2010-20年を振り返って。写真に何が起こったか
2021年を迎えるにあたり、時代の横顔を切り取る写真の世界では10年代にどのようなことが起こっていたのかを振り返る。アーティゾン美術館副館長の笠原美智子に、フォトディレクターの齋藤真紀が聞いた。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2021年3月号掲載)
テクノロジーの進化に伴うSNSの普及などによって、特に2010年代の社会は目まぐるしい変化を遂げてきた。その間に写真という表現はどのように変わってきたのだろう。ジェンダーの視点から多くの写真展を企画してきたアーティゾン美術館副館長の笠原美智子と、ファッションフォトに詳しいフォトディレクターの齋藤真紀がひも解いてくれた。
齋藤真紀(以下、S)「笠原さんはこの10年間をどう振り返りますか」
笠原美智子(以下、K)「まず、日本人女性作家の活躍が顕著になったと感じています。それ以前にも日本では70年代に石内都が、90年代には長島有里枝〈1〉、川内倫子〈2〉らが登場していますが、2010年代に入って志賀理江子〈3〉や片山真理〈4〉の活躍が目覚ましい。志賀は初期の作品集で才能を見いだされ、国内外で展示を行うなど、世界中に活躍の舞台が用意されている。片山も大学院在学中からグループ展に参加して存在感を発揮し、19年はヴェネチア・ビエンナーレの企画展に招待されました」
S「女性作家の作品が人々の心を捉える理由は何でしょうか」
K「男性作家は社会的な問題といった大きな視点を持つことが多い。例えば戦争や政治などをテーマに扱う傾向にあります。一方で、女性は非常にプライベートな視点から制作に入っていく。自身の身体を通した体験から生まれた作品が、他者へと通じるイマジネーションを獲得し、共感を得て、それが一般化しやすいのだと思います」
S「川内さんが今年発表した作品集は育児に向き合うなかで写し取った家族の姿が印象的でした。長島さんも初期から社会における “家族”や“女性のあり方”について取り組んでいるように思います」
K「長島がデビューした当時は“女の子写真”と興味本位で話題にされ、フェアな評価を得られなかった。それは非常に悲劇的なことでした。そこで、彼女は大学院に入って一からフェミニズムを学び、自身の作品を理解し直して、今あらためて、写真を通じて“女性のあり方”を日本の社会に問いかけていると思います」
S「近年、ファッションフォトの世界でも女性フォトグラファーの活躍が目立ちます。2010年以降のファッション写真に多大な影響を及ぼしたのは、イギリス出身のハーレー・ウィアー〈5〉。彼女はウェブにアップした写真で注目を集め、写真家としてのキャリアをスタートさせました。いまでは数々のハイブランドの広告を撮影しています。彼女は作品作りにもかなりの時間をかけて取り組んでいて、国境紛争地帯の写真も撮り続けています。ほかにも、アートの世界でも評価を得ているヴィヴィアン・サッセン〈6〉らがいます」
K「そういった女性作家の活躍が目覚ましい一方で、2010年以降には森栄喜〈7〉といったジェンダーにとらわれない表現者も出てきました。彼は自身のセクシュアリティを隠すことなく、かといって強調することもなく、自然な形で自身のボーイフレンドについて語り、個人の生活を写し出している。そういったプライベートな視点が、観る人の心をつかむのではないでしょうか」
S「ライアン・マッギンレー〈8〉も仲間を撮影して収めた初の作品集『The Kids Are Alright』で注目され、史上最年少の25歳という若さでホイットニー美術館で個展を開催。時代の感覚に寄り添い、若いエネルギーをジェンダーの垣根なく捉えた作品は多くの人を魅了しています」
デジタルが広げた写真との接点
S「70年代にキャリアをスタートしたシンディ・シャーマン〈9〉やナン・ゴールディンも今なお目が離せない存在。シャーマンは今年フォンダシオン ルイ・ヴィトンで回顧展を、ゴールディンは16年にMoMAで個展を開き、話題を集めました」
K「シンディ・シャーマンは“現代女性のセルフポートレイト”を象徴する存在。ナン・ゴールディンは、初期から一貫して写し取る日常の赤裸々な作品が同時代を生きる私たちの不安や歓喜と同調している。それが私たちの興味をかき立て続ける理由の一つだと思います」
S「両者ともインスタグラムのアカウントを公開していることでも知られていますが、この10年の流れでいうとデジタルの進化も大きく影響があったように思います。iPhoneやSNSが普及していくなかで、敷居の高いものとして捉えられがちだった写真が、一般の人にも日常的に向き合える環境ができたのではと」
