小泉 悠×リサタニムラ×シャラ ラジマ鼎談:映画を見て、戦争と平和について考えてみよう
ウクライナ・ロシア戦争に、パレスチナ・イスラエル戦争。さらに日本の周辺国においても核兵器や政治的な緊張が報道される昨今。そこで、日本に暮らす、ルーツも年代も異なる3名が戦争について考えるきっかけとなった映画作品を挙げて各々の戦争観を語り、平和について考えます。(『ヌメロ・トウキョウ(Numero TOKYO)』4月号掲載)
【参加者プロフィール】
(右から)
小泉 悠
軍事評論家、軍事アナリスト。ロシアの軍事・安全保障政策を専門とする。東京大学先端科学技術研究センター准教授を務める。千葉県出身。ユーリィ・イズムィコのペンネームでも知られ、多くの著書を執筆。
リサタニムラ
『Cult* Magazine』編集長。東京で生まれ育ち、10代で渡英。ロンドン、ベルリンに居住後、日本に帰国。アート、ファッション、音楽の領域で政治的・哲学的な側面を国際的な視点で捉えるプロジェクトや作品を手がける。
シャラ ラジマ
広島県出身。バングラデシュをルーツに持ち、東京で育つ。国籍や人種の区別に捉われず、雑誌や広告、ランウェイにモデル出演。雑誌連載の文筆業のほか、ベイFM『シャララ島』ではラジオパーソナリティを務める。
戦争にまつわる原体験
リサタニムラ(以下L)「母方の親族が広島出身で、お墓の墓誌に1947年8月6日の日付があり、家族を被爆で亡くした実感がありました。一方で小学生のとき憤りを感じたのは、社会科の教科書。日本がアジアで行った大虐殺や731部隊による人体実験の記述が不十分で。それから高校生になり、留学先のイギリスで『ブリジット・ジョーンズの日記』を見て。ブリジットが思いを寄せるイケメンについて『彼は日本人の元妻に浮気されたのよ。残酷な人種だわ』という台詞があり、一緒にいた友人たちは大爆笑! 世界で日本を残虐な国だと思う人がいると実感し、とてもショックでした」
『ブリジット・ジョーンズの日記』(2001)
小泉悠(以下K)「1982年に生まれ、両親も戦争経験がなく、祖父母が経験した世代です。僕の場合は不健全な関心で、第二次世界大戦の体験記を読んで「わあ、軍艦かっこいい」と、そのままプラモデル屋に。後に母が所属していた反戦団体が開催する原爆写真展で、レイモンド・ブリッグズ原作のアニメ『風が吹くとき』を見ました。かわいい絵柄に反して内容はエグい。初老の夫婦が当時の民間防衛政策を言われるがままうのみにし、核爆弾による放射線障害で苦しみながら、じゃがいも袋に入って死ぬ。イギリスらしいブラックジョークと捉えていいのかって感じの結末で、小学生の頃は放射能が怖くてたまらないトラウマチックな時期もありました。大人になりロシアの核戦略を専門に研究するようになったのは、恐怖からだと思っています」
『︎風が吹くとき』(1986)
『風が吹くとき』(日本語<吹替>版)のリバイバル上映が決定! <声の出演>ジム:森繁久彌 ヒルダ:加藤治子 <スタッフ>原作・脚本:レイモンド・ブリッグズ 監督:ジミー・T・ムラカミ 音楽:ロジャー・ウォーターズ 主題歌:デヴィッド・ボウイ「When The Wind Blows」 日本語版監督:大島渚 8月2日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
https://child-film.com/kazega_fukutoki/
シャラ ラジマ(以下S)「私は広島で生まれ、一度バングラデシュに戻り、10歳から東京で生活しています。バングラデシュはもともとイギリス領インド帝国で、祖母はイギリス、インド、東パキスタン、バングラデシュと4つの母国を経験しているんです。母はバングラデシュが東パキスタンと戦争して独立した71年生まれ。核こそ落とされていないけど、空爆から逃れるため、新生児のときに疎開しました。南アジアは川が多いので逃げるために渡ろうとしてパキスタン軍に見つかると、みんな射殺されてしまう。母を見つけたパキスタンの軍人は娘が生まれたばかりで、たまたまうちの家族は見逃してもらえ生き延びたそうです。祖母からは「日本人はみんなおかっぱ頭でもんぺだ」と聞かされていて、日本に来たら全然違うやんけって(笑)。小学校で『火垂るの墓』を見て、祖母の日本についての記憶は第二次世界大戦で止まってたんだと気づき、同時期に家族が広島の原爆ドームや資料館に連れていってくれて、遠くで聞いていた日本の戦争のパズルがつながったのを覚えています」
