【インタビュー】井田幸昌:「一期一会」のアート魂
アーティストの行く道を陰日向(かげひなた)に分かつもの。それは己を問い、自らを紡ぎ出す精神(こころ)かもしれない。名だたる著名人から称賛を浴び、一躍、世界のスターダムへ躍り出た希代の才能——井田幸昌。されど百聞は一見に如かず、曇りなき目で対峙しよう。いざ参らん、京都市京セラ美術館の展覧会へ。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2023年11月号掲載)
【2】、【3】井田が出会った人々の顔を描いた、自身の代表的作品「ポートレート」シリーズより。【2】『Jorgen』2022年 【3】『J』2018年 ©IDA Studio Inc.
井田幸昌インタビュー 巡り合わせが導くアートの境地
描くことは「一期一会」。その明け暮れのうちに現在(いま)がある——。集大成となる展覧会に掲げる言葉は「パンタ・レイ(万物流転)」。その精神、描くこと、見る者への思いをひもとくインタビュー。
絵とひたすら対話する日々
──ご自身初となる国内美術館での大規模個展。展示を「ポートレート」シリーズ(図2、3)から始めるのはどのような意図から?
「肖像画は絵を始めて以来ずっと描いてきたので、ぜひ真っ先に見てもらいたかった。人物像に対する執着は、自分でもちょっと不思議になるほど大きいですね。僕にとって最も没入できるモチーフが人の顔で、他者の顔を描いていても、鏡と対面しているように自分を見つめている感覚が強いんです。つまり僕は画面の中に自己を投影して、自分の人生をそこに見いだそうとしているのでしょう。自分が何者であるかが、僕の関心の中心にある。これはあまりに大きい問いで、一生向き合っても答えにはたどり着かないかもしれないけれど、問い続けていないとどうにも気が済まない問題なんです」
──肖像画に限らず井田さんの絵は、なぜかくも不思議な形に満ちているのか。具象と抽象の区別すらつかない作品もありますが、いったい何を描いているのでしょう。
「外界をそっくりに写し出すことが目的ではないので、形が歪んでいるとかいないとか、具象か抽象かということも含めて、描いている本人はまったく気にかけていないというのが正直なところです。筆を手にして、ひたすら絵と対話し、自分を見つめているだけです。
ただし、そうしているといつまでたっても絵は完成しないし、筆を置くタイミングも見いだせなくなってしまう。そうならないよう、自分の中で絵が『できた』と思える基準を一つだけ設けてあります。“質量が宿った瞬間”です。絵に質量を宿らせられるかどうかは、そのときの体調、テンション、ヴァイブスといろんな要素が関わってくるので、確固たる方法論はありません。結局、対話し尽くすということしかないのです。
『できた』と思って僕が手放した作品に何が描かれているのか、どんな意味があるのか、なぜそんな形が現れたかは、作者の僕にもわかりません。そこは鑑賞者それぞれが、自由に思いを馳せてくれればいい。描かれた後の作品は、作者とは別に勝手に生きていくものですから」
【6】〜【8】日々出会う人や風景を描いた「End of today」シリーズより。展覧会では300作品を一堂に公開する。【6】『End of today – 1/15/2023 Face -』2023年 【7】『End of today – 2/18/2020 Self Portrait -』2020年 【8】『End of today – 12/9/2022 Mask -』2022年 ©IDA Studio Inc.
