「僕には『説明責任』があるんです」異色のヒット『あんのこと』入江悠監督インタビュー
映画『あんのこと』が話題だ。新聞に掲載された1本の新聞記事を基に描いた一人の女性の物語。公開は6月7日と記事執筆時点ですでに2週間以上の時間が経過しているが、評判が口コミで広がって満席になる劇場も出ている。
実話ベースであることの物語の強度。河合優実、佐藤二朗、稲垣吾郎といった俳優たちの熱演。そして淡々と登場人物に寄り添う演出の確かさ。この映画がヒットする要素はいくつか思いつくが、果たして──異色のヒットが続く『あんのこと』のことを、監督・入江悠に聞いた。
※この記事はネタバレを含みます。
徹底的な取材で、フィクションをドキュメンタリーのように描く
──『あんのこと』は事実に基づくフィクションだと思いますが、まるでドキュメンタリーを観ているような手触りがありました。監督はどのようにこの映画を作り上げたのでしょうか。
「『あんのこと』には目を覆いたくなるようなシーンが出てきますが、そういったシーンは俳優たちに心理的な負担を強います。そのため、撮影の環境を整えたうえでドキュメンタリーのようになるべく一発で撮ることを意識しました」
──撮影の環境を整えるとは、具体的にどのような作業ですか?
「まず徹底的な取材を行うことです。劇中に出てくる特別養護老人ホームや夜間中学校などは何ヶ所かを回っています。特別養護老人ホームのシーンは、俳優も混ざっていますが、実際の入居者の方もたくさんいらっしゃいます。夜間中学のシーンはみんな俳優さんですが、実際にお会いした方々に似た俳優をキャスティングしています。また撮影時には出演者に圧迫感を与えないよう、スタッフの姿ができるだけ視界に入らないよう心がけました」
──フィクションを現実に寄せていくようなアプローチだったわけですね。それにしても、監督の過去作と比較してもリアリティのレベルが一段上がっている気がします。
「それはやはり、『あんのこと』が実話を元にしているということに尽きると思います。僕は他の映画でも撮影の前に取材をしますが、それはフィクションとして『嘘をつくための取材』です。それに対して今作は、現実を再現するための取材を行っています」
──そのようにして撮影現場に現実を再現したからこその、ドキュメンタリー的な手触りだったわけですね。
「そうですね。そのうえで、現実に対してフィクション的な飛躍がどこまで許されるのだろうか? それは常に問い続けていました。フィクションとして時系列を入れ替えたりもしていますが、やっぱり根本に実話があるので、迷ったら取材で得たことに立ち返るというか」
映画監督の「説明責任」とは?
──実話ベースであるということに関連すると思うのですが、入江監督は本作での舞台挨拶を「説明責任を果たす場」と表現されています。説明責任、とはどういう意味でしょう。
「映画の公開から時間が経っているので言ってしまっていいと思うのですが、『あんのこと』は亡くなられた方をモデルにしています。そのため、直接ご本人に映画化の許可を取れていない。世の中にはそういう映画やドラマもたくさんありますが、個人的にこのことは非常に大きなことだと思っています。存命の方にお会いして映画にさせてくださいと許可を取れているのとは違いますし、ましてや有名人でもない市井(しせい)の方ですから」
──一人の、無名の人物の人生を商業映画にするということの責任があると。
「杏のモデルとなった方はこの映画にもう反論することができませんからね。ドキュメンタリー映画の監督たちは、いま僕が抱えている説明責任みたいなものを、常に抱えているんだろうなと今回はじめてわかりました。そして、舞台挨拶ではどこまでがフィクションで、どこまでが実話かを聞かれることが多かったんです。それを話すのも説明責任の一種です」
俳優・河合優実と「杏」という女性
──また、入江監督はかねて「女性を描くのが苦手」だと公言されています。しかし本作においては、現実に生きた女性を実在感を持って描くのに成功していると感じました。
「それができているとしたら、それは(主人公の香川杏を演じた)河合優実さんのおかげですね。40代のオッサンが、20代の女性をわかった気になったら大惨事になりますから(笑)。河合さんを信じて、河合さんが(演技として)アウトプットしてくれたものを撮るというやり方でした」
──杏と、河井青葉さん演じる母親の春海との関係も見どころでした。暴力を振るう母と、それでも家に帰ってくる娘。共依存、みたいなわかったような言葉ではくくれない関係性というか。
