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    <title>Numero TOKYO男の利き手 | Numero TOKYO</title>
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    <description>クリエイションが詰まったインターナショナル・モード誌『Numero TOKYO』のWEBサイト</description>
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        <title>男の利き手:黒田泰蔵インタビュー「白磁とは精神的なもの」</title>
        <link>https://numero.jp/interview142/</link>
        <pubDate>Tue, 15 Jan 2019 01:00:27 +0900</pubDate>
        <lastpubDate></lastpubDate>
        <status>1</status>
        		<category><![CDATA[Interview]]></category>
		<category><![CDATA[People]]></category>
		<category><![CDATA[Taizo Kuroda / 黒田泰蔵]]></category>
		<category><![CDATA[interview]]></category>
		<category><![CDATA[男の利き手]]></category>
		<category><![CDATA[hand man]]></category>
        <description>
            <![CDATA[<article><p class="first_section"><p class="picture"></p>
<p>──白磁という〝白い器〞を作りながら、いわゆる陶芸の世界に留まらず、近年はファインアートの世界でも作品を発表していますね。</p>
<p>「僕は常々、焼きものをアートとして認めてもらいたいと思ってきました。カナダで活動を始めた頃、『どうしてみんな焼きものに興味がないんだろう』とフラストレーションを感じる中で思い至ったのが、文化による焼きものに対する評価の違いです。ナイフとフォークの文化では、使い勝手の面で器はどうしても平たいものに限られる。一方、箸の文化でも、中国はレンゲを使うからか、あまり器の種類がない。韓国では茶碗を持つのはマナー違反にあたる。日本だけが、手に馴染む多種多様な器を受け容れる文化を育んできたのです。その文化が外国でも理解されるためには、〝文化の文明化〞をしなければならない。焼きものの場合、それはアートとして評価されるということなのかな、と思っています」</p>
</p><p></p><p>──ご自身の表現手段として焼きものを選んだ理由は？</p>
<p>「偶然です。工芸高校の図案科を中退して『これから何をしよう』と考えたとき、ちょうど海外旅行が自由化されて、あてもなく『とにかく外国に行きたい』と思った。そこで、外貨持ち出し上限額の500ドルを持ってパリに渡り、日本食レストランでウェイターとして働いていたところ、陶芸家の濱田庄司先生の一番弟子で、後に人間国宝になる島岡達三さんに声をかけられたんです。『オペラの切符を買うにはどうしたらいいかね』って。食事をご馳走になりながら『君はこの先どうするの』と聞かれて、『どうしたらいいかわからないけれど、アメリカに行きたいんです』と答えたら、『ニューヨークとカナダの陶芸家を紹介します』と言ってくださった。</p>
<p></p><p>その後、島岡先生から母と兄に『僕の面倒を見たい』という手紙が届いて。紹介していただいたニューヨークの人とは相性が合わなかったので半年後にカナダに行って、そこで焼きものがすごく好きになったんです。『はじめまして』と挨拶をしてからすぐにろくろを触らせてもらって夢中になり、気付いたら次の日の昼になっていました。生まれて初めて『これなら一生できるんじゃないか』と思いましたね」</p>
<p>台皿 ©Taizo Kuroda</p>
<p>──島岡先生は何故、黒田さんに声をかけたのでしょう。</p>
<p>「後で聞いてみたのですが、『あれは不思議だったね』と。それくらい、話しかけてほしいというオーラを僕が出していたのかもしれません。カナダの紹介先の方は学校で焼きものを教えている先生で、ろくろなどを自由に使っていいと言ってくれた。それから焼きものを続けて46年になりますから、不思議なご縁としか言いようがないんです」</p>
<p></p><p>──その後、日本に帰国されて、40代で白磁に専念することを決めたそうですが、そのきっかけについて教えてください。<br />
