Fashion / Feature

唯一無二のヘアデザイナー、加茂克也の世界【メッセージ編】

稀代のヘアメイクアップアーティスト・加茂克也の逝去を受け、『Numero TOKYO』最新号では全8Pにわたる追悼記事を掲載。誌面で紹介しきれなかったビジュアルやコメントも加えて、世界を魅了したアーティストの偉業を振り返る。(『Numero TOKYO 』2020年6月号掲載)

クリエイターが証言する加茂克也

仕事やプライベートで親交の深かったクリエイターたちに加茂克也との思い出をたずねた。

Undercover 2014-15AW “COLD BLOOD” 「髪の毛で王冠を、というオーダーに想像をはるかに超える天才的な作品を作ってくれました。あまりの完成度の高さにしばし見とれてしまいました」 (高橋盾)
Undercover 2014-15AW “COLD BLOOD” 「髪の毛で王冠を、というオーダーに想像をはるかに超える天才的な作品を作ってくれました。あまりの完成度の高さにしばし見とれてしまいました」 (高橋盾)

UNDERCOVER デザイナー 高橋盾

──加茂さんとの出会い、初めての仕事は?
「1997年に赤坂BLITZでやった98SSのショーだったと思います。とてもテキパキした仕事っぷりでした」

──二人のコラボレーションの進め方は?
「通常、僕から加茂さんへ割と具体的なヘアに関するアイデアを投げることが多かったです。アイデアを投げた後は、たいがい一回か二回の修正で完璧な作品が出来上がっていました」

Undercover 2000-01AW “MELTING POT”<br />
「髪や肌などすべて同じ柄や色でという僕の要望に完璧に答えてくれました。例えばチェック柄などは、その緻密さと完成度ともに尋常じゃなかった」(高橋盾)
Undercover 2000-01AW “MELTING POT”
「髪や肌などすべて同じ柄や色でという僕の要望に完璧に答えてくれました。例えばチェック柄などは、その緻密さと完成度ともに尋常じゃなかった」(高橋盾)

──加茂さんの人柄や仕事に関するエピソード
「加茂さんとの現場はいつも和やかで笑いが絶えませんでした。特にパリでのショーの準備で煮詰まったときは、加茂さんチームが井戸端会議的におしゃべりをしながら作業しているところにお邪魔して和ませてもらいました。本当にいつも楽しそうでした。守本勝英との写真集『GRACE』や『UNDERMAN』の
長期ロケも『よくわかんないけど、面白いね』と言いながら、謎な企画に一緒に参加してくれました」

Undercover 2006-07AW “BBV GURUGURU” 「服と同じ布で顔を覆いたい、というオーダーに対して出来上がってきたのは、ショーの世界観を何十倍にもレベルアップさせるようなマスク。鋲、ピアス、チェーンなどその配置やデコレーションのバランスは見事の一言」(高橋盾)
Undercover 2006-07AW “BBV GURUGURU” 「服と同じ布で顔を覆いたい、というオーダーに対して出来上がってきたのは、ショーの世界観を何十倍にもレベルアップさせるようなマスク。鋲、ピアス、チェーンなどその配置やデコレーションのバランスは見事の一言」(高橋盾)

──あなたにとって加茂さんとはどんな存在?
「僕の脳内を具現化するときに欠かせない完璧にマッチするクリエイションを見せてくれる天才。果てしなく深く大きな存在」

──加茂さんへのメッセージ
「いや~マジで加茂さん、すごすぎました。天才中の天才。また一緒に面白いもの作りましょう!」

ANREALAGE 2010- 11AW “LOW”「服に合わせて、人の顔がモザイクに見える立体的なアイグラスを作ってくれました。また、震災直後でショーはやれないような雰囲気になっていた中で『時期をずらしてでも、どんな形でも、クリエイションしたものは発表すべき。連名で声明を出してやろう』と後押ししてくれました」(森永邦彦)
ANREALAGE 2010- 11AW “LOW”「服に合わせて、人の顔がモザイクに見える立体的なアイグラスを作ってくれました。また、震災直後でショーはやれないような雰囲気になっていた中で『時期をずらしてでも、どんな形でも、クリエイションしたものは発表すべき。連名で声明を出してやろう』と後押ししてくれました」(森永邦彦)