「ふたりの関係は撮影前のリハーサルで作り上げていきました。暴力を振るわれているんだから杏は母親が嫌いなんだろう、と思いがちなんですが、リハーサルをするなかで河合優実さんから『自分が守らなきゃ、お母さんが大変なことになるみたいに、今感じています』っていう言葉が出てきたんです」
──すごい。
「そうか、だから彼女は母親に暴力を振るわれても家を出ないのかって、その一言から見えてきたんです。河合さんが演じるなかでどんどん当事者に接近していく、そこで見えてきたものがすごく大きかったですね」
「毒親」「親ガチャ」といった言葉を“使わない”こと
──それもどこかドキュメンタリー的ですね。演出した演技ではなく、出てきた演技をただ記録した、といったような。
「『共依存』とか『毒親』とか『DV』とか、この親子の関係をカテゴライズする言葉ってあると思うんですが、河合さんはそういった言葉を1回も使いませんでした。それはやっぱり俳優としての知性だと思うんです、“くくっちゃう”ことによってこぼれ落ちていくものがあるってことを、わかっているんですよね。刑事・多々羅を演じてくれた佐藤二朗さんも、『俳優として20年くらいかけてわかったことを、彼女はもう知っていますね』と言っていましたが、本当に同感です」
──『親ガチャ失敗』なんて言葉もありますが、そのようなスケールの演技をしていないですもんね。
「それは、新聞や雑誌で行数が限られたなかでなにかを書かなければいけない際に使うワードだと思うんです。そのような言葉を使わないってことが、今回は大事だったんだなと思いますね」
──そのことが、映画にすごく不思議な空気感をもたらしている気がします。ドキュメンタリーでもない、フィクションでもない、非常に重たい悲劇的な作品なのに、どこか杏の人生を悲劇と断じたくない気持ちも余韻としてあるんです。
「映画の後半で、杏は近所の子どもを押し付けられるんですよね。その子どもを杏は育てることになる。それって、僕自身にはできないけど、杏という女性ならできるんじゃないかっていう希望みたいなものがあったんです。その点で、僕は彼女を尊敬の対象として描いているんです」
──なるほど! それは伝わってきます。私も、劇中のどこかのタイミングから、杏を尊敬の眼差しで見ていた気がします。無論、だからこそ生きていて欲しかったのですが、エンドロールのあとではなぜか彼女の生に拍手を送りたい気持ちにもなりました。
「志半ばで苦痛の末に死を選んだというよりは、ひとつのことを彼女がやり遂げて、そして解放されたという気持ちも多分入っているんだと思います。僕個人の話になっちゃいますが、コロナ禍で友人をふたり亡くしているんですが、彼らの死を僕がなんとかとらえようとしたときの感じに近いんですよね。杏の死を単純な、憐れむべき悲劇としてとらえたくないっていう気持ちもある」
──悲劇的ではあるけれど、この社会に生きた一人の女性がたしかにいたんだ、その足跡を残すんだ、という意思を映画全体から感じました。
「いろいろな方の感想を読んでいると、『社会の問題は映っているけど、社会問題を声高に訴えようとはしていないと感じた』という方が多いんです。ただ、メディアの取材を受けると『社会派映画』って言われがちでもある。僕は社会派映画だと思って撮っていないので、その点観客の方のほうがそこを正確に受け取ってくれていると感じました。社会が悪いとかなにが悪いとかではなくて、ひたすら杏という子に寄り添っていくのを徹底しようと思っていたので……」
──ただ、『自分にもなにかができたんじゃないか』という棘のようなものは、多くの観客に突き刺さっていると思います。
「映画とは離れてしまうのですが、先日とある舞台挨拶で、非行少年をサポートする仕事をしている方が『もう少し子どもたちの話を深く聞いてみようと思いました』と言ってくれたんです。介護現場で働いている方は『仕事で何ができるか考えてみたい』と言っていました。僕としては、そのように現実へ持ち帰っていただけるのは嬉しいですし、そういうことで十分だと思っています」
『あんのこと』
出演/河合優実、佐藤二朗、稲垣吾郎、河井青葉 広岡由里子 早見あかり
監督・脚本/入江悠
配給/キノフィルムズ
©2023『あんのこと』製作委員会 PG12
新宿武蔵野館、丸の内 TOEI、池袋シネマ・ロサほか全国公開中
annokoto.jp
Interview&Text:Takako Sorbonne Edit:Chiho Inoue