【田中杏子の徒然モノ語り】vol.1 母から受け継いだ形見。「エルメス」の時計とベルトを甦らせて思いを紡ぐ
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【田中杏子の徒然モノ語り】vol.1 母から受け継いだ形見。「エルメス」の時計とベルトを甦らせて思いを紡ぐ

美しく蘇ったエルメスの時計たち。左からクリッパークロノ クォーツ、ケープコッド ドゥブルトゥール(マルジェラ期)
美しく蘇ったエルメスの時計たち。左からクリッパークロノ クォーツ、ケープコッド ドゥブルトゥール(マルジェラ期)

聞いてください! 先日、母から譲り受けた時計のベルト交換に行ったときの話です。
かつて海外出張の多かった父は、留守を支える母への感謝の気持ちとして、帰国するたびにプレゼントを贈っていたそうです。長年愛用し文字通り使い古された時計たち。母が他界した際に三姉妹で遺品整理。協議の結果、これらの時計を私が譲り受けることになりました。そこで、時計を甦らせようと、レザーベルトの交換を試みることにしたのです。

エルメス銀座本店の4Fへと案内された私は、サラリとした髪を一つにまとめたエレガントな店員さんに時計を渡し交換希望の旨を伝えると、華奢な手に白い布手袋を着け、丁寧にレザーやフック部分の状態を確認。さらに技術者にも確認を取りますね、と言ってその場を立ち去りました。間もなく替えの在庫を数点持って「どのベルトになさいますか?」とニッコリ。その無駄を感じさせない所作に、ハイメゾンならではの優雅さとプレミアム感が漂っていました。

15分ほど経過し、生まれ変わった時計とともに使い古されたレザーベルトも戻ってきました。何十年分の時を刻んだケープコッドの二重ベルトが美しい箱の中でふかふかな袋に包まれているのをみて、時計が新しく生まれ変わった高揚感とともに母への想いを丁寧に扱ってもらえたような妙な充足感に満たされました。(ちなみにクロノの赤ベルトはループ部分が擦り切れ、ダメージが酷かったので破棄していただくことにしました)

気分をよくした私は、今度は時計ではなく母が愛用していたレザーベルトを持参しました。時計のように本体(バックル)部分を活かして革の交換をお願いできないか相談してみたのです。「こちらはレザーベルトとバックルが取り外せないタイプのもので、技術者もフランス本国の確認が必要だと申しておりまして・・・。しかもかなり時間がかかる可能性もございますが・・・」もちろんそれでも構わない。時間がかかっても母の思いを繋げられるなら、と伝えたところ、衝撃のひと言。

「本国で修理不可と判断された場合、ベルトそのものが戻ってこない可能性がございまして・・・」え、え、えぇぇ~~~~っ!!  修理不可能の判断は仕方ないとして、そのあとベルトそのものが戻ってこないってどういういこと?? 動揺を隠せない私と、それ以上の説明ができない店員さん。「はい。戻ってこない可能性もございまして・・・」を繰り返す。店内には「困惑する客と対応に苦慮するスタッフ」という、カスハラにも見える図が展開し、その場は諦めて退散することに。

後日、ブランドさまとの仕事上の繋がりをいかしPR担当の方に相談することに。状況を説明し、修理不可の場合でも必ずベルトを返してもらえるようできないのか?とあれやこれや。懇切丁寧なやり取りの末、店舗に再度持参し、明かされた内容が「もし、万が一お客様のベルトが正規品でない場合、つまりコピー品(違法品)である場合はお戻しができない可能性があります」という意味だったのです。なるほど。腑に落ちました。

何十年も前に購入した、シリアルナンバータグも証明タグもなければ、購入店舗の情報すら不明な古びたレザーベルト。正規品であることを証明する術がなければ、違法品である可能性をゼロにすることはできない(父の名誉のために、違法品ではないことを願うばかりだが)。ブランドの商品は知的財産の結晶であり、それが違法品によって侵害されることは、ハイメゾンならではの葛藤であり痛みでもあります。私が形見のベルトを上機嫌に持ち込んだ際に、店員さんが十分な説明をできなかった理由には、そうした複雑な事情への配慮だったのです。違法品である場合、どんな理由であれ世に出回ってはいけないものです。ベルトが戻ってこない可能性があるという説明にも承諾のサインをし、一か八かではありますがフランス本国に送り、返答を待つことにしました。

父から母へ、そして母から私へと受け継がれるモノを通して得た貴重な体験。このベルトが修理不可能だったとしても、世界を旅して私の手元に無事に戻ってきてくれたのなら、最高の逸品となるはずです。ハイメゾンの本質的な価値を味わいました。必ずまた出合えますようにと、いまは祈るばかりです!!

Profile

田中杏子Ako Tanaka 統括編集長。ミラノに渡りファッションを学んだ後、雑誌や広告に携わる。帰国後はフリーのスタイリストとして『ELLE japon』『流行通信』などで編集、スタイリングに従事し『VOGUE JAPAN』の編集スタッフとして 創刊から参加。シニア・ファッション・エディターを務める。2005年 Numéro TOKYO編集長に就任し2007年2月創刊、2025年3月まで務める。現在は統括編集長として本誌のヴィジュアル全般、デジタルやSNS、ECなどNuméro事業全体を担う。2021年、新プロジェクトrabbitonを立ち上げる。著書 『AKO’S FASHION BOOK』(KKベストセラーズ刊)。
Twitter: @akotanaka Instagram: @akoakotanaka

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