<br />
「実は、濱田先生と島岡先生には『白磁は難しいぞ。若いときにするもんじゃない』と言われていました。でも、いろいろ作ってみても納得がいかず、もういいやと思って何の根拠もなく白磁を始めました。それで展覧会を開いたら、知り合いや兄（イラストレーターの黒田征太郎）の友人たちが来てくれて、全部売れちゃった。本当は50歳まで待つつもりだったんですが、娘の学費のために売れるものを作らなきゃいけなくなって、『どうせやるなら好きなことをやったほうがいいかな』と思ったんです。それで『単色で、ろくろ成形の、器』という三原則を決めたところ、すごく自由になることができた。それまでは焼きものであれば何をしてもよかったのに、それが逆に不自由だったんだなと気付きました」</p>
<p></p><p>静岡県伊東市にあるアトリエ</p>
<p>──白磁が難しいと言われる理由ですが、白一色であるが故に、人生経験や人間的な深みが表れてしまうということでしょうか。</p>
<p>「確かに、昔の人にはそういう考え方があったようです。エネルギーを蓄えて爆発力を強くしてからやるべきもの、とでも言うのかな。ただ、僕は今でも白磁を作っているつもりはないんです。僕にとって白磁とは色とか形ではなく、精神的なもの、到達した位置のようなもの。そういう意味では悟りに近くて、今の自分にはまだできていないと思っています。</p>
<p>白磁を始めた頃に思い出したのは、カナダで生活費のために皿洗いのアルバイトをしていた時のこと。ウェイターが持ってくる皿を、まず石けん水の入ったシンクに入れて、次に火傷するくらい熱いお湯の入ったシンクですすいで、コックに渡す。その作業をしている間は何も考えず、自分が無になったような状態で気持ちがよかった。今も『僕はあの時が一番、白磁を作っていたな』と思います。</p>
<p>僕の考える白磁はそういうものだし、美しいものの最終形はそういうものだと思う。そして、それを追求するうちに器としては使えないものを作るようになってしまった。でも、それでいいと思っています」</p>
<p></p><p>円筒 ©Taizo Kuroda</p>
<p>──作陶という手法で、食事のための道具であることを越えて追求したい境地とはなんでしょうか。</p>
<p>「宇宙でしょうね。例えば、地球上に生命が誕生する遙か以前、岩石や塵などの無機物だった頃からの記憶が、人間には備わっていたはずなんです。制作中はいつも、そういう宇宙の成り立ちのようなことについて考えています。例えば、円筒は僕の中では宇宙のモデルで、曼荼羅のようなもの。焼きものを始めて1、2年経った頃に『なんだ、結局は円筒だな』と思ったんですよ。</p>
<p>そして、その感じはずっと自分の中にあったものの、円筒だけを追求する技術も度胸も、アーティストという感覚もまだなかった。これまでずっと焼きものをしながら『僕は何故ここに存在しているのか』ということを考えてきましたが、円筒こそがその最終地点なのかなと思っています」</p>
<p></p><p>hiromiyoshii roppongiにて開催された「黒田泰蔵」展の展示の様子（2014年）</p>
<p>──自分の手で作り出すことのでき、究極の境地ということですね。</p>
<p>「そうですね。コーヒーカップとかピッチャーとか、取っ手や口が付いているものは、ものすごくやりやすいんです。でも、それが小鉢などの抽象的な形態になるとちょっと苦しくなる。さらに円筒には、さっきの三原則で言えばこれ以上は削ぎ落とせないもの、ここから先へ行ったらもう何も作らないほかはなくなる、という確信みたいなものがある。でも生きている以上、何も作らないわけにはいかないとも思います。もし円筒を何かのためにどうしても使用するとすれば、この地球上のどこかに存在する、すごく透明感のある素晴らしい水を、自分が作った円筒で飲んでみるぐらいでしょうか」</p>
<p></p>
<p class="text" style="margin: 0 0 20px 0;text-align: center;font-weight: bold;font-size: 120%;display:block;">「黒田泰蔵　白磁」展の情報はこちら</p>
<p></p>
<p></p>
<p class="btn_entry">男の利き手のアーカイブ</p>
<p></p>
<p></p><p>The post 男の利き手:黒田泰蔵インタビュー「白磁とは精神的なもの」 first appeared on Numero TOKYO.</p></article>]]>
        </description>
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                                <ldnfeed:image_link>https://numero.jp/wp-content/uploads/2019/01/p194_4.jpg</ldnfeed:image_link>
