松尾貴史が選ぶ今月の映画『ブータン 山の教室』
ブータンの首都ティンプーで、歌手になりオーストラリアに行くことを密かに夢見ている教師のウゲン(シェラップ・ドルジ)。だがある日、電気も通っていない、現代的な暮らしから完全に切り離されたルナナへの赴任を命じられる……。映画『ブータン 山の教室』の見どころを松尾貴史が語る。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2021年5月号掲載)
ブータンが教えてくれること
若い頃、酒の席で畏友である中島らもさんが「ブータンに移住したい」と何度も言っていたのを思い出します。当時から「世界一国民が幸福な国」と言われていたかどうかは定かではないのですが、精神性よりも効率、文化より文明を優先する都会の目まぐるしい中にいて、現状を懐疑的に見つめることが多い人は彼の国に憧れる気持ちがわかるような気がします。
首都ティンプーで教師をしながら、オーストラリアに移住して音楽アーティストになることを夢見る青年が、上司から国内で最も不便だといわれる僻地のルナナ村に赴任するように指示され、嫌々、泣く泣く八日間の道のりを経て現地に到着して、そのあまりの条件に恐れをなし……。
一緒に暮らす祖母(マニ車を回しながら念仏を唱える姿にお国柄を感じさせます)からも外国で歌手になろうとしていることを見破られ、恋人とも離れ離れ、インターネットはおろか電気すら怪しい土地で、私たちが当たり前のように浪費している紙にも事欠きつつ、教育に飢えた子どもたちとの信頼が築けるかという過酷な任務に就かされる人生罰ゲームのような状態なのです。
物語の展開はさておき、雄大といえば陳腐に聞こえてしまうほどの環境で、森羅万象すべてのことに感謝の気持ちを捧げる村人たちの心のありように、逐一ハッとさせられます。ある種のロードムービー的な要素もありますが、肝心のロードすらない場所への移動の中、私たちも一緒にこの過酷な旅路を進むような気分になります。
NHKやディスカバリーチャンネルでもなかなかお目にかかれないような風景の中で、標高5千メートル近い高地の薄い空気を吸いつつ、物語の世界を擬似体験できるだけでも、十二分にお得な映画館の入場料だと思うのです。そして何よりも「お得」なのは、主人公たちにだけ過酷な思いをさせつつ、自分の心が綺麗になった気にさせてくれる爽やかな読後感ならぬ「観後感」です。
この作品に登場する「役者」たちのほとんどが、俳優を本業としていない人たちであることも、風合いを独特なものにしている要素でしょう。訥々と棒読みで語る彼らの、時間を追うごとに説得力を増す私自身の感じ方の変化も実に奇妙でした。
この村では、「先生」はすこぶる大切に扱われます。一丸となって敬意を向けられて、劣等生の「先生」は面食らいつつも、何かに心を開かされて、成長を遂げていくのかもしれません。
村人たちの、「先生は未来に触れられる人」という言葉に深く考えさせられます。私たちの知る教師に、そういうことを意識している人がどれくらいの割合存在するのでしょうか。
『ブータン 山の教室』
監督・脚本/パオ・チョニン・ドルジ
出演/シェラップ・ドルジ、ウゲン・ノルブ・へンドゥップ、ケルドン・ハモ・グルン
4/3(土)より、岩波ホールほかにて全国順次公開
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Text:Takashi Matsuo Edit:Sayaka Ito