Culture / Feature

「セルフラブの目覚め」by 佐久間裕美子

自分のことを大事にしていますか? 自分のことを愛せていますか? 「セルフラブ=自愛」についての考え方から向き合い方、その方法や受け入れ方は人それぞれ。ただはっきりと言えることは、そこに答えはないということ。ここでは、あなた自身のセルフラブを見つける旅の皮切りに、文筆家・佐久間裕美子のエッセイをお届け。( 『ヌメロ・トウキョウ(Numero TOKYO)』2021年5月号掲載)

子供時代、どこへ行っても問題を起こしたり、お行儀よくできなくて、自分はできない人間なのだという暗い気持ちを抱えていた自分が、今までなんやかんやありながらも、大人になれたことが奇跡のように思えるときがある。あのまま自分のことを愛せないまま大人になり、その気持ちと葛藤することに憔悴し続ける──そんなシナリオに転ぶ確率はやまとあったと思うからだ。そうならなかった理由は、人生の要所要所で、私、という人間を肯定してくれる人たちに出会ったからにほかならない。それでも、自分を愛することの重要性に気が付かずに、自分との折り合いをつけることができないでいた時間もずいぶん長かった。ただひたすら仕事に明け暮れた30代が終わろうとしたとき、ふと自分を振り返ったら、自分が何者であるかわからなくなった。自分を見失い、その存在に耐えられなくなって、生きることからドロップアウトすることもできずに、ついに自分と向き合う作業をすることになった。

自分と向き合う、ということは、過去を受け入れ、自分を許し、肯定し、いたわり、という作業のリピートだった。結局それは一言であらわすと「自分を愛することを学ぶ」ということだったのだろう。やっている最中はそれはそれは長く、辛く苦しいプロセスだったけれど、今となってはあれをやってつくづく良かったと思う。やっていなかったら、今頃、破綻していただろうと思うからだ。
 
とはいえ「完全に習得した」ということにはもちろんならない。克服したと思っていたはずの過去の痛みが急に戻ってきたりする。けれど、今の自分は前よりちょっと賢い。苦しみながら自分の脳内に蓄積していったセルフラブのハンドブックから「えっと、こういうときはどうするんだっけ」とツールを探す。

幸い、自分の人生には、セルフラブの達人がたくさんいる。ピンチのとき、やらかしたとき、迷ったとき、「You do you」(自分の道を行けばいいよ)とか、「セルフコンパッションだよ」と思い出させてくれる人たちが。日々、Nワードを浴びせられながらNYPDを勤め上げた隣人のマーヴィンは、「自分と無関係の悪意に抵抗する唯一の方法は自分を肯定すること」と自分の体の周りに悪意のないゾーンを張り巡らせるイメージトレーニングを教えてくれた。#metooという言葉が登場する前に、自分を売り出したプロデューサーによってレイプされたことを公表したシンガーソングライターのラーキン(・グリム)からは、勇気が必要なとき、どんな瞑想をしているかを学んだ。それぞれにトラウマや壮絶な闘いがある。そういうことを考えているうちにわかったことがある。彼らがセルフラブに長けているのは、闘うために身につけてきた生き残りの方策だからなのだ。

コロナウイルスのロックダウンが始まって、不安や恐怖に襲われそうになったときに「こういうときこそセルフラブを行使するときだ」と確信できたのは、こういう教えを受けてきたからだ。どうやらこの生活が長くなりそうだ。トンネルの先は見えない。いつものように、人と会って抱擁し合ったり、食卓を囲んだりすることも、しばらくの間、できない。大袈裟でなく、この危機を乗り越えるには、セルフラブが唯一の道だ、そう思ったのだ。
 
セルフラブと急に言われても、自分を好きになれない、肯定することができない、という声を耳にする。考えてみればそれも当然のことだ。そもそも私たちは、自分たちを肯定しろと教えられてこなかった。おまけにずいぶん長いこと、女の幸せは愛されたり、他人から承認されることと紐付いて提示されてきた。そんな環境で、どうやって自分を愛することができるのだろうか?

こうしたことは自分のせいではない。けれど、自分自身と生き続けなければいけないのは、究極のところ、自分である。

誰もが今すぐにでも始められることがいくつかある。ひとつは周りの友人と肯定し合うこと。自分の何をいいと思ってもらえているのか、口に出してもらう。自分も相手の好きなところを肯定しよう。自分をどれだけつまらない人間だと思っても、他人が思う自分のほうが絶対に素敵なのだ。

もうひとつのチャレンジは、自分を否定しないこと。まずは「私なんて」と自分を卑下するのをやめる。失敗したとき、うまくできなかったとき、自分にかけている言葉に注意を払ってみてほしい。大好きな友達に同じことを言うだろうか。だいたいの場合、答えはノーである。自分には自分しかいないのに、そんな扱いをしても良いのだろうか?
 
その答えもノーである。
 
そんなふうに自己肯定のジャーニーのスタートが切れたら、自分と向き合ってみてほしい。自分を幸せな気持ちにするもの、悲しい気持ちにするものは何なのか。どんなときに自分を発揮することができるか。そして、自分が自分を愛することを阻んでいるのは何なのか。

自分を見失ってのたうちまわっているとき、自分の中に大きなしこりがあることに気がついた。それは「女に生まれたのは間違いだった」というずっと抱えてきた感情だった。自分が自分という形に生まれてきたことを「間違い」と思っているのに、自分を愛せるはずがない。それは、落雷を受けたような衝撃的な気づきだった。そこから少しずつ、女である自分を受け入れることができるようになった。

今になってわかるのは、自分を愛せているかどうかが、自分の人間関係や社会活動との向き合い方に大きく影響を及ぼしているということだ。他人からの愛や承認に依存しているうちは、自分をまっすぐに愛することは難しい。考えてみれば当たり前だ。自分すら愛せない自分を、他人に「愛して」と言ったところで説得力はない。
 
自分を愛することは、他人よりも自分を選ぶことではない。内側にこもることでもない。自分と向き合い、短所や傷を癒やしながら、受け入れた自分とともに生きていくこと、それは自分がこの社会の中で、自分のポテンシャルをめいっぱい活かして、与えられた人間関係を愛でながら、生産的に生きるための武器であり、道具なのだ。
 
だから毎晩、自分をいたわる。とことんいたわる。自分にマッサージを施し、凝り固まった体を伸ばしてあげながら、声をかける。今日もよくがんばった、グッドジョブ、そしてアイラブユー。自分は自分の最良のパートナーとして生きていきたいのだ。

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Text:Yumiko Sakuma Design:Takashi Tsukahara Edit:Sayaka Ito

Profile

佐久間裕美子Yumiko sakuma 文筆家。1996年に渡米し、98年からNY在住。カルチャー、ファッション、政治、社会問題など幅広いジャンルでインタビュー記事、ルポ、紀行文などを執筆する。著書に『ピンヒールははかない』(幻冬舎)、『Weの市民革命』(朝日出版社)など。

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