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        <title>男の利き手：ピーター・リンドバーグ「写真でファッションと社会をどうつなげるか」</title>
        <link>https://numero.jp/interview141/</link>
        <pubDate>Fri, 11 Jan 2019 01:00:45 +0900</pubDate>
        <lastpubDate></lastpubDate>
        <status>1</status>
        		<category><![CDATA[Interview]]></category>
		<category><![CDATA[People]]></category>
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		<category><![CDATA[Peter Lindbergh]]></category>
		<category><![CDATA[男の利き手]]></category>
		<category><![CDATA[interview]]></category>
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            <![CDATA[<article><p class="first_section"><p class="picture"></p>
<p>──あなたの写真作品が火付け役の一つとなって巻き起こったスーパーモデル・ブームは、1990年代に世界的な社会現象にまでなりました。ファッション写真家として数多くの偉業を成し遂げてきたのに、ご自身ではファッションショーにはほとんど行かれないそうですね？<br />
　<br />
「確かにこの20年間、一度もショーには行ってないですね。もしそれを指摘されたら、ファッションを愛しすぎていて近づけないのだと答えるようにしているんですが（笑）、これは決して嘘ではありません。ファッション界はとても狭い世界で、閉じられた空間の中にずっといると、なかなかそのことにすら気づくことができなくなります。しかし、距離を置き、引いた目線で見ることができれば、大局的に考え、自分が得たインスピレーションを作品に統合させていくことができる。自分の魂が感じることに正直でありたいのです」</p>
</p><p></p><p>「COMME DES GARÇONS」 Michaela Bercu, Linda Evanglista &amp; Kirsten Owen, Nancy, 1988 © Peter Lindbergh (Courtesy Peter Lindbergh, Paris)</p>
<p>──ファッションのトレンドだけを撮ればよいわけではないと。</p>
<p>「私はファッションを社会とどのようにつなげることができるかを常に考えながら撮影してきました。写真という技は、アート作品を作るのではなく、主題をどのように現実の世界につなげていくかという作業なのです」</p>
<p>──写真家になるまでの経緯を教えてください。10代の頃は画家を志していたそうですね？</p>
<p>「私が育ったのはドイツのデュースブルクという街でしたが、画家になりたくてベルリン芸術大学に進学しました。しかし、そこでの授業はとても古くさいものに感じました。絵画のコースなら、２年間ずっと風景画ばかり描き続けなければいけない、といったような感じでしたから。それがあまりに退屈だったので、ベルリンを出て、ヒッチハイクの旅に出ることにしたんです」</p>
<p>──それはいつ頃のことでしょう？</p>
<p>「1965〜66年くらいですね。当時、21歳でした」</p>
<p>──どちらを巡ったのですか？</p>
<p>「ゴッホに憧れていたので、まず縁の地であるアルルに行って、8ヵ月ほど滞在しました。そのあとスペイン東部やモロッコなど、2年間ほど放浪したんです」</p>
<p></p><p>PINA BAUSCH, Pina Bausch,Paramount Studios, Hollywood, 1996 © Peter Lindbergh (Courtesy Peter Lindbergh, Paris)</p>
<p>──その頃はまだ写真は始めていなかったんですね？</p>
<p>「放浪の後、デュッセルドルフのアートスクールに入学し、4年間学んだ後、画家になりました。大きなギャラリーに所属することができましたし、駆け出しの画家としては非常に恵まれていて、楽しく画家生活を送っていました。しかし、その当時、アメリカからやって来たのがコンセプチュアルアートのムーブメントだったのです」</p>