K「71年、日本は高度経済成長期で繁栄し、印パ戦争が起きたことを知らない人が多いはず。『火垂るの墓』も最後のシーンで、お金持ちそうな家族が自宅に帰ってきて女の子がうーんと伸びをする。清太と節子が痩せ細って死にそうなときに、疎開先の軽井沢なんかから帰ってきた人たちなんでしょう。あと『火垂るの墓』は『となりのトトロ』と同時公開で、節子とサツキは同い年の設定だとか。節子も死なずに済んだら、ああいう未来もあったのかなあと。戦争って恐ろしいねと言いつつ、現実の惨状はなかなか見えてこない」
『火垂るの墓』(1988)
『となりのトトロ』(1988)
S「『アラビアのロレンス』は、イギリスとオリエンタリズムのテーマが自分と重なる部分がある。アラビアの美しい文化への憧れと人々の争いが隣り合わせにある構図が生々しい。最近パレスチナ・イスラエル戦争でよく語られるイギリスの二枚舌外交の一枚目ってこれかと理解できます。バングラデシュの国籍だと、国がパレスチナ側を支持し、イスラエルを国家として認めていないので、イスラエルに入国できないんですよ。なので私にとって戦争は国家間より民族間のイメージが身近で」
『︎アラビアのロレンス』(1962)
K「舌は3枚目もあるしね(笑)。かつての覇権国家イギリスや、いまの軍事大国アメリカ、昔のソ連やロシアはろくでもないことをする。大国の国民は日々どう向き合うかを強いられるんだろうと想像します」
L「英国の寄宿学校は、CCFと呼ばれる軍事訓練があり、日本人なのにイギリスのために戦う準備を強制されたのはつらい思い出。『いざ戦争が始まったら、自分はどうなってしまうんだろう』とよく考えていました」
S「『フルメタル・ジャケット』はアメリカの軍人の立場で戦争を考えられる作品。若いピュアな男性が怒鳴り散らされて人格を破壊され、物質的な兵器になっていく。PTSDにもなるはずだなと。ラストも本当に衝撃的で…」
『フルメタル・ジャケット』(1987)
K「キューブリックは、本当にすごい。怒鳴りっ放しのハートマン軍曹は本当の海兵隊員なんですよ。役者がイマイチで撮影チームにいた元海兵隊員のスタッフにやらせたら、怒号がうまかった(笑)。『連合艦隊』は娯楽大作映画ですが、おじさん役者たちの声が腹から出ている感じがする」
S「あの軍曹の迫力、異常だと思ったけど、やっと納得がいったわ(笑)!」
『連合艦隊』(1981)
K「『ジャーヘッド』は若い兵士たちが集団生活で、おバカをさんざんやるんです。自分の高校生時代を思い返してもこうなりそうな人たちが戦地に行くと思えるリアルさがある。最近だと『ドローン・オブ・ウォー』が印象的。ドローン部隊の操作員が毎日家から出勤し、遠隔でイラク上空からミサイルを落として心を病む。一方で大ヒット作『トップガン マーヴェリック』は敵の軍人がバイザーかなんかをしていて、人らしく見えない。殺してもあまり罪悪感がないんです。でも自分たちの身内に関しては、とてもセンチメタルな話が展開されて。そういう身勝手さは必ずあるんですよね。『SF核戦争後の未来・スレッズ』は、イギリスが核攻撃を受けて生き残ってしまった人の地獄を描いている。血まみれの中、放射能の残骸が降り、医者もいない。80年代当時のイギリスの映像作品の核戦争のヴィジョンは全く忖度がなかった」
『ジャーヘッド』(2006)
『ドローン・オブ・ウォー』(2014)
『トップガン マーヴェリック』(2022)
『SF核戦争後の未来・スレッズ』(1984)
多様な視点とナショナリズム
