「visage(s)」展でジャン=フィリップ・デロームに聞いた、描くことの醍醐味と日本のこと
長いキャリアの中でファッションとアートの分野を自由に行き来し、活躍を続けるジャン=フィリップ・デローム。クラシックな筆のタッチと美しい調和の取れた配色、現代的なモチーフやスタイリッシュな構図で、多くのファンがいることで知られている。パンデミックを経て久しぶりの来日となった彼が、ペロタン東京で『visage(s)』と題した個展を開催中。フランス語で顔を意味する単語の複数形をタイトルに掲げたことからわかるように、本展はポートレートがメインになっている。夏休みも日本で過ごしたという彼に、これまでの活動と絵を描くことの醍醐味、日本への思いを訊いた。
──絵を描く仕事につかれたきっかけを教えてください。
「子どもの頃から絵を描くことが好きで、80年代にパリのアートスクールで絵画を学びました。一方で雑誌やポスターなどのイラストやデザイン、様々な印刷物を手にとって見ることが大好きでした。当時はニューヨークでグラフィティをする人が多く現れ、アート業界にも動きがあった時代。それもあって美術館やギャラリーに飾られた作品よりも、街で目にするストリートの中のアートに心が躍ったものです。キャリアがファッション誌や広告から始まったことはとても自然な流れでした」
──現在の作風はいつから?
「雑誌社で働き始めたころに、ファッション フォトグラファーに影響を受けました。彼らのような視点で、絵を描いてみたいと思ったんです。また、彼らは様々な場所で撮影を行い、いろんな国を旅しながら働いていますよね。そういったスタイルも気に入りました。ロンドンでのブリティッシュ・ヴォーグのイラストが最初のファッションの仕事です。1988年のことでした」
──当時と作風は変わりましたか?
「はい。根底に同じスピリットがありながらも、多くの変化があったと思います。雑誌の媒体によって描き方を変えたり、ときにはライターのように文章を書くこともありました。アメリカでバーニーズニューヨークの仕事ができたことも、大きかったですね。90年代はパリ、NY、ロンドン、東京を旅して回りました。2009年に家族とNYに移る機会があり、イラストより絵を描くことが増えていきました。雑誌、広告などの仕事をセーブし、ランドスケープや家族、静物などを描くことに時間を費やすことにしたのです。2010年には、私のスタジオに来た人を描いたり、目に入ったものや、レファレンスのない風景やものを描き始めました」
──これまでに影響を受けたアーティストやカルチャーは?
「最初のインスピレーションは、80年代のストリートアート。学生時代はデイヴィット・ホックニーに憧れました。パリの学校の課外授業で訪れた、彼の舞台美術や衣装の展覧会で、作品が“あなたが望むことなら、なんでもできる”と語りかけてくるようで、幼いながらに大きな自由を感じました。学生だったので、絵をこう描くべきというルールや方法に縛られていたんです。アメリカ人画家に大きな衝撃を受けました。絵の筆の進め方にも悩みがありましたが、その展覧会を見てからはただ思うままに描いてみようと思いました。それから、エドゥアール・マネも好きです。あとは、アレックス・カッツ。彼はクールな画家で、バーニーズでお会いできたことは素晴らしい思い出です。それからルシアン・フロイド。90年代のヨーロッパは、写真やメディアアート、インスタレーション、映像作品などが注目されていて、絵画はだいぶオールドファッションなものと考えられていました。絵画を人々が忘れ、人生からなくなってしまったからこそ、絵で表現したいと思っていました。あとは、デヴィット・ベイリーをはじめとする多くの写真家たち。ベイリー、ウィージー、ウォーカー・エヴァンス、ジョエル・マイヤーウィッツやソール・ライターブルース・デヴィッドソン…絵を描くとき、人々がカメラ前でとるポーズや写真の構図をイメージしています。カメラの前では、自分自身が何者か表現しますよね。画家と写真家は、被写体、モデルに対するアプローチが全く違う。常に写真家の視点で描いています」
──今回「visage(s)」というタイトルに至った理由は?
「人物を描く上で興味深いのは、人の顔に表現されている何かです。身体からの表現も存在しますが、スタジオという閉ざされた空間で顔と顔をあわせて絵を製作すると、その親密な距離感、顔にしかない情報に魅せられます。絵を描く側と描かれる側で交わす視線は、エネルギーの交換のようにも感じられ興味深いものです。だんだんと関係性が築かれていくと、より描くことに熱中できます。このテーマでは、視線を向けられていない人を描くのはとても難しい。例えば背を向けた人だと言葉以外のコミニケーションが重ねられず、もはやランドスケープになってしまう。モデルの目、顔を見て描くということが大切でした」
──モデルとなった人物はどういった方々なのでしょうか?