<p>──60年代後半から70年代に起こった前衛芸術の運動ですね。</p>
<p>「ローレンス・ワイナー、ダグラス・ヒューブラー、ジョセフ・コスースなど、一線で活躍する作家たちの情報が伝わってきました。とても衝撃を受けましたし、私たちがいるヨーロッパよりも20年は先取りしていると感じました」</p>
<p></p><p>──それが写真を始めるきっかけになったと？</p>
<p>「それまでと同じように画家を続けるべきか、コンテンポラリーアートを目指すべきかと悩み、8ヵ月ほど何もできないまま過ぎてしまいました。その時、知人が写真家アシスタントの仕事を紹介してくれたんです。ただ座って、受け身で待つのではなく、何でもいいからやってごらんよと言われました。その通りだと思い、3ヵ月間だけ働いてみることにしたのですが、この経験によって、自分が何をすべきなのかわかったのです。今から振り返れば、一度立ち止まって考える時間を持ったことは、非常に賢明な選択だったと思います」</p>
<p></p><p>『BRITISH VOGUE』 Christy Turlington, Tatjana Patitz, Naomi Campbell, Cindy Crawford, Christy Turlington &amp; Peter Lindbergh, New York, 1989 © Jim Rakete</p>
<p>──ファッション写真を撮り始めた時、特に意識してなさったことはあったんでしょうか。</p>
<p>「既にあるような写真は決して撮りたくないと思っていました。写真家は自分の経験を生かし、心に正直に撮るべきなのに、前例ばかりを意識するあまり、同じような作品になってしまう場合が多いと感じます。頭は全く白紙の状態で、自分は何をしたいのかを自問するべきなのです」</p>
<p>──あなたの撮るファッション写真が世に出始めた時、それまでにあったものとは全く違うと多くの人々が思いました。なぜなら、ドキュメンタリーのようなスタイルで、ファッションよりもモデルのパーソナリティーに焦点を当てていたから。始めから意図して、そのような作品を撮られたのでしょうか？</p>
<p>「それにはアートスクール時代の経験が大きく影響しています。学生時代は解放された、いちばん素晴らしい時期です。やりたいことを追求し、自由に物事を考えて、見たいものを見る時間がありますよね。そして、学生時代に大きなインスピレーションを与えてくれたのが、スカンジナビアの国々から勉強しに来ていた女子学生たちでした。彼女たちはヨーロッパの女性よりもずっと先を歩いているように思いました」</p>
<p></p><p>『10 WOMEN』 Linda Evangelista, Paris, 1988 © Peter Lindbergh (Courtesy Peter Lindbergh, Paris)</p>
<p>──他の女の子たちとは何が違っていたのでしょう？</p>
<p>「女学生ですからまだ20歳前後なのですが、言いたいことをはっきり発言しますし、行動や発想がとても自由なんです。弱くて無知な女のふりなどは絶対にしません。服装はＴシャツとジーパン、テニスシューズとラフな格好で通していました。自分はとにかくアーティストになるんだと一本気に決めていて、アートのために何ができるかを常に考えている、そんな目的意識の高い彼女たちの姿が、私にとって理想の女性像となりました」</p>
<p>『10 WOMEN』Amber Valletta, New York, 1993 © Peter Lindbergh (Courtesy Peter Lindbergh, Paris)</p>
<p>──それをファッション写真で表現しようとしたんですね。当時の反応はどのようなものでしたか？</p>
<p>「ほぼ無視されました（笑）。編集者が認めてくれず、撮った写真が全部ボツにされてしまうこともありました。しかし、時代は変わり、意思を持った新しい女性像を表現していると、多くの方々が私の写真を評価してくださるようになりました」</p>
<p></p><p>Nicole Kidman, Los Angeles, 2016 ©Peter Lindbergh (courtesy Peter Lindbergh, Paris)<br />
『Peter Lindbergh. Shadows on the Wall』（Taschen）表紙</p>
<p>──写真集『Shadows on theWall』では、二コール・キッドマンやケイト・ウィンスレットなど、錚々たる女優14人のポートレートを撮影していますね？</p>
