米原康正×マリエ対談「00年代のギャル〜ハーフモデル文化」 | Numero TOKYO
Culture / Yonethropology

米原康正×マリエ対談「00年代のギャル〜ハーフモデル文化」

ホスト米原康正が、原宿のストリートカルチャーをひも解くトークイベント「スナックよね。」。雑誌『ViVi』の専属モデルとして活躍し、現在はデザイナーなど活動の幅を広げるマリエをゲストに迎えて、2000年代のギャル〜ハーフモデル、赤文字系雑誌事情を振り返ったトークをご紹介!

アムロからあゆへ、そしてハーフモデルの時代 米原康正「今日のゲストはマリエさんです。2005年から『ViVi』の専属モデルとして活動してきたわけだけど、まず、ハーフモデル時代の前日譚となる、ギャル文化について整理しましょう。まず、ギャルに支持されたカリスマといえば、アムロちゃんとあゆがいるけれど、同じように見えて全く違うものでした」
 マリエ「女の子が世界に対してセクシュアリティを発信したかったという点は一緒だけど、アウトプットが異なっていたし、出ている雑誌も違いましたよね」 米原「アムロちゃんの時代には〈セレブ〉という概念がなかったけれど、あゆの頃から海外文化が入ってくる」 マリエ「2005年頃、パリス・ヒルトン、リンジー・ローハンのセレブブームがあって、ブリトニー・スピアーズはその前から活躍していたけれど、年齢は彼女たちと同世代です」 米原「あゆが持ってきた外国文化は大きかった気がするな。そして2004年に藤井リナちゃんが『ViVi』に登場して、2005年にエリーローズやサラ。マリエちゃんは2006年ぐらい?」 マリエ「そうですね。その頃には、ネットでセレブと同じものが買える状況でした。スタバのヴェンティを持って道を歩いているような、海外のセレブスナップも大流行しましたね。でも、アムロちゃんはそんな中でも独自のものを守ろうとしていたような気がします。だからこそ、今でも多くの人に愛され続ける存在なんだと思います」 米原「そもそも〈ハーフモデル〉という言葉自体、出てきたのは2004年。藤井リナちゃんのデビューと同時期だよね。それまで『S Cawaii!』の一大勢力があって、そこに道端アンジェリカが出ていた。2003年頃から徐々に『ViVi』がそのノリを取り入れ始めた。ブランドでいうとマウジーを取り上げたり」 マリエ「『ViVi』は『S Cawaii!』を3,000円くらい底上げしたようなセレブ感をプラスしてましたよね」 米原「『S Cawaii!』は『JELLY』や『nuts』のオシャレ版。読モではなく、プロのモデルに近い女の子が登場していたよね。ギャル文化の流れを汲んでいた『S Cawaii!』に対し、『ViVi』は岩堀せりちゃん、佐田まゆみちゃんが活躍していて大人の雰囲気があった」

藤井リナが変えたギャルの概念

米原「マリエちゃんはハーフモデルとして活躍してきたわけだけど、ハーフという存在は、かつていじめの対象とされた時代もあったんだよね」

マリエ「そうなんですよ。草刈正雄さんともよく話していたのですが、ハーフの人権が認められたのはわりと最近です。かつては背景に戦争があって、その後、映画業界や芸能界がハーフをモデルとして認めてくれたという経緯があったけれども、私や私の姉も子どもの頃はいじめられました。だから、ずっとハーフはコンプレックスで、親に『どうしてインターナショナルスクールに入れてくれなかったの?』と泣きついたこともありました。でも、周囲の認識が変わっていき、ハーフは憧れの存在になった。きっと、LGBTも10年経てば今と状況は変わるはずです」

米原「芸能活動はいつから?」

マリエ「姉が『CUTiE』のモデルをしていたので、お姉ちゃんと同じことをしたくて10歳の頃からモデルを始めました。その頃、読んでいた雑誌は『CUTiE』と『Zipper』。年齢が上がるにつれて、せりちゃん真由美ちゃんに憧れて『ViVi』を読むようになって。その後、『ViVi』の専属になれました。」

