ファッション表現の「いま・ここ」と向き合う、山縣良和の視線の先
リトゥンアフターワーズのデザイナーとして、また私塾「ここのがっこう」を主宰する教育者としても活躍する山縣良和。デビュー後17年間の作品を振り返る大規模個展を開催したばかりの彼に、自身が大事にしていること、ファッション表現への思いについて聞いた。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2024年9月号掲載)
デビューから17年間の作品が
一堂に会する初の個展を開催
──美術館の展覧会出展は過去4回ありましたが、個展は初。開催の経緯は?
「キュレーターの宮本武典さんにお声がけをいただいたのが、会期まで約半年というタイミングでした。時間もバジェットも限られている中、最大限できることを考えていきました」
──熊手を模した「七服神」をはじめ、もとより大作が多いリトゥンアフターワーズ(以下、リトゥン)のアーカイブは、想像以上に圧倒的な物量でした。
「前提として、単純な回顧展にはしたくないという気持ちがありました。そもそも僕にオファーいただいた意図は、単純にマネキンを並べて見せていくような、オーソドックスなファッション展が求められているわけではないとすぐに理解しましたし、一方で、美術の空間でファッションを見せることの難しさについては、それこそ10年以上前から考えていたので、今回も苦慮しました」
──パルコミュージアムの『絶命展』(2013)ですね。
「はい。そのときは、生身のモデルさんが服を着て、ずっとそこにいてもらうという展示でした。全日程をそれで通すのはさすがに難しいので、半分はマネキン展示に切り替えて、ファッションの生と死、みたいな世界を表現したんです。今回は『絶命展』を踏まえた上での、新たなチャレンジになったと思います。人が着て動いて本領を発揮する側面が大きいファッション表現を、どう静止した状態でも面白く見せることができるのか。その場をどう創出していけるのかを考えました」
──いわゆるアートなら、発表当時のコンディションの保存修復を前提として、いかに「固定」するかが大事だったりしますが、今回はそういうアート的な「死」を感じさせる一方、至るところ気配だらけで、魂が彷徨っているようでした。
「副題が『ファッション表現のかすかな糸口』なんですけど、実はこの『かすかな』を『幽かな』にしようかと迷いました。僕の中でそれは「もののけ」みたいな気配のことで、今回すごく大事にした部分なので、そう感じていただけたならうれしいです」
──基本マネキン展示でしたが、ミイラ、妖怪、魔女から、一見普通に見えて顔がリアルなものも。
「例えば第2章『集団と流行(はやり)』で並べた『After All』(2019)のマネキンには、計良宏文さん(資生堂ヘアメイクアップアーティスト)にメイクを施してもらいました。計良さんから伺ったのは、〝化粧〟のことを昔は『けわい、けはい』と言っていたようなのですが、一説によると「気配」と関連があるらしいんです。化粧をすることによって気配が生まれるという。面白いなと思いました」
──では、かすかな「糸口」とは?
「今僕は『ファッションって本当にすばらしい!』と声高には言えません。現在はファッションそのものが多くの問題を孕んでいて、ファッション表現そのものが難しい局面を迎えていると思います。ましてや僕は『それってファッションなの?』とずっと賛否両論を浴びてきて、葛藤ももちろん抱えていますが、結局僕はファッションの人間なんだと思います。新しい表現の可能性や発見を求め、歴史や文化と向き合いながら、どうファッションにフィードバックしていくかを常に考えています。ファッションそのものが人間にとって本質的な事象だからこそ糸口は必ずあると思っている。なので、ぼんやりとかすかに見える『未来への希望』というのが一つ、そして物や空間から感じる幽かな『気配』という意味を込めた掛け言葉です」
──現代社会の問題に向き合うようなキャプションとともに章立てした1~4章。5章は、山縣さんの第一子誕生というものすごくパーソナルな日常の景色。1章からの伏線を一気に回収するような表現のストレートさに、癒やしと救いを感じるラストでした。
「僕は最初からすべて計画通りに進めることはないですし、ギリギリまで粘りたい性格なので、最後は自分でも収拾がつかなくなることもあるのですが、結果的にすごく緩急のある構成になりました。一方で、章ごとの言葉と実際の展示が嚙み合ってないところが多少あったかもしれません。でも僕は、全部説明できるような理屈っぽい表現にはしたくないし、真剣に社会に向き合う部分がある一方で、軽薄なところも大切にしていきたいと思っています。煎じ詰めると、自分の作り方は美術館でもファッションショーと同じで、大事にしたのはエモーションです」
忘れられても、つながっている
日本古来の価値観がある
──アーツ前橋は、元商業施設でした。
「今回、僕が呼ばれた理由がもう一つあるとしたら、群馬は日本のファッションの重要都市であり、その中心街である前橋もまたファッション産業とともに栄え、ファッション産業とともに衰退してしまった街だということ。空きビルとなった建物を改装し、公立美術館として13年に開館したのがアーツ前橋です。1階の第0章を『バックヤード』と名付け、地下のメインフロアではドレスを着たミイラが出迎えるなどの構成は、ファッション産地の滅びた空気感を意識的に表現した部分でもあります」
──第1章の入口に立っていたのは、「The fashion show of the gods」(2009)に出ていた神様ですよね?