L「以前テレビで見た戦後60年特別企画番組で、原爆を投下した兵士ポール・ティベッツが『戦争を終わらせるために仕方がなかった。私は絶対に謝らない』という発言をしていて。痛感するのは、戦争にも歴史にもいろいろな視点があるってこと。ロシア・ウクライナ戦争では、日本で目にするのは圧倒的に西側のメディアの情報で、ウクライナをサポートする視点が多い。一方で、ロシアのメディアは全く違う主張をしている。戦争は、さまざまなナラティブ(語り)があって、物語を紡ぐ人によって全く異なったものになっていく。だからいろんな視点を与えてくれる映画、音楽、エンターテインメント、SNSはすごく大切ではないかと。ニュース、プロパガンダ、歴史などにおいて消えていってしまう個人的な物語、本来は知り得なかった視点を誰かに届けられると思うんです」
K「戦争で難しいのが、他の視点をどう扱うか。僕は今回の戦争で、ロシア仲間に「おまえは西側の話ばかりしている」って批判されるんです。いや、私は日本で唯一参謀本部の会報を購読しているんだけどって言い返すしかなくて。メインストリームでオーソリティー(権威)のある言説と違うことを取り上げると、確かに違う視点にはなります。その場合、ただ違う視点にシフトしただけで、メインストリームが見えなくなる人が少なくない。CNNやNHKが信用できないといって、ロシアトゥディだけを見ている人って、そっちの視点にどっぷりはまってしまいがちで。カメラの向きが変わっただけで視野が広くなったわけではない。そうならないために、広い視点を持ち続けるのは結構大変です。いまだにこうだっていう答えはないと思うんです。
L「思い出すのは『ハンナ・アーレント』の言葉。ユダヤ人の彼女がアイヒマンというナチズムの悪の根源とされていた人物をひもとくにあたって、ユダヤ人の指導者たちにも責任があるのではないかと問い、ものすごくバッシングされた。『私はユダヤ人であるとか、ドイツ人であるとか、労働者階級であるとか特定の集団や人種に対して愛を感じたことはない。唯一愛するのは自分の友人だけであって、その他の集団を愛することはできない。自分がユダヤ人だからといって、すべてのユダヤ人を愛するとは限らない』と言っていて。人種や階級を超えた視点だと思いました。国を語るときに、ついそれが自分のアイデンティティのように思い、イデオロギーと固く結びつきがち。でも人間はそんな単純ではない」
『ハンナ・アーレント』(2012)
K「その視点がないと、現在のイスラエルの蛮行を非難できなくなってしまいますよね。ただ、本当に中立の立場から物事を見るのはとても難しいとも感じています。仕事柄、周りは基本的に安全保障関連や自衛隊の人たち。彼らにハンナ・アーレント的な視点になれといっても難しいと思う。なんなら私自身も、ハンナ・アーレント的な立場でいたいし、そういう人がいてほしい。二つをどう両立させるか」
S「ハンナ・アーレント的な考えの反対って何だろう。ナショナリズム?」
K「多分そう。でもナショナリズムという言葉も多義的で、めちゃくちゃ右翼的なことを指す場合もあるし、もっと単純な郷土愛、国家へのアレジャンス(忠誠)みたいなものもあると思う」
S「安全保障的な意味でナショナリズムは、どんな意味合いになるんですか。私は越境しているからナショナリズムがあまりなくて、自分はバングラデシュ人より“南アジア系”と言っています。大陸だから、あの辺りをまとめて言う以外、納得感がなくて」
K「戦争研究者がナショナリズムという言葉を使った場合、その国の人が自分の国のことを自分たちのものだと思っているかの尺度だと思います。今回、プーチンがウクライナを攻めたとき、ウクライナ人は大した愛国心を持っていないと思ったわけですよ。攻めたら諦めるか、近い国だしロシアの一部に戻ってもいいと思っているだろうと。でもウクライナ人たちは、ふざけんじゃねえって抵抗した。かつて東パキスタンと呼ばれたバングラデシュのアイデンティティ問題が難しいのもそうで、どこに線を引くかはフィクション。完全にその時の人間たちの思想や雰囲気で決めているので。でも一回作られたフィクションって強固なんですよ。ときに戦争の火種になるくらい」
