東映アニメーションプロデューサー・関弘美×小説家・村田沙耶香「大人になった少女たちへ伝えたいこと」
映画『魔女見習いをさがして』の公開を控える関弘美さんと、短編集『丸の内魔法少女ミラクリーナ』を上梓したばかりの村田沙耶香さん。大人と少女をつなぐ世界を描く二人が、少女だった私たちへ語ってくれたこと。(『ヌメロ・トウキョウ(Numero TOKYO)』2020年5月号掲載)
真っすぐな“好き”から生まれる、不思議なパワー
関弘美(以下S):「村田さんの『コンビニ人間』は芥川賞にノミネートされたとき『タイトルで選ぶなら、私はこれ!』と思って読んだのですが、実は私、コンビニで働いている人たちを観察するのがすごく好きで」 村田沙耶香(以下M):「よく『コンビニの店員ってお客さんを観察しているでしょ?』といわれますが、むしろ見られているんですよ。『あの会社で、こういうあだ名でどうも呼ばれているらしい』ってことも結構あるらしくて」 S:「観察が楽しくてしょうがないと思っていたところに『コンビニ人間』を上梓されたから『すごい作家が現れてくれた!』って感じました(笑)」 M:「ふふふ、うれしいです」 S:「あと大学などに講演に行くと、必ず『オリジナルの作品を作りたいのだけど、どういう勉強をしたらいいですか?』と聞かれるんですね。私は“好き”という気持ちは創作をする人が絶対に忘れてはいけない感情だと昔から思っているので『好きなものや場所を徹底的にリサーチして、そこを舞台にしたり、そこでの人間関係を描くと面白いのでは』と答えていたんです。だから『コンビニ人間』を読んで『ほらね、コンビニが好きというだけで一冊の小説ができるんですよ!』って、さも自分が発掘してきたくらいの勢いで学生さんに話をしていました(笑)」 M:「でもそうですよね。私自身がそうだからかもしれないのですが、子どもの頃から好きなものや世界をずっと大事にしている人物を主人公にすることが多いです」S:「短編集『丸の内魔法少女ミラクリーナ』も読ませていただいたのですが、村田さんは本当に好きなものを描きたい方なんだなってことに感動しました。事前にいただいていた見本冊子の表紙に『もはや『コンビニ人間』の村田沙耶香ではない!』と書かれていたので『えっ、うそ!? ショック!!』と最初は思って。でも読み終わってみると、私が思い描いてた村田さんの過去・現在・未来の姿を見ているような感じがして、とてもうれしかったです」
M:「ありがとうございます、私もうれしいです」
S:「もう表題作は読みながら震えましたよ。私がプロデュースしている映画『魔女見習いをさがして』の3人の主人公と同じく、幼なじみの二人が子どもの頃に魔法少女のアニメに夢中になっていたという設定だったので『『魔女見習いをさがして』と一緒!』って(笑)。でも物語の最後は、二人が魔法少女を信じていた頃のキラキラ感を忘れていないからこそたどり着けたという爽快感があって。実際にアニメを作っている側の人間だからわかるのですが、こういうふうに思われている作品は本当に幸せな作品だなと感じます」
M:「子どもの頃に見たアニメは、マンガよりも音や色彩の情報量がすごかったので、自分を取り巻く世界として私もずっと覚えています。作品の世界は自分も入れる場所で、キャラクターたちを自分の友達のように感じていたので、最終回を迎えても世界が今も続いているように思えるんですよね」
S:「『魔女見習いをさがして』の主人公3人は年齢も、住んでいる場所も、育った環境も全員違っているんだけれど、子どもの頃に『おジャ魔女どれみ』を見ていたことからつながりが生まれるストーリーなんですよ」
M:「私も大人になってからのほうが好きなアニメやマンガをきっかけに人とつながるようになりました。以前に同じ作品が好きだということでコラムニストの犬山紙子さんを紹介していただき、仲良くなったのですが、実際にお会いする前からLINEで、作品のあそこがよかったとか感動したって話を毎晩のようにずっとしていて。お忙しい方なのに全部夢なんじゃないかってくらい即レスしてくださっていたので、初めてお会いしたときは『本当に実在したんだ!』みたいな気持ちになりました(笑)」
S:「好きな作品の、どの話が好きだとかいう共通項があって『その気持ち、わかる!』ってなると、もうお互いに裸を見せ合った同士みたいな関係になりますよね。周りに『二人は付き合っているんですか!?』って思われちゃうくらいに(笑)」
M:「もう恥部まで何もかも見せ合っているというか(笑)」
S:「そうそう。不思議ですよね」
M:「あと私自身が子どもの頃に魔法少女というものにすごく憧れていたというか、自分が魔法少女だとすら思っていて。母が買ってくれた魔法のステッキを本物だと思っていたし、今もどこかで魔法が使えるようにも感じているんです」
S:「私は自分のことを魔女の娘だと思っていましたよ」
M:「そうなんですか!」
S:「子どもの頃の自分には、母は何でもできる人に見えて。火を使っておいしいものを作ってくれるし、噓をつくと完全に見破るし。だから母が魔女で、私は魔女の娘だって」
M:「魔法が使えるみたいな想像はしていましたか?」
S:「いずれ使えるようになるはずだと思っていましたね。石ころを蹴って、隣の家の窓ガラスを割ってしまったことがあったんですが、一生懸命に呪文をかけたのに戻らなくて『私はまだ子どもだから魔法が不十分なんだ、魔女になりきれないやつなんだ』と思ったことがあって。そんな記憶もあったので『おジャ魔女どれみ』の中で“魔女見習い”という言葉を使ったんですよ」
短編Flashアニメ『おジャ魔女どれみ お笑い劇場』、最終話までご視聴ありがとうございました!
