面で作った作品をスキャンし、デザイン化しています。
──いろんなことにトライしていますね。
「気になったら、まず自分でやってみたくなるんです。体感することがものすごく楽しいし、頭で想像しても、やって確認しないとわからないなって思ってしまう。なのでとりあえず触れてみる。飽きっぽい一面もあるんですけど、そんな中でも没頭できたのが墨流し。まずは10年続けようと覚悟を決めて始めた墨流しは、自分にとって凄く特別なものです。2025年の8月でちょうど10年になりますが、まだまだ楽しいし、まだまだ続けます」
──どんなサイクルで活動していますか?
「その時々で違いますが、DWSのチーム活動、個展などの作品づくり、あと最近はタトゥーの仕事など。時間があれば旅行に行くのも好きです。33歳を超えるころには時間を自由に使える人間になりたい、と、下積み時代に心から願っていたので、その夢は叶ったかな。忙しくても自分で生きる時間を管理できる毎日が幸せです」
──これからやってみたいことは?
「やってみたいことは沢山ありますが、その一つは、私は職人さんが好きなので、いろんな職人さんと一緒に制作に挑戦していきたいです。墨流しのいいところは、脇役にもなれるところ。和紙はもちろん、布、陶器、などさまざまなものを染めることができるので、これからも見たことのない表現を探っていきます」
Photos:Ai Miwa Interview & Text:Miwa Goroku Edit:Masumi Sasaki, Chiho Inoue
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