池松壮亮 × 奥山大史『ぼくのお日さま』対談 「ゆらぐ心、言えない言葉の身体性を探る」
奥山大史監督の長編2作目となる映画『ぼくのお日さま』は、吃音のあるホッケー少年、フィギュアスケートを学ぶ少女、元フィギュアスケート選手のコーチの3人の視点で描かれる淡く切ない恋の物語。奥山監督とコーチ役を務めた俳優、池松壮亮が今作における身体表現、身体と心のつながりについて語り合う。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2024年10月号掲載)
──奥山監督ご自身がフィギュアスケートを習っていたそうですが、スケートを通して得たものはありましたか。
奥山「子どもの頃に7年ほど習っていました。姉が選手を目指していたので、僕は隣で見ていてすごいなと感心しつつ、先生が優しくて楽しかったいい思い出というくらいで、そこから何かを得るまでには至らなかったのですが、その頃、あんなふうに滑れたら気持ちいいだろうなと憧れていた記憶がこの映画につながったので、それはスケートによって得たことなのかもしれません」
──池松さんはスケート未経験だったそうですね
奥山「運動神経が良いというのはこれまで映画の中の池松さんの殺陣を見たりしてわかっていたので、大丈夫だろうと。スケートはある程度の時間、たくさん滑って感覚をつかむことが大切です。しかも、フィギュアは、氷の上にただ立っているだけでも、経験者かそうでないかの差が歴然と出てしまう競技なんですね。池松さんならリアリティを出せるまで全力で取り組んでくださると確信していました」
池松「スケートと映画の相性がいいことは想像できましたし、うまくいけば絶対に面白くなる。さらに、スケート経験がしっかりとある奥山さんが撮るという点で勝算が見えていました。ただ、僕自身は氷の上に立ったこともない全くの未経験者でしたので、未知の領域で『やります』と受けてしまったんです。練習を始めてからその難しさを知りました。スケートリンクに半年間通って練習させてもらったのですが、たった2、3秒も手すりなしに立っていられないんです。オリンピックを目指すような子どもたちがスイスイ滑っている隣で、僕は一人、ヘルメットをかぶって何度も何度も転んでいる。子どもたちに笑われながら、泣きながら練習を続けました(笑)」
奥山「スケート場によくある貸し靴なら立つことも簡単なのですが、池松さんはコーチの役を演じてもらうので、最初の数回だけ貸し靴で滑ってもらって以降は、難易度の高いプロ用の靴で練習してもらったんですよ。撮影ではどうにかうまく見えるように撮っていただいて。カメラを担いだ奥山さんも、タクヤ役の(越山)敬達も、さくら役の(中西)希亜良もみんなとても上手なので、足を引っ張らないように必死でした」
──でも、3人が結氷した湖の上で遊びながら滑るシーンはとても印象的でした。
奥山「あのシーン、池松さんの撮影初日だったんですが、いきなりあの親密な空気をつくったのはさすがでした。ここで人の距離がぐっと近くなったし、湖のデコボコの氷上を滑ることで池松さんのスケートも一気に上達しましたよね」
池松「何度も言いますが、とにかく必死でした。さらにあのシーンは僕の撮影初日で、ほぼ初対面の二人に、心を開いてもらえるよう話しかけ続けました。ウザかったかもしれません。こんなに共演者に話しかけたのは初めてでした。この映画においてとても重要なシーンで、3人が自然の中で解放されて、お日さまの下で心から楽しそうに一緒に時を過ごす瞬間を目指したいと思っていました」
奥山「前日にホテルのロビーで、池松さんとスケート監修の森(かなた)さんと3人で集まって、やることリストを作ったんですよね。『アイスダンスごっこ』『鳥の真似』『追いかけっこ』『回し合い』と、動きに名前を付けて、箇条書きにして。当日、池松さんが、メモを確認しながら次はこれをやるぞと」
池松「二人は何をやるかをその場で知るので、ほんとに楽しそうに遊びに付き合ってくれました」
奥山「越山さんと中西さんはスケート経験者なので、スケートに対してプレッシャーは少なかったと思います。中西さんは全日本大会を目指す『ノービス』と呼ばれるクラスで頑張っていた人なので、とても技術がありましたし、その年代には珍しくアイスダンスの経験もありました。それはとても大きかったです」
──今作でアイスダンスを取り上げた理由は?
