松尾貴史が選ぶ今月の映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』
1961年にロンドン・ナショナル・ギャラリーで起きた、フランシスコ・デ・ゴヤの名画『ウェリントン公爵』盗難事件。「人々の暮らしが、少しでもよくなるために」という想いから端を発したこの事件の結末とは。映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』の見どころを松尾貴史が語る。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2022年3月号掲載)
高額な絵画盗難の発端とは
冒頭から、ささやかなサスペンスの要素が始まるかと思ったら、私も過去に経験のある、テレビ受信料の取り立てなのでした。その後、ホームドラマ風があったり、社会派の描写もあったりしますが、実は現在の私たちの身の回りで起きているような事柄が、すでにもう60年代のイギリスでは当たり前の光景だったのですね。
主人公は、ケンプトン・バントンという60歳のおじいさん。え、おじいさんですか? 私よりひとつ年下ですか? しかし、演じているジム・ブロードベントはどう見ても70代半ばに見えます。いや、これくらいしょぼくれていたほうが物語に入り込みやすいし、この時代の60歳といえばこんな感じだったんだろうという気もします。第一、実物のバントンの写真を見れば瓜二つなのですから。
彼は、孤独で貧しい高齢者が強制的に受信料を払わされることに義憤を感じ、自宅のテレビ受像機の部品を操作することでBBCだけが映らないようにして集金人に抗議するのですが、あえなく逮捕され短期間ながらも服役することになります。
イギリスの放送局BBCは日本のNHKと同じく公共放送です。「国営放送」と勘違いしている人も多いとは思いますが、国営ではないのです。成り立ちは日本のNHKが追随したかもしれませんが、その独立性は日本人の我々から見れば、政府に対して実に毅然と対峙している立派なものです。
しかし、受信料については納得していない層の人々も多く、バントンは誰からも頼まれないのに、その抗議の先頭に立とうと空回りの社会運動を始めます。日本でも、「NHKをぶっつぶせ」などと叫ぶ集団がいますが、根は同じところにあるのかもしれません。
さて、彼はどういう経緯か、高額な絵を盗んでしまうという「犯罪的行為」に手を染めてしまいます。このゴヤ作の絵画『ウェリントン公爵』は、私もどこかで見たことはありますが、盗難事件に巻き込まれた絵だとは知りませんでした。もちろん、私が生まれて間もない頃に起きた事件なのですが。
この絵が盗まれている期間に撮影、公開された『007は殺しの番号』(公開時のタイトル。現在は『007/ドクター・ノオ』として知られる)の作品中、悪の組織「スペクター」のアジトにこの絵が飾られていてジェームズ・ボンドが目に留めるシーンがあるのですが、覚えていらっしゃる方は少ないかもしれません。それほど、当時はその行方が取りざたされていたということなのでしょうね。
さて、バントンがやろうとしたことは、もちろん違法ではあるけれども、ひょっとすると、「純粋な意味での芸術的行為ではないか」とも、個人的には思ってしまうのですが。
『ゴヤの名画と優しい泥棒』
監督/ロジャー・ミッシェル
出演/ジム・ブロードベント、ヘレン・ミレン、フィオン・ホワイトヘッド、アンナ・マックスウェル・マーティン、マシュー・グード
2022年2月25日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開中
happinet-phantom.com/goya-movie/
配給:ハピネットファントム・スタジオ
©PATHE PRODUCTIONS LIMITED 2020
Text:Takashi Matsuo Edit:Sayaka Ito