ANREALAGEデザイナー 森永邦彦

──加茂さんとの出会い、初めての仕事は?
「学生時代から憧れの存在だった加茂さんに、2010年、初めて東コレでショーをするとき、ダメ元でヘアメイクをお願いしました。自分がどんなコンセプトでやってきて何を大切にしているかを話したら、加茂さんはコンセプトを大事に作っているブランドとは一緒にやりたいと言ってくれて。ただ現場では加茂さんの迫力に負けてしまう自分がいて、何もできない無力さを痛感しました」

──二人のコラボレーションの進め方は?
「まずコンセプトを言葉で伝え、ちゃんと伝わってるのかなと思うこともありましたが、その2日後ぐらいには見本を作ってアイデアを見せてくれるんです。僕もコレクションに使うテキスタイルやパーツを届けて、素材を見て膨らませていくこともありました。徐々に、こちらのやりたいこと、向かいたい方向を守って、サポートしてくれるような関係性になっていきました」

ANREALAGE 2019SS “CLEAR” 「黒い服が透明になっていくという特殊なビーズを使い、過剰に装飾したアクセサリーのようなコレクションに対して、加茂さんは同じパーツを使って、民族的でプリミティブなものを作りたいと言って、ヘッドピースからだんだん洋服の方に侵食してきて。「これネックレスですよね」といったら、『ヘッドピースの続きだから』と(笑)。ネックレスは加茂さんの手作りです」(森永邦彦)
ANREALAGE 2019SS “CLEAR” 「黒い服が透明になっていくという特殊なビーズを使い、過剰に装飾したアクセサリーのようなコレクションに対して、加茂さんは同じパーツを使って、民族的でプリミティブなものを作りたいと言って、ヘッドピースからだんだん洋服の方に侵食してきて。「これネックレスですよね」といったら、『ヘッドピースの続きだから』と(笑)。ネックレスは加茂さんの手作りです」(森永邦彦)

──加茂さんの人柄や仕事に関するエピソード
「普段は本当に優しくて面白くて、チャーミングな方なんですが、仕事となると戦場です。共に戦っているというか、生半可な気持ちでここにいてはいけないと思わせられる。それに対峙できる服を作らなければという気合いと、とにかく自分が追いつくしかないという思いがアンリアレイジを押し上げてくれました。そして、絶対的な美意識があって、最終的に出来上がったものはやはり美しい。

ANREALAGE 2019-20AW “DETAIL” 「加茂さんとの最後の仕事。『今の時代は凡庸になりすぎちゃったから、頭に山が乗ってるとか、何十倍もあるとか、違和感のあるものがやりたい』という加茂さんに、僕らは服が大きいので、でかい頭ではなくコンパクトにまとめたいと伝えました。でも『やってみないとわかんないじゃん』とマッチ棒みたいに大きなヘッドピースを作られて、洋服と合わせてみたら、すごくよかった。さすがだなと思いました」(森永邦彦)
ANREALAGE 2019-20AW “DETAIL” 「加茂さんとの最後の仕事。『今の時代は凡庸になりすぎちゃったから、頭に山が乗ってるとか、何十倍もあるとか、違和感のあるものがやりたい』という加茂さんに、僕らは服が大きいので、でかい頭ではなくコンパクトにまとめたいと伝えました。でも『やってみないとわかんないじゃん』とマッチ棒みたいに大きなヘッドピースを作られて、洋服と合わせてみたら、すごくよかった。さすがだなと思いました」(森永邦彦)

──あなたにとって加茂さんとはどんな存在?
「物作りとは何かを教えてくれる、一つの指針というか、ブレない軸のような気がします。憧れから始まり、仲間になって共に戦ってくれ、守ってくれた心強い存在。加茂さんの不在を想像すること自体まだ現実感がないですが、加茂さんなしに今のアンリアレイジはなかった」

──加茂さんへのメッセージ
「加茂さんは終わらない人だし、これからもアンリアレイジと共に戦い続けてくれてると信じています。僕たちの中にはずっと加茂さんがいるし、加茂さんイズムを持って進んでいくので、その先であらためて感謝を伝えたい」

Photo:Yasutomo Ebisu
Photo:Yasutomo Ebisu

フォトグラファー 戎康友

「ラフォーレミュージアム原宿での『加茂克也展“100 HEADPIECES”』のポスター写真は、モッズ・ヘア時代のアトリエで撮影したもの。展覧会場でヘッドピースを撮り始め、その後もKAMO HEADのアトリエに場所を移して、2019年1月の終わりに最後の撮影をしたから、7年間、計十数回にわたって、400点ほど撮りました。(21年には作品集を刊行予定)