L「日本なら、アイヌ、沖縄、在日朝鮮人の方々など本当は多くの人種が存在しているのに、フィクションの中に落とし込まれて、存在しないかのようになってしまっていないか。そこに目を向けたとき、実は日本が単一民族国家ではないという当たり前の事実に気づくかもしれないし、日本人ってそもそも何だろうと考えることができるかもしれない。『この世界の片隅に』の日本が敗戦して、朝鮮人の方々が国旗を掲げている最後のシーン。意味のある描写だと思います」
K「仮に国家や民族がフィクションだとしても、それを解体する方法が暴力ではいけない。今回、プーチンが用いた方法が近くて、ウクライナ人という民族が存在しない、またはロシアの一部なんだと論文を書いて言っているんですよ。ウクライナ人がロシアと一緒になるというのならそれでもいいと思うし、逆にロシア連邦もあんなに広いのだから分割されても構わないと思っていますが、その方法がいまみたいに一般人を殺し、街を壊して財産を奪い解体するのは間違っていると思うんです。そういったことを企むやつがいるなか、日本としてどうするのか。安全保障屋さんはそういう思考になるんです」
『この世界の片隅に』(2016)
表現が果たす役割は
L「戦争や核兵器に興味を持つのって、不謹慎だけど意外とグロテスクで血なまぐさいところだったりする。小学校の図書館で『はだしのゲン』の漫画を見て『グロい!』みたいな」
S「いまは、SNSで上がる戦争の動画や画像を見たくないって話題になるし、私も気持ちが引っ張られてきついなと思うときはある。戦争は『はだしのゲン』みたいな恐怖や衝撃とともに記憶に焼きつけないと、人は簡単に忘れてしまうと思うし、そもそも戦争自体がそれ以外で表現できるものでもない。過剰にグロテスクなものを排除して見せない社会も、容易に心を戦争へ向かわせるんじゃないかと感じている」
L「これまで教科書や新聞が現実の戦争の圧倒的な残虐さを伝えられていなかったとして、その分カルチャーの作品表現がその部分を担っていた。だけど、現在はTikTokやInstagramで現地の動画をダイレクトに目にできるわけではないですか。では、現在カルチャーができることって何だろう」
K「難しいですね。戦争はいろんな顔を持った現象なので、どのシーンを切り取るかがカルチャーの役割。前の戦争で日本社会はかっこいいシーンしか切り取らなかったわけです。でも僕自身は、戦争は悲惨なことしか起きないですよと教えられて。だから戦争を語るとき、軍隊はなぜか人を惹きつけるダークな魅力があると認めて語らないといけない。かっこいいけど非常に気をつけないといけないよと言わないと、簡単に多くの男性が魅了されると思う」
S「新幹線や自動車が好きで、かっこよく感じる感覚に近いのかな。このネット、SNS社会で、現実に存在することをなかったことにするのは無理がある。やっぱりいびつな結果を招くよね」
L「多様な視点があることを知り、何が自分の考えに近いかを知ることが大事なのかも」
K「それぞれの言い分がどうなっているのかを解明するまでは僕たち研究者の仕事だけど、安全保障というのは結局、究極的にどういう価値を実現したいのかという、人間の価値観の問題なのかもと思うようになったんです。そう考えた時、ロシアの侵略がうまくいく世の中は甚だ困る。だからこういう立場を取ろう、と考えられるのかなと。試されるのは、どれだけ自分が明確なヴィジョンを持ってどういう世界に生きたいと思っているか。それがふわっとしていると、別にどうでもいいんじゃないですかというふうになるかもしれないし、逆に絶対こうなるべきだというヴィジョンがあれば、世の中に物申すアクションを取れるようになるのでは。僕自身は2010年生まれの子どもがいて、彼女が22世紀初頭までは生きると考えたとき、その下地をつくる責任はあると思っています。みんな言い分があるにせよ、暴力で解決しない世の中にしたいと思うし、核兵器はすぐにはなくならないけれど、使われたときに人類が滅亡しないレベルまでは減らしたい」
L「自分の子どもは、ものすごく個人的で明確なヴィジョンですね。漠然とした大きな世界平和に対して、一個人でもいきなり解像度が上がるというか。個人の視点もすごく大事なんだな」