奥山「シングルで別々に滑るよりも、ペアで演技をするアイスダンスはお互いの信頼関係、静と動の躍動感を表現しやすいんですね。二人が近付いたと思ったら離れていくような、人物同士の距離感で人間関係を描きたいというのが理由です」
──今回のスケートに限らず、池松さんは他の作品でも短期間で動きを習得する機会がありますが、池松さんなりの習得方法はあるのでしょうか。
池松「残念ながらありません。許される限り時間と労力を使うだけです。僕がどれだけ練習しても、実際のコーチの足元にも及びません。荒川はプロとして活躍した末に、現在はコーチをしている。その歴史は身体に刻まれ、蓄積から醸し出される風情もあります。人生の経験は声や雰囲気にも表れます。俳優がどれだけ準備をしても、そこに費やした年月の説得力に勝るものはありません。それを前提とした上で臨むことが重要だと思います。わかったふりをしない。イメージで演じない。半年間、5人のコーチに教えていただいたんです。コーチは年齢、性別もさまざまでしたが、どんな人生を経てその人が存在するのか。近くで観察させてもらえた時間が、この役を演じる上で大きな助けになりました」
奥山「僕がスケートを習っていた頃に友達だった子が、今、そのリンクでコーチをしていたんですよ。池松さんのコーチにもなってもらって。個人的に感慨深いものがありました。他にも僕がかつて習っていたコーチなど、いろんな方にお願いしました。スポーツ選手のなかでも、フィギュアはとりわけ選手生命が短いんです。現役を終えるとプロのスケーターになったり、解説者やコーチ、就職して会社員になる人もいます。引退を決めた理由は選手によってさまざまですが、現役を退いた人特有の色気があるように感じるんですね。男性が多いのですが、さまざまなコーチの皆さんから教わることで、池松さんにもそれが伝わったらと心のどこかで思っていました。撮影が始まってからカメラを通して、あの半年間で池松さんはスケート技術だけでなく、僕が感じていたあの雰囲気も習得してくださったと確信しました」
池松「アスリートの選手生命は比較的短いですから、現役時代を終えた独特の色気や哀愁がありますよね。脚本からもそれを感じましたし、教えることに情熱を傾けつつ、自分が何かを諦めた、夢を終えた経験があり、それを子どもたちがまた繰り返す。それを飲み込んだ上で教えているような達観した視点を荒川からも感じました」
言いたいこと、言ってしまったこと、言えなかったこと。言葉の持つ身体性
──身体表現ということでは、吃音のあるタクヤの描写もありました。
奥山「前半では、社会という集団から距離を感じている3人が、環境が違えど無意識的に共感し合って寄り添うという流れを作りたいと考えていたときに、ハンバートハンバートの『ぼくのお日さま』という曲に出合い、この曲の『ぼく』を主人公にしたいと考えました。それが吃音という要素を入れるきっかけです。僕の同級生にも吃音の子がいたんです。クラスのみんなと仲が良かったし特別視することもなかったのですが、本当はどうだったのだろうと、吃音の子どもたちが集まる2泊3日のサマーキャンプに参加したんです。子どもたちと一緒にキャンプをして、いろんなことを話すんですが、一人の子が吃音について『理解してほしいんじゃなくて、ただ放っておいてほしい』と言っていたんです。それを聞いて、タクヤの気持ちをわかって全肯定してくれる、コウセイという友達を主人公に寄り添わせたら、自分も描けるのではと思いました」
──家族の食卓で、タクヤのお父さんも吃音だとわかるシーンがありましたね。
奥山「サマーキャンプで夜のディスカッションが終わると、子どもたちがそれぞれの親御さんのほうに走っていくんです。親御さんも吃音があって、お互いに言葉に詰まりながら会話している光景をよく目にしました。吃音のある人は約100人に1人の割合で、遺伝的要因が約7割ともいわれているそうです。言葉に詰まりながら親子で話している、その家族にとっては当たり前の光景を描くことで、吃音によって本人は孤独感を抱えているかもしれないけれど、独りぼっちではないと表現したかったんです」
──荒川コーチは、タクヤの吃音をどれくらい気にかけていたと思いますか。
池松「今作は言葉にまつわる物語でもあると思っています。言いたいこと、言ってしまったこと、言えなかったことを3人がそれぞれ抱えています。今作の主題歌の冒頭の歌詞『ぼくはことばがうまく言えない』とは、3人のことだと思っています。主人公は吃音がありますが、言いたいことがうまく言えないという経験は、誰しもが持っていると思います。今はネット上で自由に議論ができて、誰もが発言できる時代です。騒がしくもありますが、悪いことではありません。一方で、言葉を発しない人も大勢います。沈黙にもたくさんの言葉が詰まっているのではないか。この映画で、この世界にある沈黙に耳を傾けることができるんじゃないかと思っていました」
