松尾貴史が選ぶ今月の映画『オフィシャル・シークレット』 | Numero TOKYO
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松尾貴史が選ぶ今月の映画『オフィシャル・シークレット』

2003年のイラク開戦前夜、英米政府を揺るがせた衝撃の事件が映画化。戦争を止めるため、国家機密をリークした英国女性諜報職員キャサリン・ガンをキーラ・ナイトレイが演じる。映画『オフィシャル・シークレット』の見どころを松尾貴史が語る。(『ヌメロ・トウキョウ(Numero TOKYO)』2020年10月号掲載)

Photo by: Nick Wall © Official Secrets Holdings, LLC
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政府とマスコミの“正義”とは

「マスコミが報道の仕事をせず、いつから首相官邸の広報室になったのか」。日本は今の政権になってから、世界各国における報道の自由度ランキングは50〜60位も落ちてしまいました。鳩山政権の頃は11位だったのが、今では見る影もありません。しかし、冒頭のカギカッコ内の言葉は、実はこの『オフィシャル・シークレット』の、ジャーナリストの会話の中で出てくる内容なのです。
Photo by: Nick Wall © Official Secrets Holdings, LLC
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これは、小泉政権が諸手を挙げて賛成したイラクへの爆撃などの理由だった「大量破壊兵器の保持」にも深く関係する話です。イラクと関係のない911テロをきっかけに、アメリカのブッシュ大統領が仕掛けたイラク戦争について、イギリスはその過ちについて検証し反省の表明もありましたが、日本はいまだにうやむやのままになっています。正統性のない戦争のせいで、米英の兵士が数千人、イラクの何の罪もない一般市民は数十万から100万人が殺されたという、本当に文明国のすることなのかという憤りばかりが残ります。そもそも、戦争に「正統性」などあろうはずもないのですが。

Photo by: Nick Wall © Official Secrets Holdings, LLC
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この物語は、実際に起きたことに基づいたものです。人の命を奪う戦争を止めるために、独善的な組織のルールからはみ出した勇気ある一人の女性がいました。国家機密を漏洩したとして訴追されることになったキャサリンの、正義感と恐怖心の狭間で続く激しい葛藤を、ものの見事に描いています。官邸からの圧力やそこへの忖度で長い物には巻かれろ式官僚組織の国家公務員と、誇りを持って国民に仕えることを忘れない正義の人、という存在は、森友事件の隠ぺいや改ざんの責任を感じて自死を選んでしまった赤木さんの姿にも重なりますが、こういう善意が声を上げづらいのはイギリスも日本も変わらないようです。

Photo by: Nick Wall © Official Secrets Holdings, LLC
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この映画における報道の現場で起きていることは実にリアルで、気楽な題材であれば「あるある」と叫んでしまうような現象ばかりなのですが、ここでのキャサリンの心の動きが切実すぎて、見ているこちらが何度も胸が苦しくなったほどです。彼女の勇気に比べれば、それを報道で伝えるのは単なる手伝いにすぎないようなことなのですが、大マスコミの構成員である編集部員や記者たちは、保身に走る者が大半なのです。報道というものは、権力を持つ者が伝えてほしくないことを知らせる仕事であるにもかかわらず、政府が伝えてほしいことばかりをありがたく受け取って知らせる単なる広報に成り下がっている機関がいかに多いことか。日本に近くて遠い国の将軍様を持ち上げる民族衣装のキャスターを笑っていますが、内容は同質だということに気づく頃合いではないでしょうか。

『オフィシャル・シークレット』

監督/ギャヴィン・フッド
出演/キーラ・ナイトレイ、マット・スミス、マシュー・グード、レイフ・ファインズ
8/28日(金)より、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開

© Official Secrets Holdings, LLC

Text:Takashi Matsuo Edit:Sayaka Ito

Profile

松尾 貴史Takashi Matsuo 1960年、神戸市生まれ。TVやラジオ、映画、舞台、落語、創作折り紙「折り顔」、カレー店の運営など幅広く活躍中。著書に『違和感のススメ』(毎日新聞出版)など。

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