K「そうですね。見る側の障壁は低くしたと思います。ただ、デジタルの発達によって作家の表現が変わったとか、女性作家の進出を後押ししたという意見もありますが、それには懐疑的です。ヴォルフガング・ティルマンス〈10〉もデジタルに移行する前から作風を確立していましたし、性別や年齢に関係なく、撮りたいもののために適した機材を選ぶ、という選択肢が増えただけで、道具から表現が生まれるわけではないと思います」
枠組みにとらわれない作家たち
S「近年、アートフェアの存在感も増していると感じています。国際的な写真フェア「パリ・フォト」をはじめ、国内では「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」「浅間国際フォトフェスティバル」など、写真をメインにしたイベントも多く生まれています。また、写真集やアート作品集などが一堂に集められたアートブックフェアは世界各地で開催され、日本では「TOKYO ART BOOK FAIR」が2009年からスタート。気軽に写真を観られる場として支持されており、写真というメディアが幅広い層に親しまれていると感じました。笠原さんがいま注目している海外のアーティストはいますか?」
K「多くの作家が出てきているので、ここですべてを語るのは難しいですが、ダヤニータ・シン〈11〉はその筆頭だと思います。被写体と親密な関係を結び、社会や世界に対して真正面から向き合った彼女の作品は、地域性と特殊性を保ちながらも時間や場所を超越する。既存の枠組みから逸脱していて、現代美術の最前線でも受け入れられています」
S「ファッション写真界では1950年代以降、ヘルムート・ニュートンが巨匠として崇められていましたが、現代美術界での彼の位置付けはどのようなものだったのでしょうか?」
K「どの分野でもトップ・オブ・ザ・トップはアートとして扱われます。さかのぼればセシル・ビートンもそうですし、80年代に活躍したブルース・ウェーバー、ロバート・メイプルソープもそうです。ただ、一部の作家たちによる、被写体に対する性的モノ化した態度には批判も出ており、時代とともに評価は変わってきている。それは当然のことだと思います」
S「2006年には東京都写真美術館で70年代を代表するファッションフォトグラファー、ギィ・ブルダンの個展が開催されました。彼は写真家のみならず、スタイリストやアートディレクターなどに今なお、大きな影響を与えているように思います。2010年以降のファッション写真の新世代代表といえるのはジェイミー・ホークスワース〈12〉。彼のピュアなキャラクターは被写体との心理的な距離を縮め、自然体でリラックスした表情を捉える。18年の『Itarian Vogue』ではスタイリストやヘアメイクなしでジゼル・ブンチェンを撮影し、カバーを飾りました。ファッション写真の概念を強く揺さぶられたことを今もはっきりと覚えています」
写真が示すこれからの社会とは
S「今、世界中でフェミニズムの動きが盛り上がりを見せています。日本の写真界でその発火点となったのが、笠原さんが1991年に企画した写真展「私という未知へ向かって 現代女性セルフ・ポートレイト」展でした。“日本で初めてフェミニズムの視点で行った企画展”といわれています」
K「当時、アメリカの社会学や美術評論の世界ではジェンダー的な視点が共有されていたのに、日本には存在すらしなかった。それほど日本は遅れていたんです。この企画展ではシンディ・シャーマンをはじめ18名の作家を紹介し、従来の女性像を問い直して新たな価値を指向しました。そして、96年に企画した「ジェンダー記憶の淵から」では、男性と女性の二項対立ではなく、政治や国家、人種や宗教も包括してジェンダーの問題を検証しました。でも、当時は“ジェンダーって誰?”と聞かれるほど言葉すら浸透していなかった。
98年に開催した「ラヴズ・ボディ ヌード写真の近現代」展ではヌードの歴史が男性の性的幻想によるものだったことを示し、新たな身体表象を探りました。その後もジェンダーの視点からさまざまな展覧会が開催されましたが、社会の反発もあり、フェミニストと名乗りたがらない作家もいた。時代が移ろい、2000年以降の作家は自覚的にフェミニズムの視点を持っているように感じますし、ジェンダーにとらわれない表現が成熟しつつあると思います」
S「セクシュアリティや民族、文化、地域性にとらわれず、多様な表現が生まれている今。時代の潮流を読み、革新的な展示を手がける笠原さんが注目するトピックはありますか?」
K「それは作家たちに聞いていただくのが一番だと思います。現代写真の表現は社会の中から出てきますから。社会の変化を彼らがいち早くつかみ取り、一歩先の未来を指し示してくれると期待しています」
S「そうですね。ファッションフォトもただ服を写すだけではなく、人の心を動かすエネルギーや夢を与える力がある。写真にはさまざまな表現が生まれていて、漠然とした不安が漂う現代に差す一筋の光になると思います」