米原「あの当時、藤井リナちゃんを『SWEET』と『ViVi』が奪い合ったりしていたよね。彼女の出現は、ギャル文化のひとつの転換点だったと思う。リナちゃんはティアラをつけたじゃない? それまで『CUTiE』以外の女の子はティアラや小さい帽子なんかつけてなかった。ある意味で〈変な子〉の象徴のアイテムだったけれど、それを彼女は打破したんだよね。『ViVi』が他の赤文字系と違うのは、男目線をあまり気にしてないところだと思うんだけど」

マリエ「そうですね。男の子にどう思われたいかと考える人もいれば、女の子の憧れになりたいという人もいました」

米原「男目線とファッションという意味では、2002年に『mini』が65万部まで売れたんだけど、裏原宿のサイズダウンした服を女の子が着ていた。当時僕は、『mini』で活躍していた今宿麻美や花楓ちゃんと一緒に『smart girls』というちょっとエッチな雑誌を作って、女性誌で表現していることを男性誌に舞台を変えるとどうなるだろうという試みをしていたんだけど、そこに藤井リナちゃんも出てくれて」

マリエ「当時の『ViVi』モデルは、ビキニはOKだけど下着撮影はNGというモデルは多かったけれど、リナはどれも楽しんでた印象はあります。彼女自身、行くとこまで行ったるという勢いがあったし、男の子にも女の子にもカッコいい存在として思われたい意識もあったと思う」

米原「上半身ヌードも赤文字系はNGだったから、藤井リナはかなり変えたよね。その頃、『LIP』という雑誌で、ファッション系のフォトグラファーにグラビアを撮らせたりしていて、それまでのグラビア観を壊す試みをしていたんだけど、それに『ViVi』以前のリナが出てくれたんだよ」

マリエ「リナはセクシーなんだけど、女性からも支持されているのが重要なポイントだった気がします」

グローバルな時代に現れた「ハーフになりたい」願望

米原「ハーフモデルブームで言うと、2009年頃から〈ハーフ顔になりたい〉特集が組まれたりして、言葉が一人歩きした印象があるんだけど、その時はどうだった?」

マリエ「益若つばさちゃんを始めとする、プロデュース能力が長けている世代が登場した時期ですね。〈ハーフ顔になりたい〉っていうのは魅力的なフレーズだった。でもその頃、モデルになれる身長がぐっと下がったんです」

米原「欧米系のハーフから、アジア系のハーフも多く登場するようになった。韓国系とのハーフだと、ほとんど顔つきは変わらないんだけど」

マリエ「〈ハーフ〉という言葉への漠然とした憧れなのかな」

米原「男の子でも、日本人が日本を忘れていく一方で、ハーフの子が日の丸を背負ってサムライみたいになってる現象もあるよね」

マリエ「バランスをとっていきたいですよね。ものづくりの世界では、メイドインジャパンが大事だとずっと言われていたけど、それが私は不思議に感じていて。いいものは産地じゃなくて、自分で判断できるはず。世界を見て動く時代になっているわけだし」

米原「ヨーロッパにいったら、ハーフどころか16くらいの人種が入っているのが普通。そうなると『ハーフって何』という話になる」

マリエ「これまでの人生で3回留学したんですけど、日本にいると外国人だと思われて、海外に行くとアジアの子と言われます」

マリエが見据える次なる世界

米原「モデルやタレントとして活躍していたマリエちゃんが、2011年に突然、NYのパーソンズに留学したけれど、その理由は?」

マリエ「まず、私が事務所と正式に契約したのが18歳で、ちょうど進路に迷っていた頃だったんです。そこに、バラエティタレントとモデルのお誘いがあって。当時からパーソンズには行きたかったけれど、お金も必要だし、大学はどんなタイミングでも行けるから、それなら今は必死で頑張ろうと決めたんです」