「アイデアとしてはそうです。神様に巻いている布は、24 SSコレクションの際に作ったものです。これは僕にとっても発見だったんですけど、民俗学者の畑中章宏さんに教えてもらった話がすごく面白かったんです。『おしらさま』という蚕の神ともいわれる神様がいて、一昔前の日本では、細長い木の棒に布を何枚も着せて祀っていたそうですが、その一番上の表面に重ねていた布が化学繊維だったとか。今の私たちの感覚では、神様には上質な絹などで祀りたいと思いますよね。でも当時は、ナイロンやポリエステルの化繊が最先端であり、貴重な布だったようです。この話は宮本常一の『庶民の発見』に出てくる話だそうで、なるほど!と思い、自分が無意識的に表現していたものとつながりました」
──山縣さんはそれを知らないまま、昔の日本人と同じような心持ちで神様を表現していたと。
「神様に最新のものを着せてあげようっていうのは、民俗学的な文脈からというよりは、自分の中から出たすごく自然な発想でした。絶対的な存在としての神ではなく、もしファッションの神様が今の日本にいたら、どういう装いをしているだろう?みたいなことを僕はずっと考えていました」
──リトゥンが表現する神様の原風景はありますか。
「やっぱり有象無象の風景ですかね。僕の場合は、神様であろうがなかろうが、いかに親近感のある愛らしさを作るかが大事です。西洋の有逸無二の絶対的な存在である神の存在とは違うと思います。いかにアンタッチャブルな存在なのかを表現するのが西洋の神の概念だとしたら、僕が想像するのは一見すごそうに見えても親近感があってツッコミどころのある存在です。
──ある意味、すごく日本的ですね。ヨーロッパのように堅牢な文化を持たない日本は、少なくとも明治維新までは多様性と矛盾が共存していて、変わることへの抵抗もなかったように思います。
「そうですよね。例えば今のファッション文脈で扱われるのはいわゆる洋服であって、つまりその価値観形成の中心軸は日本の近代以降ということになります。それはそれでいいのですが、実はもっと歴史に埋もれていたものがあるはず。文化的に植民地化されてない時代から、実は長い時間をかけて培われた脈々と繋がっている価値観があるはず。そういう忘れられているものに対して、僕はすごく興味があります」
──「流行」を「流れゆくもの」と文字通り解釈するなら、それは日本の本質かも。
「そうですね。ただ、日本と西洋のファッションの認識においてツイストがかかってしまっているから、ちょっとややこしいですね。というのも、西洋の歴史における表現のヒエラルキー構造では、ファインアートの下にファッションがある。それに対しては居心地があまり良くなかったですし、かといって西洋では日本よりもファッションが学問化されている現状があります」
──山縣さんは「ここのがっこう」を主宰する教育者でもあります。ファッションをもっとアカデミックな学問へと昇格したい野望はありますか。
「ファッションの可能性や多様性を考えると、学問としてアカデミックな場所でファッションが学べる場所がもっとあってもいいと思います。よく言っているのが、イギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アートにファッション学科があるように、日本なら東京藝術大学にファッション学科があってもいい。ただし、僕はそこだけが重要ではないとも思っていて、誰でもファッション表現を学ぶことができる『ここのがっこう』のような多様性のある場所を大事にしていきたいと思っています」
ファッションの軸は人間像
だから、ルーツに向き合う
──現在、国内外で発表している若手デザイナーの半数近くが「ここのがっこう」出身。それぞれに芯のある強い表現を発信しています。教育方針は?
「自分のルーツを肯定して、個人の心に立ち上がってくるものを大事にすること。個人というのは、純粋な個(私)だけでできていません。無意識のうちに伝統や文化などからも影響を受けている。それが先ほども話した脈々と繋がっている部分であり、だからこそ僕は民俗学などに惹かれるのだと思います。以前、若手デザイナーの登竜門と言われているイタリアのコンテスト『ITS』のディレクターさんが『ここのがっこう』を紹介する時に『School of the soul(魂の学校)』と呼んでいて、海外ではそう見えているのかと納得しました」
──授業では対話を通して、自分自身に対しての気づきを得ていく?