後半はほとんどKAMO HEADのアトリエでの撮影だったけど、いつものようにいろんな話をしながら、片時もヘッドピースから目を離さず、手を止めることもなく。

いつもせわしなく動き回っていて、ケント紙で花を作り、ヘアを作り、自分の服を縫って。いろいろなことがあっという間にできる。悩むことがあるとすれば、あっという間にできたものをまたあっという間に作り変える。

ずいぶんといろいろな話をしたけれど、病気で入院する前に最後の撮影が終わって「オレたちはさ、やっぱりこれからも今までのようにこういうふうに撮影していこう」と二人で話して、別れたことを覚えている。ずっと加茂さんの作る女性像が好きだった。彼が作るものが造形的になっていく前から、そうなってからも、彼が作る女性像はピュアで強くて可憐でフォトジェニックだった。

加茂さん、ありがとう」

UNDERCOVER 2011 SS作品集『UNDERMAN』より。 Photo:Katsuhide Morimoto
UNDERCOVER 2011 SS作品集『UNDERMAN』より。 Photo:Katsuhide Morimoto

フォトグラファー 守本勝英

──加茂さんとの出会い、初めての仕事は?
「自分がアシスタントのときに初めてお会いしました。手の込んだヘアメイクだったのですが、仕上げるのがものすごく速く、撮影準備が間に合わなかったのを覚えています」

──思い出に残っている仕事は?
「一つに絞れないのですが、アンダーカバーで『GRACE』という写真集を作らせていただいた際に、過酷な撮影が続く状況の中、加茂さんに目をやると、野原で蝶を捕まえていて、なんてチャーミングな人だと思いました。それと、メンズ雑誌の撮影で、新しい種族を感じるトライバルなメイクを、とのオーダーに、フリーハンドでモデルの顔にデジタルビットの髭やメイクをしてきたとき、あまりにも自分の想像を超えたヘアメイクだったので、すごいと思うと同時にかっこよくて痺れました」

──加茂さんの人柄や仕事に関するエピソード
「作るときも話すときも、誰とでも何とも分け隔てなく、加茂さんは加茂さんでいるという印象です。ただ作ったものが響くものになるというのがすごいことだなと思います」

──あなたにとって加茂さんとはどんな存在?
「尊敬できて憧れた数少ない人」

──加茂さんへのメッセージ
「加茂さんが何げないときに言った言葉が何かを作るときにいつも響きます。教える気はなかったんだろうけど、いろんなことを教わりました。ありがとうございます。パリで一緒に飲んだワインが忘れられません。撮影したことを全部思い出せるほど、かけがえのない時間でした。ご冥福を祈ります」

「子どものファッション誌『m/f and you』(2008 autumn)の撮影。自宅でいろんなヘッドピースやアクセサリーをボール紙とコピー用紙で作ってきて、現場で調整していました」(田島一成) Photo:Kazunarri Tajima
「子どものファッション誌『m/f and you』(2008 autumn)の撮影。自宅でいろんなヘッドピースやアクセサリーをボール紙とコピー用紙で作ってきて、現場で調整していました」(田島一成) Photo:Kazunarri Tajima

フォトグラファー 田島一成

──加茂さんとの出会い、初めての仕事は?
「自分が18歳で写真家・五味彬のアシスタントをしているときに、撮影でヘアメイクの田村哲也さんのアシスタントとして加茂ちゃんに会いました。同じ撮影現場のアシスタント同士ですね。オカッパマッシュルームヘアで黄色の鼈甲っぽい眼鏡を掛けて、ヴィヴィアン・ウエストウッドとか着たオシャレさんでした(笑)」

──加茂さんの人柄や仕事に関するエピソード
「加茂ちゃんは、常に周りに流されずに独自の考えで物作りをする、ブレない人でした。普段は明るくて冗談が好きだけど、仕事に関してはクソ真面目。広告の現場では、そんなダサいこと、やりたくない! と言う彼をよくなだめながら撮影しました。常にダサいことに反抗していて、口癖は『ダッサ~!』(笑)」

──現場での加茂さんは?
「明るく和やかで、よくみんなを笑わせて楽しませてくれました。でも物作りには真剣で、頼もしく信頼できる人でした」

──あなたにとって加茂さんとはどんな存在?
「30年来の親友であり、尊敬する制作者。悩みを相談することも多かったので相談相手がいなくなってしまいました。ほとんどの自分のファッション撮影のヘアメイクをお願いしていたので、本当に困ったことになりました」

