ストリート経由のアーティストたち 【1】山口幸士
スケートボードやグラフィティ、マンガからの影響など、独自のセンスを育んできた日本のストリートカルチャー。その核心は、道なき道を行く精神にあり。ストリートを更新する、新感覚のアーティストたちをピックアップ。Vol.1は山口幸士にインタビュー。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2021年12月号掲載)
Koji Yamaguchi|山口幸士
インタビュー:流れゆくストリートの心象風景
公園や誰かの家の庭、街中に咲く花など、何げない風景を独特のテクスチャーで描く山口幸士。彼の原点には中学生の頃に始めたスケートボードと、風景画家だった祖父がいる。 「スケートボードは、地元・川崎で楽しそうに滑る、ちょっと悪そうな先輩に憧れて始めました。そこからデッキや洋服のグラフィック、グラフィティに興味を持ち、それと幼い頃から身近にあった絵画が自然と結びついていきました」 美術大学には進まず、マーケティングを専攻しながら独学で絵を描き続け、ギャラリーやクラブイベントなどで展示を行った。自分らしさを模索するなか、祖父の描く風景絵画とスケートボードが再びリンクする。 「自分がいつも目にしていたスケートスポットを描こうと考えました。設備を壊したり、騒音などで通報されて追い出されたり、再開発でスポット自体が失われることもあります。だから、場所の記録という意味もありました」2015年に渡米し、ニューヨークで活躍するアーティスト松山智一のアシスタントを務める傍ら、スケートスポットを探して描いた。あるとき現地のスケーターに「周辺に有名なスポットはある?」と尋ねたら「滑ればそこがスポットだ」という答えが返ってきた。街中の段差や階段も彼らにとっては特別な場所。それから、視点はより身近なものに移っていく。
「渡米から1年半くらいたった頃、スケートで膝の靭帯を切ってしまいました。アメリカの医療費は高いので手術ができず、アシスタントとしても十分に働けない。日本にいた妻が渡米したばかりというタイミングで、何かしなくちゃと道端のバラや風景を描き始めました」
全体が横にブレているような画風は、スケートをしていた頃に目にした、街が後ろに流れていく風景だ。
「小津安二郎作品と路上に座るスケーターの視点の低さに共通点を感じたり、街中の無用の長物に新たな価値を見いだす赤瀬川原平の視点に共感したり、多くのことから影響を受けました。スケーターは職業や好きな音楽、ファッションもさまざまで、年齢、国籍、性別も関係ありません。今は滑っていなくても、そのマインドを持ち続けています。自分の絵にもそれを感じてくれたら」
18年に帰国し、ギャラリーでの展示のほか、街中にゲリラ的に作品を展示し、川崎市と組んで壁画プロジェクトにも取り組んでいる。
「街にはたくさんの可能性が広がっています。そして絵画にも。自分がイタリアの画家ジョルジョ・モランディの絵に衝撃を受けたように、数十年後の人の心を動かす普遍的な絵を残していきたいと思っています」
Text : Miho Matsuda Edit : Keita Fukasawa