「息子の友人たち、あるときはそのまた友人、ディナーやパーティーで知り合った人など。さまざまですが、どなたも会ったときに描いてみたいと思った人です。街を歩いていると、面白いパーソナリティの人がいて、この人の絵を描いたら面白そうだと思いますが、私はストリートキャスティングはしません。私はシャイだし、人々をびっくりさせたくないし、無視されるのもいやなんです(笑)」
──本展では、壁の色にも驚かされます。
「パリのスタジオは、壁が白いんです。スケッチブックもまっさらなキャンバスも白ですし、ツールも白い。ギャラリーも白なことが多いですよね。ポートレートを展示するなら、他の色をバックグランドに使いたいと思いました。パリのスタジオの隣りにフォトグラファーのスタジオがあるのですが、撮影にカラーの背景紙を使って撮影しているのを見て「これはよさそうだ」と思い、カラー紙を背景に作品を見てみたんです。どの色がふさわしいか吟味しました。また、キュービストのコラージュ作品も背景色の参考にしました。二色の色を塗ってからモチーフを描く技法には、効果的な色が使われています。また本屋で見たアートブックには、異なる色を隣り合わせにした壁のアーティストのアトリエが紹介されていました。アーティストがそれぞれ、壁紙や花などを使って頭の中を表現し、空間に命を吹き込んでいるのは面白いものです。アーティストにとってスタジオは空っぽの箱のようなもの。変幻自在なシアターステージともいえるかもしれません」
──同時に発刊した詩集『Studio Poems』について教えて下さい。
「タイトルは、スタジオ内で詩を書くことが多いことから名付けました。詩は風景を描きにギリシャへ行った際に作ったもの。パリ、NY、ギリシャ、どこへ行っても、絵も描けるし詩も作れる。旅先の地を2つめのスタジオと考えていることと関係しています。
子供のころから絵と同様に、文章を書くことにも興味を持っており、よく本を読んだり、言葉を書き留めたりしていました。80年代後半はファッション誌でライターとしても仕事をし、絵にキャプションがある作品集など多くの本の出版にも携わってきました。詩はその延長です。ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズなど、ビートジェネレーションの詩の文化にも感銘を受けました。詩の朗読は、NYでクールな表現と認識されていました。同じくフランスも詩の国ですが、絵画と同じく詩も古い文化だと認識され、ちょっとうんざりされているかもしれません。人間的で皮肉もあり本質をついた面白いものなのに。ディビットホックニーも詩を書き詩画集を出版していましたし、アーティストと詩は親和性があると思います」
──絵画表現と詩の表現、それぞれの醍醐味を教えてください。
「絵は製作過程でいろいろなことを考え、実行しなくてはなりません。モデルを見ながら、次にどうしたらいいか展開を考える、インスピレーションやムードを感じながら進行し、ときにステップバックする。色やフォルムなどを想像しながら筆を進め、俯瞰して見直したり多くのことをコントロールしなくてならないので、時間がかかります。
詩はもっと瞬時にアイデアがひらめいたり、散歩したりコーヒーを飲んだり、他のことをしているときに言葉が思い浮かぶもの。2、3時間文章を推敲することもありますが、製作のプロセスが異なります。特にポートレートに関しては、製作時間にも気を配らなくてはなりません。時間をかければ多くの要素を上のせできますが、仕上がりがよくなるとは限らない。できるだけ1レイヤーでフラットに、要素は最小限で的確に、それでいて最大限のムードを表現できることが重要だと考えています」
──日本の文化のどんなところに興味がありますか。
「美の感覚です。最初に東京に来た時は、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を持って来ていたのですが、旅に夢中で読む時間がありませんでした。結局、読む時間が作れないままいろんな旅に持っていくことになり。ある日、ちょうど東京にいた際にようやく読み始めたら「これはすごい」と思いましたね。日本の伝統的な床の間の存在を知り、花を活けることについて考えました。大きなライトで光を当てれば花の存在は確認出来るが、多すぎる光は美しさを損ねてしまう。そこにある暗さや陰の魅力、光と蔭との使い分けについて書かれていました。絵も光の量が大切です。見慣れた風景でも窓から入る光の時間帯によって息をのむほど美しく感じたりする。数時間後にはまた光の状況が変わってしまいます。絵画でも背景をあえて暗くする技法があり、本展でも用いています。背景が暗転していると、観ている人には、そこに何があるかわからずどういう状況かわからなくなる。だからこそ、人々の想像力を刺激するのです」