──加茂さんへのメッセージ
「加茂ちゃん、またね~!」

2016年「DIESEL」30周年ファッションショー。「ゴスっぽい雰囲気で、なんだか違う人格に豹変したような気分で、加茂さんが作り上げた女性像に没入しました。自分のモデル人生の中で最高のキャットウォーク」(水原希子)
2016年「DIESEL」30周年ファッションショー。「ゴスっぽい雰囲気で、なんだか違う人格に豹変したような気分で、加茂さんが作り上げた女性像に没入しました。自分のモデル人生の中で最高のキャットウォーク」(水原希子)

モデル・女優 水原希子

──加茂さんとの出会い、初めての仕事は?
「最初ではないけど、荒木(経惟)さんと撮影したバーニーズニューヨークのワールドキャンペーンで、私の頭に紙皿を乗せて、その上にさくらんぼをいっぱい付けて、加茂さんは直感的に思いついたことをその場でどんどんクリエイトしていました。手法は大胆で、グルーガンでフルーツをくっ付けたり、メイクルームもぐちゃぐちゃで、彼にしかできないオリジナルなものが出来上がっていく。完璧ともちょっと違う、どこかツイストが利いていました」

──思い出に残っている出来事は?
「ありすぎて一番を選ぶのは難しいけど、あるとき、撮影をしてたら、蝶々の幼虫を捕まえてきて『これを連れて帰るんだ』と言って、『どうやって育てるの?』と聞いたら、『そのまま家に置いて、気づいたら勝手にさなぎになって、ある日突然、蝶々が家の中を飛び回る。ゲージに入れずに放し飼いで孵化したら、外に出してあげる』と。そんな人、見たことなくてすごい印象的でした」

──加茂さんの人柄や仕事に関するエピソード
「加茂さんとの仕事は作り込んだ世界が多かったので、たくさん準備するけど、本当にその場で感覚的に作り上げていく。カメラの前に立った後も『う〜ん、どうだろうな』ってギリギリまで悩んでいる感じ。細かい手の込んだヘアメイクをしても、違うと思ったら『ごめん、全部取っていい?』という。普通だったらこれだけ手をかけたら、時間を優先してしまうけど、そんなの関係なくフラットに見ているんですよね」

大阪のファッションビル「ルクア」のファッションショーのバックステージにて。「加茂さんワールド、大炸裂していました」(水原希子)<br />
大阪のファッションビル「ルクア」のファッションショーのバックステージにて。「加茂さんワールド、大炸裂していました」(水原希子)

──現場での加茂さんは?
「いつも冗談を言ったり、エセ関西弁を使ったり、すごく可愛らしい、ちゃめっ気のある人。私とはよく楽しい話をしていたけど、納得できないことがあるととことん話し合ったり、いつも真面目に向き合う、戦う人でした」

──あなたにとって加茂さんとはどんな存在?
「自分の中のいろんな可能性を引き出して、見せてくれた人。モデルとして、加茂さんと本当にたくさんの仕事をして、加茂さんに引き出されることで解放的になれた。クリエイトすることの難しさ、楽しさ、軽やかさを教えてくれた。型にとらわれず、クリエイティブのために戦う、芸術を愛する、そこに向き合うことの喜びと苦悩みたいなものを間近で感じさせてくれました」

──加茂さんへのメッセージ
「写真を見返して、もう一緒に物作りができなくなっちゃったんだなと思うと本当に悲しい気持ちでいっぱいです。でも加茂さんに出会えて本当に幸せで、たくさん教えてもらい、感謝しかないです。これからも自分は仕事を続けていくけど、加茂さんから学んだことを肝に銘じながら、芸術的なものを作り続けていきます。寂しいけど頑張ります。加茂さんも天国でたくさん美しいもの、面白いものを作ってるといいな」

Edit&Text:Masumi Sasaki, Chiho Inoue

Profile

加茂克也Katsuya Kamo 1988年よりモッズ・ヘア所属。90 ~ 92年渡仏。帰国後、ファッション誌を中心に広告やショーなど幅広く活躍。96年からJUNYAWATANABE COMME des GARÇONS、97年からUNDERCOVERのパリコレクションを手がけ、2003年、毎日ファッション大賞グランプリを受賞。活動の場を海外に広げ、一流モード誌やアート誌でも活躍すると同時に、08年以降はFENDIのミラノコレクション、CHANELのオートクチュールショーやキャンペーンヴィジュアルにも参加。13年、大型企画展「加茂克也展 ‘100HEADPI EACES’」開催。15年より個人事務所「KAMO HEAD」を立ち上げ、独立。享年54歳。

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