トラウマの向こうに見えるもの、ルイーズ・ブルジョワ展「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」@森美術館
母への思い。父との葛藤。自らの存在を逆境を生き抜く「サバイバー」と位置づけ、フェミニズムの文脈でも高く評価されるアーティスト、ルイーズ・ブルジョワ。彼女はなぜ、作り続けたのか。森美術館での個展を機に、ひもといてみよう。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2024年11月号掲載)
亡き夫のハンカチに刺繍された言葉は「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」
キュレーターインタビュー:ルイーズ・ブルジョワが導く光
展覧会の副題は「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」その心やいかに? 森美術館キュレーターの椿玲子が語る、非凡なる創造の所以とは。
人生のトラウマと向き合い、制作を続けたアーティスト
──ルイーズ・ブルジョワは98歳で亡くなる直前まで制作を続けていたそうですが、創作の原動力はどこにあったのでしょうか。
「ブルジョワは『芸術は正気を保証する』という言葉のとおり、社会的な大義名分よりも生死を懸けた必要性から創作し続けたアーティストです。女性のエンパワーメントにおいて重要な作家といえる存在ではありますが、本人としては自らを『フェミニスト』『アクティビスト』と形容したことはありませんでした。個人史におけるトラウマの記憶に向き合い、制作のエネルギーにしながら、ある種の神話的世界観を生み出し続けることで、結果的に社会的な問題提起をも行った稀有な作家だと思います」
──彼女のトラウマとはどういうものだったのでしょうか。
「大きくは家族との関係です。母は父と一緒にタペストリー修復工房を営んでいたのですが、スペイン風邪で亡くなってしまいます。母の病が悪化した頃には、彼女はヤングケアラーのような日々を送っていました。そして亡くなった直後、絶望のあまり投身自殺を図ります。それを父が助けるのですが、父も彼女にとって葛藤を引き起こす存在でした。彼女が10代の初めの頃に雇われた年若い家庭教師と父が愛人関係になったのです。愛憎が入り交じる複雑な家庭環境の中で、両親からの愛をずっと求めていたのだと思います」
──家族について描いた象徴的な作品やモチーフはありますか。
「『5』という数字は、家族を表すものとして作品によく使われています。まず父親、母親、姉、本人、弟の5人家族だったこと。そして1938年に結婚した夫とは、一人の養子と実際に出産した子ども二人と家庭を築いています。作品を通して見ると、うまく家族と調和していきたいという気持ちが表れている。晩年の作品にも赤子に乳をあげる母親がモチーフの連作がありますが、まさに赤子のように母親の愛情をずっと欲していたのではないかといわれています。また、制作を通して常に男性と女性、意識と無意識、希望と恐怖、不安と安らぎなど、相反するものの間にある感情や心理状態を探究していたといえます」
──六本木ヒルズの象徴といえるクモの形のパブリックアート作品『ママン』も、母との関係性を表したものでしょうか。
「そうですね。『ママン』のプロトタイプであるクモの彫刻が発表されたのは2000年、ロンドンのテート・モダンの開館時のことでしたが、この展示で彼女は塔のような形の3点『やる』、『もとに戻す』と『やり直す』をも発表しました。クモは巣を張る生き物ですが、巣は壊れてもまた修復できる。そうした姿をタペストリーの修復工房を営んでいた母に重ねつつ、自身の姿をも投影していたといわれています。家族や子どものために、時には命をなげうって戦う狂気を含んだ母親の複雑性が描かれた作品です。『ママン』は現時点で六本木ヒルズのものを含め、世界各地に7点が展示されています」
──父との関係はどのような影響を与えましたか。
「38年に夫と出会ってすぐに結婚し、その直後にフランスからニューヨークに引っ越しており、よほど父を含むフランスでの生活から離れたかったのだろうと思いますが、51年に父が亡くなったことがきっかけで鬱になってしまいます。縁が切れていたわけではない父のことを恨むというよりも、認められたい気持ちが強かったのではないでしょうか。鬱を機に、その後10年余り制作の手を止めて精神分析に向き合っていました。本展では、その時期に書かれた『精神分析的著述』といわれる心理や夢、感情を記録した言葉も壁面に掲出します」
逆境に立ち向かう姿勢とユーモアが放つ共感の地平
──82年には、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で女性彫刻家として初めて個展を開催しています。まだ女性作家が評価を得にくい時代のこと、どんな背景があったのでしょう。
「夫が亡くなった73年に、キュレーターのルーシー・リパードを筆頭とする19名の女性アーティストやキュレーター達が、彼女の大規模個展を要望する手紙を連名でMoMAの主任キュレーターに送っています。そのときは実現に至らなかったのですが、後任のデボラ・ワイによって開催が実現しました。アメリカでは60年代からいわゆるフェミニズム運動が高まり、アーティストたちもジェンダー不平等の是正運動を行っていた70年代頃は、ブルジョワもよく参加していたそうです。女性を守ると同時に縛りもする家に覆われた女性像の絵画シリーズ『ファム・メゾン(女・家)』も、この頃に高い支持を集めた作品の一つであり、その反響を受けて改題したものです」
──制作の原動力である家族への思いやトラウマは解消されたのでしょうか。
「晩年になっても薄れることはなかったようです。74年の『父の破壊』は、食卓の上で家族と共に父を殺してバラバラの体を食べる様子を表した劇場型作品ですが、01年の『拒絶』でも拒絶しながら愛を求める複雑な心理が表現されています。本展では年代順ではなく、第1章『私を見捨てないで』、第2章『地獄から帰ってきたところ』、第3章『青空の修復』とテーマで章分けをしていますが、第3章の作品で多く使われている青色は、自由や解放、安定を表す色とされています。このセクションでは、家族との和解を目指していたことがわかるような作品を集めて終章としています」
──椿さんから見て、ブルジョワ作品のどのような部分が人々の心をつかんでいると思いますか。
「理性と狂気、繊細さと強烈さなどが共存し、個から発しつつも神話的で、ものすごいエネルギーを感じられる作品だからだと思います。個人的には、本展のタイトルに引用した作品『地獄から帰ってきたところ』をはじめとする作品群のブラックユーモアとウィットに、クスッと笑ってしまいます。逆境に立ち向かうときこそ、知性とユーモアが必要なんだと思わせられますね」
「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」
日本では27年ぶり最大規模となる展覧会。
会期/2024年9月25日(水)〜2025年1月19日(日)
会場/森美術館
住所/東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー53階
TEL/050-5541-8600(ハローダイヤル)
URL/www.mori.art.museum
※最新情報はサイトを参照のこと。
Interview & Text : Yoshiko Kurata Edit : Keita Fukasawa
Profile
(写真)自身の版画作品『聖セバスティアヌス』(1992年)の前に立つルイーズ・ブルジョワ。ブルックリンのスタジオにて。
1993年 Photo: Philipp Hugues Bonan 画像提供:イーストン財団(ニューヨーク)