──久しぶりの日本の滞在はいかがでしたか。
「2019年以来となりますが、別の展覧会で新宿伊勢丹のショーウィンドウに写真を展示する作業をしに行きました。帰りはバーに行きたいと思い、ゴールデン街の思い出の店へ行きました。90年代初頭に初来日した時に、フランス語を話す女性が営む「ラジュテ」というバーに友人と行きました。当時は、映画業界の人の行きつけで、確かソフィア・コッポラもいたような。映画俳優に会うことも珍しくなかった。ゴールデン街は、ほとんど日本人しかいないひっそりした飲み屋街でしたが、今年来てみたらどうでしょう。山ほどの西洋人の観光客で埋め尽くされていました(笑)。あまりの盛り上がりで、静かな小さなバーに移動することに。今度からはここに来ようと思っていたのですが、生憎この秋でクローズとのこと。なかなか思い通りにいかないものですね。以前の東京とは異なりますが、根底にある面白さは変わっていませんね」
──前回はインスタグラムをテーマにした本『ARTISTS’ INSTAGRAMS:The Never Seen Instagrams of the Greatest Artists』を刊行され、自身のアカウント(@jeanphilippedelhomme)には日々絵を投稿されています。SNS についてどうお考えですか。
「いろいろな側面がありますが、依存症にならなければ面白いと思っています。現実的に本や雑誌を出版するには多くの時間と資金が必要ですが、インスタグラムは誰でも無料で使え、すぐに投稿して世界中の人に届けられます。例えば制作経過を公開するにも、限られた人数の人をアトリエに招かずにすみ、多くの人に共有できる。人に自分の存在を知ってもらうきっかけにもなります。自分自身がメディアになれる、みんなに開かれたプラットフォームなのです。子供のとき授業に退屈すると教科書に落書きをして友人に見せていたような、人に見せて共有できる楽しさがあり、どんな些細なことについても語って伝えることができる。私がファッション誌や本でユーモアや冗談を交えて絵を描き、挑戦してきたことと同じです。仕事と結びつけなくても、普段の生活における瞬間を写真におさめ説明することは、自分が大切だと思える物事を見つける習慣にもなるのではないでしょうか。人生に驚きや喜びが存在することを思い出せれば、みんながアーティストになれるわけです。しかしインスタグラムはパワフルなツールだと思う一方で、その存在が映画や雑誌への関心を薄れさせていると思うとトゥーマッチにも感じることもありますね。そういった特性に皮肉を交えて、ピカソやジャコメッティなど偉大なアーティストたちの時代にインスタグラムがあったらどうだったかを想像し、一冊の本にしました。ピカソなら、きっと自分の偉大さを誇るような投稿ばかりしたでしょうね。ゴーギャンは2か月ごとに誰かデートできる人を探していたり…。すべて私の想像ですが(笑)」
──今後の展望を教えてください。
「描き続けていきたいです。いろいろな人を描いてみたいですし、もちろん風景も。異なるスタイルにも挑戦したい。本も書きたいですね。これまでの活動を続けて、より良くなっていけたらと考えています。話題のNFTみたいなものは、ちょっとなあと思っています(笑)」
『Jean-Philippe Delhomme Paintings』
RVBブックス発行、2022年
21×27cm
304ページ
ハードカバー
フランス語と英語のテキスト
ISBN 9782492175237
Published by RVB Books, 2022
21 x 27 cm
304 pages
Hardcover
Texts in French and English
ISBN 9782492175237
『Studio Poems』
挿絵入り。
17cm x 12cm
157 pages
Perrotin製作
Poems created in the studio by Jean Philippe Delhomme
17cm x 12cm
157pages
Published by Perrotin
「Jean-Philippe Delhomme visage(s)」
11月5日まで開催中
https://leaflet.perrotin.com/view/593/visage-s
詩集『Sudio Poem』
発行年:2023
項数:160
サイズ:17×24cm
言語:英語・フランス語
出版社:ペロタン
Interview & Text:Aika Kawada