「現代美術、モノからみるか、人からみるか」Column by Kensuke Yamamoto
モノと人の先にあるものとは。そんなことを考えながら、二人の「HIROSHI」の公約数を紐解いた小話。(2022年11月5日発売『Numéro TOKYO EXTRA – Hiroshi Fujiwara presents ARCHIVE of MEMORIES』掲載)
ヒロシさんは作品そのものからその奥にあるものを覗く
「僕は作品そのものから奥を覗きたくて、山本くんはアーティストから奥を覗く」
(藤原)ヒロシさんとのLINEでのやりとりの中の一節だが、ヒロシさんとの会話はアートの話題も少なくない。完全に趣味が一致しているわけではないけれど、ヒロシさんがレコメンドしているアーティストを僕が好きになることもあるし、時には逆のことも起こって嬉しい。
確かにアプローチとしては、ヒロシさんは作品そのものが好みかどうかというところに軸があって、僕の場合は作品そのものがアーティストを知るきっかけになることは数多くあれども、一度アーティスト本人のことをしっかりと理解した上でその作品を好きになっていくことが多い。このアーティストお好きでは? みたいな話をするときには、アーティストの思考やスタンス以上に、ヒロシさんが作品そのものを好きそうか、みたいなところを無意識的に僕も考えているな、と冒頭の内容を言われて思ったところだった。
たとえば今夏もNYでも個展が開催されていた今や飛ぶ鳥を落とす勢いの今井麗さん。去年彼女の展覧会のプレビューにヒロシさんを誘って伺って、あれよという間にフラグメントとロロ・ピアーナのコラボレーションに麗ちゃんがフィーチャーされて、それは嬉しい出来事だった。
あと杉本博司さんとヒロシさんはあまり深い繋がりのない印象で。せっかく名前も同じだし、といった本筋に関係ないディテールまで含めて、どこかで二人が話す機会があったら面白いのにと編集者的な気持ちで勝手に思っていたのだが、昨年ふとしたことで、その機会が訪れた。
藤原ヒロシと杉本博司、二人に共通する約数とは?
藤原ヒロシと杉本博司がどのように繋がれば一番有機的な反応が起こるか、という命題を解きにいったともいえるものでもあったのだけど、年齢は一回りちょっと違い、少しは似ている部分もあるものの基本的には非なる世界を舞台に活躍されているお二人。なかなか共通の話題のイメージが湧かない。
いい具合の会食がセッティングされるだけでもお二人はいらっしゃるかもしれないが、共通項のグリップが効いてない初対面に近いメンバーでの食事会は一般論として盛り上がりに欠けたまま終わってしまうケースもままある。それではダメで、さて、どうしたらいいものだろうか。
以前に真心ブラザーズのYO-KINGさんと杉本さんの東京のスタジオに遊びに伺ったことがあったのだけど、YO-KINGはギターを担いでやってきて自曲を弾き語り、杉本さんはお気に入りの曲を歌い、さらにはセッションをしたりという贅沢な放課後の音楽室のような随分と愉しい時間に居合わせさせてもらったことがあった。
そこで、そうだ、ヒロシさんを誘ってこれの第二弾をやればいいのでは、という考えが頭に浮かんだ。YO-KINGさんとヒロシさんはAOEQというユニットを一緒にやっている旧知の仲、そして杉本さんとヒロシさんの間でも、お二人の音楽的嗜好を思い浮かべると、音楽という「モノ」が深い共通項になる、というイメージがはっきりと湧いた。
そして藤原ヒロシとYO-KINGがギターを担いで杉本博司のスタジオを訪問。放課後の音楽室第二弾として、オリジナル曲からジョン・レノンの杉本仕様のカバーまで自在に披露される夢のような三人のセッションが開催されたのだった。あとは会話も自然に盛り上がる。セッションのあとは、杉本さんが特製のおでんを振る舞ってくださった。
こういう機会に際して思うのが、アプローチは違っても、結局のところ「モノ」と「人」が交錯していく様が一番愉しいのかもしれないということ。それはアートの世界に限らず、人生全般においてきっとそうなんだと思う。仕事もプライベートもそうだけど、様々なカオスをうまく乗りこなしていく毎日がやっぱり面白い。
Text : Kensuke Yamamoto(Sumally Founder & CEO) Illustration:Muumenna
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