<p>「今はCGで作り込んだ、まるで〝ホラーモンスターピクチャー〞みたいな写真ばかりなので、私は被写体の素の姿を撮りたいと思ったんです。彼女たちには裸の自分をさらけ出してほしい、それでもOKなら引き受けてくれとお願いしました。もちろん、化粧もなしです。難しいのではないかと思っていましたが、結局予定が合わなかった方以外は、皆さん承諾してくれました」</p>
<p></p><p>The post 男の利き手：ピーター・リンドバーグ<br>「写真でファッションと社会をどうつなげるか」 first appeared on Numero TOKYO.</p></article>]]>
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        <title>追悼企画 大杉 漣インタビュー「フラフラしているほうが僕らしい」</title>
        <link>https://numero.jp/interview78/</link>
        <pubDate>Tue, 27 Feb 2018 10:14:16 +0900</pubDate>
        <lastpubDate></lastpubDate>
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        		<category><![CDATA[Interview]]></category>
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		<category><![CDATA[大杉漣]]></category>
		<category><![CDATA[男の利き手]]></category>
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        <description>
            <![CDATA[<article><p class="first_section"><p class="picture"></p>
<p>たくさんの物事を生み出し、行ってきた“男の利き手”。個性豊かな表情とそこに刻まれたエピソードを通じて、これまで歩んできた歴史の一幕を振り返る。俳優、大杉 漣の“利き手”が語る人生の名場面。（「ヌメロ・トウキョウ（Numéro TOKYO）」2016年5月号掲載））</p>
<p>──手だけの撮影でしたが、手を意識して演技することはありますか。</p>
<p>「北野武監督作品『ソナチネ』で片桐というヤクザを演じました。その時に監督から「ポケットに手を入れないで」という演出がありました。鋭い目つきとポケットに手を入れることは、ヤクザ物の定番です。形から入ると安心するのですが、逆に手をぶらりとした無表情のヤクザの姿は大きなやりがいと新鮮さを感じました。―脚本はなかったのですか。ペラ数枚にあらすじとロケの流れについてだけ。台詞は撮影前日か当日に助監督から教えてもらい、その時に覚えました。またその場で起きていることを自分の言葉でしゃべることもありました。そもそも僕が俳優を始めたのは転形劇場の沈黙劇。台詞のない芝居をやっていましたから、黙っていることの怖さ、難しさをわかりつつ、存在することができる。台詞をしゃべることも大切ですが、沈黙の力を感じました。『ソナチネ』は23年前の作品ですが、いまだに僕の中では大きな支えになっています」</p>
</p><p></p><p><br />
『蜜のあわれ』（2016）©︎2015「蜜のあわれ」製作委員会</p>
<p>──映画『蜜のあわれ』は情緒たっぷりで官能的でした。女性から見ると、男性の妄想の世界のように思えます。</p>
<p>「老作家の妄想は可愛いですよね。飼っている金魚を少女に擬人化して愛でる。そこには老いゆく悲しさ、切なさ、哀れさなどが含まれています。僕も似たような妄想をします。共感できるところが多々ありましたね」</p>
<p>──金魚を少女に見立てる妄想も？</p>
<p>「さすがに金魚を見て発情はないけれど、精神的な勃起についてはいつも考えます（笑）。男の象徴の一つとして絶対にあると思う。それを室生犀星さんが70歳にして正直に書いていることは素敵だなと思います。あの人間くささは室生犀星さんのイメージからはほど遠くて驚きました」</p>
<p>──とても美しい映像でしたが、撮影はどんな様子でしたか。</p>
<p>「去年1カ月、暑い時期に加賀や金沢、富山で撮影しました。フィルムでの撮影で、デジタルと違い、何度も撮影できない緊張感があり、フィルムの回る音も含めて、映画独特の現場が心地よかったです。初日のワンカット目、冒頭の書斎のシーンで二階堂さんが現れたとき、赤子がいる！金魚だ！と思いました。真紅の衣装と動きが金魚そのもの。その瞬間から彼女はずっと金魚でしたね（笑）。最後のシーンは本当に悲しくて」</p>
<p></p><p><br />
<br />
『HANABI』（1997）©&#xfe0f;1997 バンダイビジュアル・テレビ東京・TOKYO FM／オフィス北野<br />
