松尾貴史が選ぶ今月の映画『ブリグズビー・ベア』
小さなシェルターで両親と3人で暮らし、教育ビデオ「ブリグズビー・ベア」を見て育った25歳のジェームス。ある日突然、警察に連れ去られ、”本当の両親”と暮らし始めるが……。映画『ブリグズビー・ベア』の見どころを松尾貴史が語る。
フィクションでは済まない!? 独創的な物語
東京の順天堂医院で、51年前、生まれたばかりの赤ちゃんが、分娩室から出て足の裏に名前を記されるまでのタイミングで別の同じ日に生まれた赤ちゃんと取り違えられ、近年になってDNA検査によってそのことが証明されたというニュースがありました。 実は、生まれて5年後に母親がおかしいと思い病院に問い合わせていたのですが、その時は「訴えてもよい」という態度だったといいます。一昨年それがわかった際も、口止めをされていたとかで、もう一人の取り違えられた相手の生活のことも考慮して、いまだに本当の両親が誰であるかを教えられていないそうです。誰しも、成長するまでの間に「自分は誰かから貰われてきたのでは」「どこからか拾われてきたのかもしれない」という不安や疑問を抱いたことがあるのではないでしょうか。私などはこのオペレーションし難い特質から、両親や親戚の大人から叱られるとき、何度も「橋の下で拾ってきた」「サーカスで貰ってきた」と脅かされてきたものです。必要以上にその不安が持続しなかったのは、仲の良い友達も同じことを言われていたことを知っていたからですが……。
実の親だと信じていたのが実は赤の他人だったと知らされるときの当事者への衝撃は、アイデンティティ・クライシスなどという手垢のついた言葉では表現できないものでしょう。世界では、たまにこういうことが実際に起きているのです。
この『ブリグズビー・ベア』に登場する主人公、25歳の青年ジェームスは、まさに生まれてまもなくある夫婦によって誘拐・監禁され、25歳になってようやく警察によって「保護」されます。客観的に見れば「救出」ですが、彼自身にとってはそれまでの生活を破壊されてしまったように受け止められるのです。実は、自宅の外は毒であり危険であり、それらから両親のふりをした誘拐犯が守ってくれていると信じ込まされていたのですから。
彼の心の拠り所となっていたのが、その偽の両親によって創作されていた膨大な量の映像で、それは外の社会の情報から遮断するために捏造された架空のテレビ番組で、彼は幼少期からその番組のみを教材として育てられてきたのです。
話は逸れますが、それがわかるあたりまで見た私は、「まるであの国のようだ」と思ってしまったのです。近くて遠い国では、外国からの情報を得る機会が、権力者の体制維持のために遮断されていますが、それを連想したのです。
ジェームスの洗脳は、思いもよらぬ方向へ転がり出してしまいます。このシチュエーションを得たおかげで、作品はすこぶる独創的な世界観を手に入れています。ユニークなコメディに、壮大なブラックユーモアに、ぜひ触れてください。
『ブリグズビー・ベア』
監督/デイヴ・マッカリー
脚本/ケヴィン・コステロ、カイル・ムーニー
出演/カイル・ムーニー、マーク・ハミル、グレッグ・キニア、マット・ウォルシュ、クレア・デインズ
2018年6月23日(土)より、ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテほか公開
URL/http://www.brigsbybear.jp/
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Text:Takashi Matsuo Edit:Sayaka Ito