──台詞のないシーン、例えばさくらの横顔であったり、荒川コーチが恋人の五十嵐を見る表情なども雄弁だったし、タクヤが自宅で、さくらが学校の廊下で、それぞれが一人で振り付けの練習をしているときの表情も印象的でした。
奥山「誰かが誰かを見るとき、視線の先の人だけではなく、見ている側の表情をしっかり撮ろうと、表情と視線を意識しました。振り付けの練習は、教室でのシーンを撮影したとき、少し空き時間ができたんですね。そこで助監督さんが何か撮ろうと提案してくれて、中西さんに即興で振り付けの練習をする動きをしてもらったら、逆光でとてもいいシーンになって。そしたらタクヤのシーンも必要だと、そんなふうに追加していきました。3人でカップラーメンをすすりながら振り付けをしているシーンも、池松さんが提案してくれたものです」
──作中、荒川コーチは五十嵐と同性カップルとして一緒に暮らしています。ゲイとして生きる荒川の日常を描く上で、奥山監督と池松さんの間でどんなやり取りが?
奥山「特別に何かを意識してというよりも、誰かを好きになった一人の人としてそこに存在してほしいと考えていたので、池松さんとその点に関する具体的な話し合いはなかったですよね。若葉さんは、自分が演じていいものかと慎重に検討してくださったので、お返事をいただく前に、僕のほうで、タクヤ、さくら、荒川、そして五十嵐がこれまで歩んできた人生を自己紹介文の形にまとめてお送りしたんですね。役作りのきっかけになるかもしれないけれど、もしかしたら、役作りの上では縛りになることもあるかもしれないと不安もありつつ。若葉さんはその文章を読むことで、何か腑に落ちる感覚があったようで、それからすぐに出演のお返事をいただきました」
池松「LGBTQ+だから特別に何かを強調するのではなく、自然と惹かれ合った二人がただ一緒に暮らしている。荒川と五十嵐の関係も、見る人にはっきり示さなくてもいいと思っていました。二人の関係性は、説明するのではなく、二人を観察していればわかるものにしたいと思っていました。人と人とが惹かれ合って生活している親密さを見せるような方法で考えていました」
──最後に、日頃からたくさんの映画作品をご覧になっているお二人に、身体と心のつながりについて新しい表現だと感じた作品を教えてください。
奥山「この作品で台北映画祭に参加したのですが、『兵兵男孩』(原題)という卓球でダブルスを組んでいる少年たちの映画がありました。子どもの心の揺れ動きを描くスポーツ映画はいくつかありますが、とても丁寧に卓球を捉えていて、新しい身体表現もあり、かつエンターテインメントに仕上げていました。子どもとスポーツにおいて、まだまだやることがあるなと感じました」
池松「被写体としての身体性はものすごく重要ですし、それを、重要なものとして捉えている映画が好きです。身体には感情や心が宿ります。俳優が肉体を使って、それを的確に捉えている作品を見ると喜びを感じます。例えば俳優でいえばホアキン・フェニックスは、自分の身体の使い方を熟知していると思います。他にも、フランツ・ロゴフスキや、ジョシュ・オコナー。ジョシュ・オコナーが出演しているルカ・グァダニーノ監督の『チャレンジャーズ』はテニスの世界を背景に三角関係を描いているんですが、ルカ・グァダニーノが俳優たちの肉体を見たことのない真新しい方法でダイナミックに撮っていて、まだまだこんな表現があるんだと驚きました」
奥山「面白そうですね。僕も見てみます」
『ぼくのお日さま』
吃音のあるアイスホッケー少年のタクヤは、フィギュアスケートを練習する少女、さくらに心を奪われる。その後さくらのコーチである荒川の提案で、タクヤとさくらはペアでアイスダンスの練習を始めることになり……。
監督・撮影・脚本/奥山大史
出演/越山敬達、中西希亜良、池松壮亮、若葉竜也、山田真歩、潤浩 ほか
公式サイト/https://bokunoohisama.com/
©️2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉAS
全国公開中
Photos:Shunsaku Hirai Interview&Text:Miho Matsuda Edit:Chiho Inoue