Culture / Post

パリは終わってしまったのか?[後編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.2

多彩な肩書きを持ち、音楽、映画、グルメ、ファッション、格闘技などボーダレスな見識を披露するアーティスト菊地成孔と、写真、先端芸術からバリ島文化まで幅広く専門とする、美術史家にして東京芸術大学美術学部教授の伊藤俊治。アカデミックな2人が、世の中のニュースや日常の出来事、氷山のほんの一角の話題をダイナミックに切り崩しディープに展開する、かなり知的な四方山話。

 

vol.2 パリは終わってしまったのか?[後編]
カルチャー先進国として、かつて圧倒的な憧れの存在だった都市パリ。70、80、90年代を経て、インターネットの普及によって世界が均質化し、独特の文化のありがたみは失われてしまったのか? それでも、やっぱりパリの威光は健在なのか? そして、東京のオリジナリティは何処にいくのか?

 

料理界のニッポンブームの真相
 
伊藤俊治(以下I)「フランスの料理学校に日本人留学生の数が異常に増えたのは、80年代半ばくらいですよね。 「ル・コルドン・ブルー」とか「ラ・ヴァレンヌ」には日本人が半分くらい、あとアメリカ人が1/4くらい。やっぱり料理を学ぶのならフランスという図式が できて、日本の調理師専門学校もフランス校を出したりと、一連のそういう流れがあったんじゃないですか。当時、洋風料理というと、フレンチしかなかったで しょ? イタリアンはちょっと遅れてくる。70年代初めに僕が東京に出てきた頃、フランス料理店なんて2、3軒くらいしかなかったですよ、きっと」
 
菊地成孔(以下K)「ぎりぎり80’s前の、そうだなあ、77年くらいの主婦の友社みたいなところが出してる料理雑誌なんかでも、“フランス料理”って書いてあって、中を開くと 考えられないようなものが、もうとんでもない、今は誰もこんなもの食わないよみたいな、時代劇の舞台セットのような料理がバーッンと出てきますけど。 まぁ、フランス料理はフランス料理で74、75年に脂肪を減らそうとして、要するにヌーベル・キュイジーヌの動きがあり、今のブラッセリーのあり方に直接 的に影響を与えたわけですが。90年代はトラットリアがものすごく発達したので、これも日本におけるイタリア料理定着史みたいになっちゃいますけど、最初 にオープンキッチンを始めたことで有名な「バスタパスタ」ってお店がありまして、あそこの人たちは『水滸伝』みたいにあっちで修業して、こっちで修業し て、またこっちに戻ってみたいな。伊仏の戦いというか」
 
I「それで 80年代にフランスに料理留学してた人たちに代わって、90年代に入るとみんなイタリアに行くようになるでしょ。それくらい大きい変化が90年代にはあった。北イタリアとか行くと、ほとんどの星付きレストランには日本人が2、3人くらい修業していましたから」
 
K「ボローニャの「パッパガッロ」とか、名立たるリストランテを全部食べて、もう行く所な いからと、適当に小さいトラットリアに入ったら、店員が一人も英語が喋れないような所で、ドルチェがものすごくおいしい。んで「おいしいドルチェだね」っ て言うと、「これは日本人がやってるよ」って。奥から日本語が聞こえてきたりして。スカッコマットっていう店ですけど。94年の話ですが。この頃どこでも そうでした」
 
I「もうそういう時代も終わってるのかもしれない」
 
▶続きを読む

Profile

Recommended Post

Magazine

July / August 2019 N°128

2019.5.28発売

So Animalistic!

動物たちのいるところ

オンライン書店で購入する