youtubeにて全話公開中ですので、まだご覧になってない方もぜひコチラからどうぞ✨ → https://t.co/EoQzSaXy9f#おジャ魔女どれみ #doremi20th pic.twitter.com/5GFTpz4xJR
— 【公式】おジャ魔女どれみ20周年 (@Doremi_staff) March 21, 2020
いつまでも側にいてくれるイマジナリーフレンドたち
S:「『丸の内魔法少女ミラクリーナ』の主人公には、魔法少女のマスコットであるブタのぬいぐるみのポムポムがいて、36歳になった今でも心の中で会話を交わしていましたが、実は私にもそういう存在がいて。アムちゃんっていうタオルのハンカチなんですが、この子がいたおかげで子どもの頃は安心して眠ることができて。スヌーピーのマンガに登場するライナスがいつも持っている“安心毛布”ってあるじゃないですか? 私は彼の毛布を見て『サイズは違うけど、この子の気持ちがわかる』とも思ったりもしていましたね」
M:「私は小2くらいまでは自分のことを魔法少女だと思っていたのですが、だんだん魔法学校に通って魔法の練習をしている空想をするようになって。学校でも先生の話がつまらないと空想の世界にすーっと吸い込まれて、魔法の授業を受けていました。その世界の子の一人は私よりも現実的で『あなたが大人になったらこの世界は終わって、最後に良い言葉を残して私たちは消えるんだよ』と言うので『きっとそうだろうね、だって実在しないもんね』と会話をしたりしていました」
S:「わかります、アムちゃんもタオルのハンカチなのにしゃべりますもん」
M:「なんか不思議なことに、自分より賢いんですよね」
S:「あとアムちゃんは時々、言葉じゃない音声を発することもあるんですよ…って、あんまり話すと、おかしな人に思われそうだけど(笑)」
M:「でも恥ずかしながら、魔法学校の友達のうち、厳選された何人かは今も私と一緒にいるんです。だんだん大人になるにつれて、このことを隠すようになっていたんですが、最近になって友達で作家の朝吹真理子さんに『イマジナリーフレンドっている?』って突然聞いてみたくなって。そこから話が広がって、『私は今もいる』と、そのとき初めて人に話したんです。そうしたら真理子ちゃんも彼女のもとに昔いた友達のことを話してくれて、少しだけ人に話せるようになりました。でも大切で壊されたくない、踏みにじられたくない世界なんです」
S:「私もアムちゃんのことをこれまで人に言ったことはなくて、ずっと自分だけの秘密にしていました。でもアムちゃんがいる自分と、アニメのプロデューサーである自分は全く矛盾していないんですよね。人が聞いたらびっくりするとは思うけれど、たぶんアムちゃんがいるおかげで、仕事をやっているときの自分のバランスが取れていると思うんです」
M:「私も『締め切りがあるよ!』『今日までの校正、まだ送ってないんじゃない?』って言ってくれるのが彼らなんです。自分の深層心理についての話もできる、私自身よりも私のことを知っている存在でもあるし、何人もいるから生きるために一緒にいる仲間や家族みたいな存在だと感じていて。子どもの頃の私は本当に内気で、両親ですらどうしようと心配するくらいに泣き虫だったのですが、彼らはそういう私を『大丈夫だよ、怖くないよ』って外に連れ出してくれる存在だったんですよね。だから今の私が小説を書いたり、人と話したり、いろんな友達ができるようになったのも全部、彼らのおかげだと思っていたりもします」
S:「『そんな存在、子どもの頃もいなかったよ』って言う人もいるかもしれないけど、今は記憶に何かの蓋がされているから気がついていないだけかも。昔の写真を見ていたらその蓋が開いたりして、意外と『思い出してみたら、いた!』ってこともあったりしますよね」
M:「私は幼少期からずっと同じ存在が居続けていますが、たぶん大人になってからも作れると思うし、『私にはいないな』という人でも、明日から作ったって別にいいと思うんです。私の友達のお母さんにはすごく仲の良いぬいぐるみがいて、名前を付けて一緒に旅行をしていたりもしていて。でもお母さんは子どもの頃はぬいぐるみに全く興味がなくて、娘さんが大きくなってからぬいぐるみとおしゃべりをするようになったらしいんですよ。だから“子どもの心”というのは、ずっと思っていれば失うものでもないし、心の純度も大人になるほどに増しているように私は感じるので、いつでも取り戻せるものなんじゃないかと思います」
Photo:Ayako Masunaga Interview&Text:Miki Hayashi