米原「マリエちゃんが活躍していた頃は、オバカタレントが売り出されていた時代だよね」

マリエ「バラエティ自体も変化した時で、同世代の子が一律でオバカタレントに括られていました。それと同時に登場したのが、タレントさんの公式ブログ。それによって、タレントさんが身近な存在になりましたが、タレントの間でも賛否はありました。私は表現したいことがたくさんあったから、ブログは2つ掛け持ちしてやってました。ますます時代は変わり続けるから、自分の柔軟性が問われる時代ですよね」

米原「芸能界が、一般視聴者の目線に立ち始めたんだよね。憧れの存在から、同じ価値観をもつことが良しとされて。それには思うことも色々あるけれど。NYでファッションを勉強して、2012年に日本に戻ってきたわけだけど、今後は?」

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マリエ「今、北海道から沖縄まで、バンドの〈ザ・モッズ〉のツアーバスを借りて、地方の自然や生物がどうファッションと関わっているかを見るツアーをしているんです。オーガニックブームもあり、生産者の顔が見える商品は注目されていますよね。野菜でも農家さんの顔写真があったほうが信頼されたり、オーガニックコットンも生産者を出したり。その一方で、作り手や企業が、買い手の顔が見えてるのか気になっていて。SNSがあるとはいえ、フォロワーも〈いいね!〉の数もお金で買える時代だから、本当は誰が商品を買っているのか、作り手が見えていない。そこを繋げる作業をしていきたいと思っています」

米原「それが次のやりたいことなんだね」

マリエ「私はこれまで、ファンの子たちや周囲の人に助けられてきました。自分の夢を追求したいと言ったときも、みんなが応援してくれた。自分のやりたいことを追求したり、アートに触れたりする中で、自分でいいものが判断できるようになって、生きることが楽になったんです。だから、私の知識や、私なりのセンスの磨き方を伝えていければ。それがヒントになって、今、迷っている若い子たちが自分のやり方を見つけてくれたら幸せですね。その機会として、こういう場を広げていければいいなと思っています」

米原「偉い! 次の世代に対してちゃんと考えてるんだ」

マリエ「でも、こうやってよねちゃんと話していると、またセッションしたくなりますね。今度、ぜひ撮ってください」

米原「ぜひやりましょう!」

第6回「スナックよね。」
日時/近日発表  ※ホームページにてご確認ください。
※トークショー(無料)とスナックタイム(学生¥500 一般¥1000)の二部制。
ゲスト/近日発表 ※ホームページにてご確認ください。
会場/テクノロジーラボ
住所/東京都渋谷区神宮前3-27-22 ルコタージュビルディング2F
TEL/0120-900-926
URL/http://tfl.tokyo

Text:Miho Matsuda Edit:Masumi Sasaki

Profile

米原康正(Yasumasa Yonehara) 編集者、クリエイティブディレクター、フォトグラファー、DJ。世界で唯一チェキをメイン機材とするアーティストとして、幅広く活躍。中華圏での人気が高く、中国版 Twitter である「新浪微博(weibo)」でも235万人のフォロワーを有し、シューティングと DJ をセットにしたイベントでアジアを賑わせている。世界のストリート・シーンで注目される、ジャパニーズ・カルチャーを作品だけでなく自身の言葉で語れる日本人アーティストの一人。
マリエ(Marie) ファッションモデル、タレント。2005年より女性ファッション誌「ViVi」専属モデルを務め、同時に数々のバラエティ番組に出演。『アッコにおまかせ』『笑っていいとも!』『スペシャエリア』など数多くのレギュラー番組や連載を抱える中、さらなるステップアップのために、2011年9月にニューヨークのパーソンズ美術大学に留学し、ファッションを専攻。2012年7月に帰国後し、現在は幅広く活動している。

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