描く側と見る側それぞれの「一期一会」体験
──評価にまつわる話題も尽きませんが(図10〜12)、受け止め方はあくまで見る側の問題だと。
「はい。僕は創作のテーマとして「一期一会」という言葉を掲げています。作り手たる僕は、すべての作品と一期一会の精神で向き合っていますが、作品を見ていただく方々も事情はきっと同じなのでは。作品と対面する場所や日時、体のコンディションや精神の具合によって、抱く印象はがらりと変わってしまうじゃないですか。流れる水のように刻々とすべてが変化するうちの、とある一瞬に作品と出合うわけで、それはまさに一期一会と呼べるものです。
作品と邂逅して、あなたがその絵をどう見て何を感じたか、それに対して絵はどう投げ返してくれたのか。そうした作品との応酬を楽しんでもらえたら本望です」
──作品を作り始めた当初から、その考え方は意識していたのでしょうか。
「明確に言語化できていたかどうかはともかく、そういう心持ちはずっとありました。初めて一期一会を強く意識したのは10代の頃。絵を描いて生きていこうと心に決め、当時仕事をしていた石屋でここを辞めると告げたところ、年配の職人が『人生一度きりだからね』と言ってくださり、その言葉が胸に残りました。
その後、僕はインドへ旅に出ます。生と死が隣り合わせの環境に生きる老人や少女の姿が目に焼き付きました。ですが、ひとたび日本へ帰ればその人たちと再会することはまずないと思い至り、すべては変化し流れていくものだと感じました。そうした出来事に強く感応してきたのは、心の中に一期一会という概念がすでにはっきり根を下ろしていたからでしょう。それで徐々に、これこそ自分の創作のテーマとして掲げるにふさわしい言葉だ、と思うようになっていきました」
過去の作品より。【10】『Leo』2017年 レオナルド・ディカプリオ基金主催の環境チャリティオークションへ史上最年少作家として参加し、寄贈した肖像画。【11】『Miko』2016年 東京藝術大学在籍時に推薦を受け、若手作家の登竜門「VOCA展 2016」(上野の森美術館)に出展した作品。【12】『End of today – L’Atelier du peintre -』2019年 2021年12月にISS(国際宇宙ステーション)への滞在旅行を行った前澤友作が宇宙へ持参し、ISSに永久収蔵された作品。(以上3点:参考作品) ©IDA Studio Inc.
絵画、それは無限の可能性
──今展のラストを飾る『Last Supper』は、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』をモチーフにした大作です(図13)。美術史上の傑作に真っ向から挑むという気概の表れでしょうか。
「いつか描きたいと思い、長らく胸の中で寝かせていた作品です。これだけ広く知られた作品ですから、単に焼き直しをしても仕方がない。現代を生きる僕がこのテーマに取り組む意味を持たせたいと考え、この絵が宗教画である点に着目しました。今の世で宗教と同じく多くの人に影響を与えているものといえば、スマートフォンなどのテクノロジーです。この絵に描かれている13人の姿は、よく見ると人じゃない。実物を間近で見ていただくと、きっと面白い発見がありますよ。
過去の偉大な画家と対話できたり、現代社会の空気を捉えたりと、絵画は本当にいろんなことができるもの。描き手である人間は有限ですが、描かれるほうの絵画は無限です。自分の手は伸ばせる範囲がごくわずかなのに、イメージはどこまでも伸びていきますからね。絵画を描くこととは、この世に無限の可能性を生み出すことであり、すごく大きい意味がある行為なんじゃないかと思います。もちろん見る側だって、絵と向かい合うのは無限の可能性に触れられる機会なのですから、特別な体験になり得ます。
今展で僕は彫刻作品(図14、15)なども含め、約350点を出展しています。あなたと共鳴する作品が一つでもあればと切に願います。実は会場の京都市京セラ美術館は、かつて僕自身が大きな経験をした場所です。高校時代に『大エルミタージュ美術館展』を見に来て、モーリス・ド・ヴラマンクの『丘の上の家の風景』の前で動けなくなってしまった。その体験がもとで画家を志すと決めたのです。同じような体験が、今回もし誰かの身に起きたりしたら、こんなにうれしいことはないですね。
展覧会場の入り口はらせん階段で、展示空間も円環構造。迷宮に入り込んでいくような感覚があります。絵画の深みにどっぷりハマる巡り合わせを、ぜひ体験しに来てください」
井田幸昌 展「Panta Rhei|パンタ・レイ — 世界が存在する限り」
国内美術館における井田幸昌の初個展が、出身地・鳥取の米子市美術館に続いて京都で開幕。キュレーターに世界各地で大規模展を手がけるジェローム・サンスを迎え、鳥取展から規模を大幅に拡大。古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスの言葉「パンタ・レイ(万物は流転する)」のもとに約350点の作品が一堂に会する、自身過去最大規模の展覧会となる。最新情報はサイトを参照のこと。
会期/開催中〜12月3日(日)
会場/京都市京セラ美術館
住所/京都市左京区岡崎円勝寺町124
URL/https://ida-2023.jp/
TEL/075-771-4334
Edit : Keita Fukasawa Interview & Text : Hiroyasu Yamauchi