K「今日、日本にミサイルが飛んできていないのは日本の抑止力のおかげかもしれないし、北朝鮮の金正恩の気まぐれかもしれない。目に目えない安全保障が具体性を帯びるのはミサイルが何発みたいな話もあるけど、実際にどうなっていたいかという視点こそが手触りを感じられるフックになる」
L「安全保障や軍隊、経済制裁のようなハードパワーと呼ばれる強制的な抑止力になるものに対して、映画や物語はソフトパワーと称されて、文化や価値観を持って人々の共感を生むもの。私たちみたいなカルチャーやファッションを生業にしている者からすると、戦争ってあまりにも遠くに感じる。小泉さんのように最前線にいるわけでもなくて、どこかで戦争が起きても相変わらずファッションやアートの話ばかり。罪悪感を感じます。でもこんなときだからこそ、カルチャーにはハードパワーにはない力もあるようにも感じたり。まずできることは自分の物語は何かと問い続けることなのかもしれない」
K「僕は決して最前線にはいなくて。ミサイルや戦車の話をするから前線との距離が近く感じるのかもしれません。でも物理的な距離は皆さんと同じ」
S「私たちからするとだいぶ最前線に感じる(笑)」
L「私たちはかなり後方部隊(笑)」
K「ハードパワーは局面を劇的に変える力はあれど、できることは限られている。物事の長期的なコースを変えられるのはソフトパワー。ロシアがこの戦争で怒られるのって、国連憲章違反だからなんです。武力紛争というのは問題解決の手段にしてはいけないと70年前くらいにルールを作ったわけですよ。その上で無実の人を拷問して殺してはいけないという価値観を僕らが持っているからですよね。ソフトパワーの影響があるからだと思う。日本は軍事大国ではないんですよ。私たちの業界でいう軍事大国というのは、核を持っているか否か。日本は軍事的なエスカレーションに最後までついていけない。そんな国としては、やはりハードパワーだけで解決できない分、ソフトパワーのほうをそれなりにしっかり頑張らないと。日本の安全は全うできないどころか、周辺国と戦争しないでいることもできなくなるでしょう。僕から言うと、むしろカルチャーの方が全然、前線に近いんじゃないですか」
L「最近、韓国ってすごいと思う。みんな韓流やK-POPが大好きで、ここまでお互いズブズブになったらもう戦争できないでしょう。下の世代は特に」
K「11年前のロシアの国営テレビのお正月番組の総合司会って、当時お笑い芸人だったゼレンスキーだったんですよ。彼はお笑いコンビで旧ソ連版M-1で優勝もしている。“関係がここまできたら大丈夫っしょ”という感覚は意外と脆いのかもしれない」
S「K-POPの男性アイドルや韓国の俳優たちは兵役へ行ってるよね」
K「でも諦めないでいろんなものを積み重ねていくことが大事。日韓関係は少し前と比べたら今はずっといいに決まっている。それを続けていかないと、いつまでもハードパワーの世界であり続けるし、それは望ましくないこと」
L「日本公開が遅れた『オッペンハイマー』。クリストファー・ノーランは素敵な映画監督だけど、アメリカって歴史の教科書での原子爆弾の扱いが日本と違う。歴史的な正しさを伝えるよりは、お金を稼ぐ大作のように思えて。日本にはいまも被爆された方がいるし、ずっと引っかかっていて」
『オッペンハイマー』
K「本当に難しいよね。でも、アメリカから見た原爆というさまざまな視点の一つではある。僕個人は不快なものも含めて、言論は自由であるべきだとは思う。見てみないと批判もできないわけだし。50、60年代の日本社会はあっさり原爆を忘れて、アメリカが使ったスーパー兵器くらいに受け入れていた時期もあるらしくて。その後のマーシャル諸島の核実験で日本の漁船が死の灰を浴びて、あらためて原子力について考え直すタイミングが来た。つらい思いをするかもしれないけど、一回みんなで見てみて議論してみたらどうかなと思っています」
S「原子爆弾を経験した人が周囲にいない若い世代こそ、見てみたらいいのかも。作品についてSNSで議論がされて、新たな視点と出会うきっかけになったらいいのではないかと思います」
Edit & Text:Aika Kawada Illustlations:Yuko Matoba