内田也哉子エッセイ「揺れるドレス」 | Numero TOKYO
Culture / Feature

内田也哉子エッセイ「揺れるドレス」

本誌2023年5月号のデイリードレス特集のために、内田也哉子がエッセイを書き下ろしてくれた。色鮮やかによみがえるドレスにまつわる思い出は、たおやかな語り口ながら強い印象を残す。また、フォトグラファーの鈴木親が撮り下ろしたのは内田本人の私物のドレス。まるで東京でしなやかに生きる女性を象徴するかのようだ。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2023年5月号掲載)

「60年代頃、パリを旅した父・内田裕也から母・樹木希林へ贈られたヴィンテージドレス。後に母から娘(私)へ継承され、今では孫娘も袖を通す。スパンコールが刺繍され、肌馴染みのいいコットンとウール混紡のファブリックは、タイムレスなドレスとして愛され続ける」
「60年代頃、パリを旅した父・内田裕也から母・樹木希林へ贈られたヴィンテージドレス。後に母から娘(私)へ継承され、今では孫娘も袖を通す。スパンコールが刺繍され、肌馴染みのいいコットンとウール混紡のファブリックは、タイムレスなドレスとして愛され続ける」

揺れるドレス

インドを旅したとき、路地裏でたたずむ、ある少女に釘付けになった。 年の頃は7歳くらいの彼女は、自分の身体よりも随分とオーバーサイズのドレスを着ていた。か細い腕を覆うパフスリーブと、着丈の長いフレアスカートは、少女の褐色の肌に映える、鮮やかなエメラルドグリーン色をしていた。 たとえ誰かのお古だったとしても、決してドレスに着られているのではない。少女自らの意志の宿ったドレスの着こなしと、土埃の舞う道を、しかと踏みしめる裸足。それはまるで計算しつくされたアンバランスのようで、瑞々しく生命が発光する姿に心を奪われた。 やがて、ふと気づく。自分の子ども時代の記憶が、彼女にどこか共鳴していることに。

中学に上がるまで、私は服を買ってもらったことがなかった。生来もったいない精神の母の元に、友人たちの着なくなった服が集まることも多かった。けれども、どちらかといえば、女手ひとつで私を育てた母は「ものがあふれるこの世の中で、自分の目の前にあるものを想像力を駆使して、自在に使いこなす力を身に付けてほしい」と願った。当時、消費に踊らされたバブル時代にしては、いささかラディカルすぎる願いを娘に託したのだ。

おかげで私は、子ども服とは無縁の、大人のお下がりだけで少女時代を過ごすことに。自分とサイズが不釣り合いな服を、いかに自分のものにするか。 幼い自分が着ると、膝下までの長さがあるカットソーやブラウス。それらのウエスト部分をリボンやベルトで締め、長すぎる袖は肩上げをするか、袖そのものを切り落とし、ノースリーブドレス風に着た。そして時には、他のガーメントと重ねてみたり、余る生地をひねったり、縛ったり、ブローチで留めてみたり…とにかく原型を忘れるほど、服と遊び、格闘した。

ただし突然、この母娘の風習に横槍が入ることがあった。一度も共に暮らしたことのない父が、無類のヴィンテージドレス好きで、欧米を旅すると、必ずお土産に珍しいドレスを買ってきた。それらは、60年代特有の大胆な色使いやデザインのワンピースから、ヴィクトリア時代のビーズやレースで仕上げた華奢なドレスまで多種多様だった。ほとんど父親らしいことをしてもらった覚えがないけれど、こうして自由気ままに届くドレスたちは、「お前らを忘れちゃいない」という彼からのメッセージのようにも思えた。

父と母が仲睦まじく寄り添う姿を見たことがなかった私は、父から贈られたワンピースを着ている母を見て、その艶やかさに、思わず息をのんだ日を忘れない。なんだか見てはいけないものを見てしまったような気恥ずかしさと同時に、柔らかな安堵も覚えたことを。たおやかに揺れるファブリック越しに垣間見たのは、互いのエネルギーの激しさゆえに、ひとつの穏やかな家庭を築けなかった夫婦の、娘にさえも理解の及ばない、独自のいびつな愛の形だったのかもしれない。

Text:Yayako Uchida Photo:Chikashi Suzuki Edit:Sayaka Ito

Profile

内田也哉子Yayako Uchida 1976年東京生まれ。エッセイ執筆を中心に、翻訳、作詞、音楽ユニットsighboat、ナレーションなど、言葉と音の世界に携わる。幼少のころより日本、米国、スイス、フランスで学ぶ。三児の母。著書に『新装版ペーパームービー』(朝日出版社)、『会見記』(リトルモア)、『9 月1日 母からのバトン』(ポプラ社)など。

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