DVD¥3,800 販売元／バンダイビジュアル</p>
<p>──ところでこの仕事で食べていけると確信したのはいつ頃でしたか。</p>
<p>「映画デビューは、高橋伴明監督のロマンポルノでした。映画で初めてギャラを頂き、うれしかったですね。しかし、当時の僕は暇さえあればパチンコをやっていました。稼ぎのほとんどはそこで消えました。無頼気取りで、いい気なもんです。当然カミさんにも厄介をかけました。37歳の時に劇団が解散になり、本格的に映像の世界に移行しました。当時はＶシネマ全盛期で、日々ヤクザを演じてましたね（笑）。そんな時に初めて映画のオーディションを受けたのです。それが北野武監督の『ソナチネ』でした」</p>
<p>──俳優業一筋で食べてこられたと。</p>
<p>「一筋ではありませんが、やはり〝俳優で食う〞ということにこだわりはありました。ただ、銭がないことが苦労とは思わない、だって自分が選んだ道ですからね。『大杉さん、昔は苦労されましたね』なんて言われることがありますが、苦労と思う場所がどこにあるかで、ずいぶん印象も変わります。長く俳優として過ごしていますが、基本の場所というか、生きている感覚は若い頃とそれほど変化はないと感じているのです。安定を目指してはいないのです」</p>
<p>──俳優を続けてこられた理由は？</p>
<p>「節目節目で面白い作品、面白い人に会うからです。それしか言いようがない。20代で劇団に入った頃と映像を始めた後、自分の中で大きな変化はないです。もし転形劇場が解散していなれば、おそらく今も舞台をやっていたと思います。一生沈黙劇俳優として、こんなふうにペラペラしゃべらないで（笑）」</p>
<p></p><p><br />
転形劇場『水の駅』（1981）</p>
<p>──ほかにも劇団が多数あるなかで転形劇場を選ばれたのはなぜですか。</p>
<p>「当時は唐十郎さんや寺山修司さんが大きな存在でしたが、たまたま転形劇場の太田省吾さんの書かれたエッセーに触れたことがきっかけで劇団の門を叩きました。あの時に太田さんの言葉や存在に出会わなければ、おそらく俳優になっていなかったと思います。僕にとって東京で〝行きたい場所〞ができたわけですから」</p>
<p>──それからずっと俳優人生ですね。</p>
<p>「その時々にやりたいことが出てくるので。僕、64歳になって、まだまだだと思っています。それは欲望か、希望か。『蜜のあわれ』を撮影した少しあとに、『劇場版 仮面ライダー』の地獄大使を演じて。地獄大使と室生犀星、ほぼ同時期にやるって、面白いじゃないですか。自分の体には室生犀星が住み着いたり、いいお父さんやエキセントリックな人物がいたり、重ねて重ねて今ここにいる。これから、どんな役が体と記憶に住み着いてくれるのか、楽しみなんですよ」</p>
<p>──さまざまな役が宿ってるんですね。お仕事は台本で決めるのですか。</p>
<p>「台本を読まず、監督や共演者で即、決める時もあります。考えることがいいとは思わない。直感も信じて、面白そうと思ったら出かけます。しかし、大切なことが一つ、僕らは選ばれる仕事なんです。選んでいただいた以上は、いい感じで遊びたいのです」</p>
<p>──演じるのは遊びと同じだと？</p>
<p>「大杉漣は現場で遊んでいると思われると困りますが（笑）。『遊ぶ』って意味が深いですね。本当に仕事として遊べるというのは、なかなかできないと思う。いつでも必死です」</p>
<p></p><p><br />
バンドでのライブの様子。</p>
<p>──俳優業以外での関心事は？</p>
<p>「エレファントカシマシさんや斉藤和義さんなど音楽の世界、また絵画や写真、文章に触れることを大事にしています。あと、ぶらぶらすること。いろんな所を歩きますね。最近は欲が出て、歩きながら台詞を覚えています。朝、マスクして山手通りをブツブツ言いながら歩いているおじさん、ちょっと不気味です。俳優の仕事も一生ぶらつく感じがするんです。普段も落ち着かないで、フラフラしているほうが僕らしいなと」</p>
<p>──ぶらぶら、フラフラが大杉流なんですね。趣味も多いと伺いました。</p>
<p>「趣味はサッカーと音楽。サッカーは四十数年やっています。バンドは40歳後半から。ギターを買って、Ｆの壁を越えて。今はバンド4人で日本のフォーク、ロック系をやっています。今年、3カ所でライブやります。もう、はしゃぎ倒します（笑）」</p>
<p>──では、もし生まれ変わったら、次はミュージシャンでしょうか。</p>
<p>「いや、どうかな？ 僕はスペイン人になりたいです。リーガ・エスパニョーラのサッカー選手になって、メッシかロナウドと出会いたい。そして、もう一つの夢がフラメンコダンサー（笑）。静と動、言葉と踊りとギター、大好きです。しかし、サッカー選手もフラメンコもやはり全て表現の世界ですね」</p>
<p></p><p><br />
