陶芸家 野口寛斉インタビュー「縄文土器を洗練させた時を超えた造形」 | Numero TOKYO
Art / Feature

陶芸家 野口寛斉インタビュー「縄文土器を洗練させた時を超えた造形」

Numero TOKYO 2024年5月号の特集『モノトーンの表現者たち』にて紹介している陶芸家、野口寛斉。世界最古の焼き物ともいわれる縄文土器の造形を洗練させ、書を連想する絵付けを施したJOMON YAKISHIMEシリーズで人気を博す、ここ数年、陶芸界を賑わすライジング・スターに話を聞いた。

──1日のルーティンはありますか?

「だいたい9時くらいに起きて、犬と散歩に行ってから朝食、10時くらいにはじめてお昼、またはじめて、5時か6時くらいまで制作。締め切りが迫っていたら夜も通しでやりますが、基本、寝ないとダメな人なんです」

──今日はジャズ系の音楽が流れていますが、いつも制作の時は何か聴いているんですか?

「その時、欲している音を流しますね。ロックやハウスを聴くこともありますし。音楽を辞めた時、レコードは全部捨ててしまいましたが」

──JOMON YAKISHIMEのシリーズは縄文土器がインスピレーションなんですか?

「はい。もともと古いものが好きなんです。縄文土器のプリミティブで人間らしい、作為のないところに惹かれますね。自分が作る時も心がけてはいるんですが、どうしてもカッコつけてしまう。制作のときは、常に作品を展示するときのイメージ、古めかしいものを現代的な場所に置くことで生じるインパクトを意識しています。白と黒の配色もそうですが、古さと新しさ、醜いものと美しいものなど対比する要素があることで互いの良さを引き出せるのではないか、と」

──日本の歴史的な陶芸には影響を受けていますか?

「始めたころは桃山時代のものとか、日本で陶芸が盛んだった時代の人たちに憧れて、茶碗を作ったりもしていました。ただ、僕が陶芸をやりたいと思った理由は、アートを作りたい、ということだったので陶芸家になりたい、というよりは徐々にファインアートの方向性に来ている、と思います」

──そもそもはなぜ音楽からアートへ方向転換されたのですか?

「2012年秋に訪れたニューヨークへの旅がきっかけとなりました。ちょうど30歳になろうか、というころ。ミュージシャンという職業は、10〜20代のころ憧れていたものでしたが、ずっと続けていけるだろうか? と疑問を持ち始めていたんです。それで渡航前に音楽機材を全部売り払い、いったんゼロにしてからニューヨークへ向かいました。帰ってきて、もしも続けたかったらまた買えばいい、と思って。(マンハッタンにある老舗ジャズクラブの)ヴィレッジ・ヴァンガードで、アマチュアナイトがあるのですが、そこで歌ってみて最終判断することにしました。カーペンターズの曲と日本語でサザンオールスターズの曲を歌ったのですが、客席からの手応えがなく観念しました。

その後、現地の友人にいろんな美術館に連れて行ってもらいました。それまでアートなんてほとんど見たことがなかったのですが。そんな中、イサムノグチ美術館を訪れ、『アメリカでもこんな日本人がいるんだ! 俺もこれをやりたい!』と衝撃を受けてしまったんです。アートだったらなんでもよかったのですが、流石に絵だとカミさんに怒られると思い(笑)、陶芸だったらまだいいかな、というので浅はかなんですが、帰国してから近所の陶芸教室に通い始めました」

──陶芸家のもとに弟子入りしよう、という選択肢はなかったのですか?

「出身は九州なので唐津とか、色々な産地も探したのですが、受け入れ先が見つからなくて。知人から彫刻家なら紹介できる、といわれて、そこのスタジオで働きながら、アート的な環境に慣れ、技術を学んでいきました。鉄を使った制作物を手掛けていて、同僚には美術大学を出ている人も多かったんです。並行して陶芸教室に通い続け、自宅でもろくろを練習して、台所で釉薬かけて……みたいな日々でした」

──それで徐々に陶芸の道に目覚めていかれたんですね。

「はい。音楽をやっていたときは、何かを得るためには努力をしなくてはいけない、という意識があったのですが、陶芸の場合はそれがなくて、毎日やっていても全く苦にならなかった。努力している感覚もなく、作るとき、窯から出したときの楽しさが勝っていました。それまで音楽では不安定な人生だったので、今更怖いものはない、という気持ちでしたね。陶芸が天職かどうか、はわからないですがこれからも追求していきたいと思っています」

──しかしパッと切り替えられるって、すごいですよね。思っていてもできない人が多いのではないでしょうか。

「頭の中にやりたいことがあって、やらないことの方がストレスですね。やらないで悶々とするよりは、やって結果を出していくしかない、という」

──最近は「書」のような平面の作品も作られていますね。

「ペインティングをやり始めたら面白くなってきました」

──白黒の陶器も、見かたによっては陶器というメディアを使った「書」の作品にも見えてきます。日本らしさ、は意識されていますか?

「凛とした佇まいだったり、プリミティブな要素だったりというのは日本的かもしれません。ただ、意識してはやっていなくて、理想的にはどこの国の人が作ったかわからないようなものが作りたいですね」

──だんだんと表現におけるアート性が増しているように感じられるのですが、機能性に根差した工芸とファインアートの違いについてはどのように考えますか?

「工芸とアート、それは永遠に答えの出ない問いというか。たぶん、今僕はその真ん中にいるように思っています。コロナ禍をきっかけに、作り手もそういう人が増えたのではないか? 買う人も、アートまでは手が出ないけれど買う、という層が出てきたのではないかな? 自分は、今、そんな立ち位置にいながらにして、アートに挑戦している感じです」

──作品のサイズもだんだん大きくなってきましたね。

「機能性は考えなくなりました。使うことを考えなければ、造形の自由度も高くなっていきます。最近は手捻りの作品も増えてきて、色を使うことも考え始めています。自分の中にはいつも古さを出したい、というのがあって、エジプトの壁画とか、塗料が自然に剥がれているような、そんな感じを出したくて試行錯誤しています。アンティークのようでもあるけど、形としては洗練されている、時を超えた造形。そんなアートを作っていけたら、と思っています」

Photos:Ai Miwa Interview&Text:Akiko Ichikawa Edit:Masumi Sasaki

Profile

野口寛斉Kansai Noguchi 1982年福岡県生まれ。陶芸を始める前はミュージシャンとして活動。30代に入る頃、N Yではじめてイサム・ノグチなど現代美術に触れ、「自分もアーティストになりたい」と思いキャリアチェンジした。今年、山梨県にスタジオの移転を予定。 https://www.kansainoguchistudio.com Instagram:@kansainoguchi

Magazine

JANUARY / FEBRUARY 2025 N°183

2024.11.28 発売

Future Vision

25年未来予報

オンライン書店で購入する