写真家たちの冒険 vol.3 瀧本幹也 「地球探査から精神世界への冒険へ」
人生で経験できることは、残念だけど限られているだろう。世界中の町に行くことは難しいし、身の回りのことだって全てを知らない。でも、私たちには写真家の眼差しがある。彼らの世界に触れることが、自分で体験するよりも遥かに豊かな経験になり得るのだ。特集「写真家たちの冒険」vol.3は 瀧本幹也。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2023年6月号掲載)
地球探査から精神世界への冒険へ
僕は小学生の頃、宇宙少年でした。『天文年鑑』や『月刊天文ガイド』を愛読し、毎週末、天体望遠鏡に父のペンタックスSPというフィルムカメラを取り付けて、月や土星を撮影していました。1986年、ちょうど11歳の頃ですが、ハレー彗星が地球に最接近し、スペースシャトル・チャレンジャー号の事故が起きるなど、宇宙関連のニュースが多い時期でもありました。そのときの新聞記事のスクラップや、撮影した月の写真は今でも保管してあります。
NASAのスペースシャトルを撮影したプロジェクト『SPACE』や、南極やアイスランド、カッパドキアなどの地球の僻地を訪れた『LAND』というシリーズは、子ども時代の冒険心の延長線なのかもしれません。
普段、僕らは当たり前のように地球を人が暮らすための場所だと考えていますが、一つの惑星として捉えると、地球は“なり損ないの星”ともいえます。小さくて質量が足りないから、自発的に発光する恒星にはなれなかった。しかし偶然、太陽からちょうどよい距離に存在し、空気があり、生命が育つには最適な気温でした。その上、ちょうどよい質量の月が地球の周りを回り、海に潮の満ち引きが生まれた。全ては奇跡が生んだ完璧なバランスです。僕が惹かれるのは、そんな“なり損ないの星”の姿です。それを、宇宙からやって来た無人探査機のように俯瞰の眼差しで撮りたかった。地球の太古からの原風景を求め、火山や氷河、砂漠、荒野などあらゆる場所に足を運びました。火山が噴火して流れた溶岩は冷えて固まり、さらに長い時間をかけて苔が覆い始める。地球が生きている証拠を感じる場所に行くと、子どもの頃からの冒険心がぞわぞわします。
これは地球上を横に移動する“横軸”の動きです。しかし、コロナ禍で“横”への移動が難しくなっていきました。そんなときに、展示をするため、毎週、京都の妙満寺に通っていました。いつもなら観光客で賑わう京都も人はまばらで、近くのお寺で枯山水の庭園を眺めていても、ほぼ貸切状態です。それに味を占めてもっと京都に通いたくなって、京都の和菓子屋の仕事を取りつけ、その後も定期的に訪れるようになりました。
妙満寺の住職さんに教えていただいた言葉に「円融」というものがあります。世の中の全てのものは互いに妨げることなく融和し、一体となり溶け合っている。例えば、空から一滴の雨粒が葉に降ります。それが地面に落ち、いずれ小川となり、それが集まり大河となって海に至る。やがて海面から蒸発し天に昇っていくというように、いろんなものがつながっているという禅の教えです。僕は無宗教ですが、京都での経験を通じて、精神世界への冒険にのめり込みました。
以前は地球の原風景から宇宙を捉えようと、地球上を“横移動”していましたが、コロナ以降は寺社仏閣や庭園、花から禅や精神世界を表現するようになりました。言わばこれは“縦軸”です。コロナ禍を経て、僕の中にもう一つ、縦軸の視点が追加されました。ここ数年は、小さな宇宙、精神世界への冒険が続いています。
Interview & Text:Miho Matsuda