テレビ番組『大杉漣の漣ぽっ』（2012〜／BSフジ）</p>
<p>【あとがき】<br />
この「男の利き手」の取材が行われたのは、2016年の映画『蜜のあわれ』の公開に合わせてのタイミングでした。操上さんとの手の撮影では、手でエロさを表現しようとああだこうだと一生懸命に試みていらっしゃいました。コワモテや演じている役のせいもあって、ちょっと怖い方なのかと心してのぞみましたが、拍子抜けするほど、温かで気さくなお人柄で、ユーモアたっぷりに、男のエロや妄想から、役者人生のきっかけや転機、趣味の音楽やサッカーの話題と、真摯に、時に（いや、かなり）ジョークを交えながら面白おかしく語ってくれた姿が印象的でした。そして、もし生まれ変わったら…という、最後の質問に、スペイン人になりたいと真面目に答えてくださった大杉さんの少年のような笑顔がすごく素敵でした。今思えば、そうやってこちらの緊張をほぐしてくださったようにも思えます。最後に、個人的に、放送中の『バイプレイヤーズ』楽しみにしておりました（予定通り、最終回まで放送されるそうです）。<br />
心よりご冥福をお祈りいたします。</p>
<p></p><p>The post 追悼企画 大杉 漣インタビュー「フラフラしているほうが僕らしい」 first appeared on Numero TOKYO.</p></article>]]>
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        <title>話題のアーティスト五木田智央「男の利き手」に登場</title>
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        <pubDate>Mon, 10 Apr 2017 01:00:40 +0900</pubDate>
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        		<category><![CDATA[Editor's Post]]></category>
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            <![CDATA[<article><p class="first_section"><p class="picture"></p>
<p>賞金稼ぎ的︎？イラスト投稿マニアから、2000年、「ランジェリー・レスリング」シリーズで彗星のごとく頭角を現した五木田智央。その後、テイ・トウワのアルバムジャケット、TOGAとのコラボレーションなど音楽＆ファッション業界でもその名を知らしめている。そんなイラストレーターとしてのキャリアを経て、今やNYの有名ギャラリーMary Boone Galleryで即完売するまでに至った、彼のインタビューを連載「男の利き手」にて紹介している。人気の作家として注目を浴びているにも関わらず、クリエイションへの謙虚な姿勢や扱うモチーフは当時と何も変わらない。プロレス、エロ、芸能ネタ、それが常に彼のインスピレーションソースであり、心の故郷なのだ。だが、それをファインアートへ見事に昇華してしまったところが彼のすごいところだ。</p>
<p class="picture"></p>
<p class="picture"></p>
<p class="picture"></p>
<p>そんな彼の個展「Holy Cow」が六本木タカ・イシイギャラリーにて４月15日（土）まで開催中。「描くたびにテクニック的な新たな発見がある」という、お馴染みのモノクロ作品の新作15点を発表している。本人曰く、「潜在的にある邪悪な心」が描き出す、どこか不気味さと可笑しみを秘めた五木田智央のミステリアスな世界に触れてほしい。</p>
<p>五木田智央「Holy Cow」<br />
会期／開催中〜2017年4月15日（土）<br />
会場／タカ・イシイギャラリー 東京<br />
住所／東京都港区六本木6-5-24 3F<br />
TEL／03-6434-7010<br />
URL／http://www.takaishiigallery.com</p>
<p>五木田智央 『Holy Cow』 カタログ出版記念サイン会 <br />
日時／4月15日（土）16:00-18:00<br />
会場／タカ・イシイギャラリー 東京</p>
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</p><p></p><p>The post 話題のアーティスト五木田智央「男の利き手」に登場 first appeared on Numero TOKYO.</p></article>]]>
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