「僕やチューターだけじゃなくて、受講生同士の対話も大切にしています。ファッションの表現の軸は、新たな人間像の創造だと思うんです。ファッションをやる以上、おのずと自分の内面にある像と向き合うことになります。何か遠くの存在に憧れてもいいですが、憧れ100パーセントで作ってしまうと、自分を否定することになりますよね。また、既にあるファッションの価値観のみでファッションを表現しようとすると、どうしてもビハインドになってしまう」
──自分をさらけ出していい空気感。まさに「ここにいてもいい」という安心感が、ここのがっこうにはありますね。
「自分が歩んだルーツ、バックグラウンドなど、それがどんなに恥ずかしい過去であっても完全否定してほしくないし、僕も絶対に否定はしないというのが根底にあります。そしてファッション表現の可能性はそこにあると思います。それは世の中一般でいう成功を指すかどうかではなく、ファッション業界で活躍してる人が皆、自分のルーツ探しをやっているかというとまた別の話ですが、僕の場合はそこを大事にしています。今の若い子たちと対話する中で、自分自身の得意、不得意も見えてきたり、僕自身もいろんな気づきがあります」
──0点をテーマにした「graduate fashion show」(2009)、絵本『ぼくは0てん』(2019)など、山縣さんの0点コンプレックスは実体験に基づいているんですよね。本当に0点をとっていた?
「いつもじゃないですが、本当です。漢字がめちゃくちゃ苦手で、何回ドリルで練習しても覚えられなかった。実は今もそうで、講師をするときなどホワイトボードに文字を書いていくのですが、漢字が思い出せないこともあって」
──五感に優位性があるんですね。一方で読書家の印象がありますし、文筆もしていますよね。
「読むのは割と大丈夫です。文字の形を自分から取り出せないだけで、今はパソコンが変換してくれるから書くのも大丈夫」
──山縣さん自身がルーツを掘り下げたのはいつでしたか。
「ロンドン留学時代だと思います。みんなと同じことをやっても絶対にうまくいかないとわかった上で、セント・マーチンズに入ったので。今から考えると、それがいい下地になったと思うし、今に繋げることができたのかもしれません」
──今なら経験が追いついているのでは?
「いいや、本当に僕もそう思って、今なら普通のことができるんじゃないかとチャレンジしたことがありますが……ダメでした。先日ある人に、僕は現実から離れれば離れるほど本領を発揮する、と言われてすごく納得」
──リトゥンが妄想的な非現実の世界なら、リトゥンバイのラインは現実的な表現ですか。
「おっしゃるとおり、リトゥンバイではもっと他者性をいれてリアリティのある表現ができればと思っています。僕自身は着飾るタイプではないので素朴でいいみたいな気持ちがどこかにあって、そこはリトゥンの世界観と乖離があるのは自覚しています。リトゥンバイのほうでは、チームのみんなと一緒に自分たちのペースで作ろうとしているところです」
──ファッションショー形式の発表については。
「もちろんまたやりたいです。ショーではいろんなものを消耗してしまうんですけど、やっぱりすごく特別なもの。人が着て表現をして、また別の場所で着られていくということに対して、デザイナーとして最も情熱を持っています。ショーは、例えば今回のような美術館の展示とは全然違って、一瞬でバーンと弾けて終わっていく。そんな表現も大好きです」
──個展を終えて、今後に向けて考えていることはありますか。
「今回初めて個展をやってみて、すごく面白かったんですよ。美術館にはその土地のおじいちゃん、おばあちゃんから、音楽、建築、哲学などさまざまなジャンルの若い世代、学者の方まで、本当にいろんな方がいらっしゃいます。彼らと話す中で、これまで無意識的にやってきたことに対して、自分でも気づいていなかったことが発見できた。美術館にはこういう機能があるんだなと再認識しました。あらためて自分の強みに戻って、広げていきたい。いろんなジャンルの方を巻き込みながら、ファッションについてもっと深めていきたいです」
coconogacco(ここのがっこう)
https://www.coconogacco.com/
writtenafterwards(リトゥンアフターワーズ)
https://www.writtenafterwards.com/
Photos:Anna Miyoshi(Portrait), Shinya Kigure(Exhibition) Interview&Text:Miwa Goroku Edit:Chiho Inoue