蜷川幸雄×金原ひとみ『蛇にピアス』対談 クリエイションは世代を越える | Numero TOKYO
Culture / Feature

蜷川幸雄×金原ひとみ『蛇にピアス』対談 クリエイションは世代を越える

金原ひとみの小説『ミーツ・ザ・ワールド』が松居大悟監督、杉咲花の主演で映画化、映画化が決定した。金原の小説が映画化されるのは、『蛇にピアス』以来17年ぶりとなる。これを記念して、『蛇にピアス』映画化の際に小誌で実施した、2008年の蜷川幸雄金原ひとみのスペシャル対談のアーカイヴを公開する。(『Numero TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2008年10月号掲載)

年齢は離れていても、実は似た者同士の二人

蜷川幸雄(以下N)「以前、僕が会いたい人に会うという企画があって、僕からリクエストしたのが初めてお会いしたきっかけですね」

金原ひとみ(以下K)「最初、すごく怖くて。どうしようと思っていました。蜷川さんと対談するんだと話すと、周りからいろいろな怖いエピソードを聞かされて。びくびくしながらお会いしたら、すごく優しくて、ど肝を抜かれましたね。逆に、それはそれで怖いと(笑)。でも、すごく親しみやすく、根本的なところで似たものがあるのではと、図々しくも思いました。その時は、すごく伝わる話ができて嬉しかったです」

「金原さんの小説を読んで、『世界をこういうふうに描く人は、どういう人かな』と思ったんですね。意外と僕は人見知りなんですよ、原則的に人に会いたくない。恥ずかしいのだけど、こういうことは歳をとっても変わらず、『行きたくない、行きたくない。会いたくない、会いたくない』とすぐ思ってしまう。僕の場合は自意識過剰だったり、そういう鬱屈みたいなものや、現実に対するずれた感覚があって。そういうニオイを金原さんの作品を通して感じるんだと思う。で、僕も怖いもの見たさじゃないんだけど、『ちょっと会ってみたいけど、怖いよな』という感じでした。ところで、金原さんは作品をいつ書くんですか? 夜型ですか?」

「夜に書いていたのですが、最近は生活リズムが昼になったので、それに合わせて昼に書くようになりました。そうなると、変わるんですよ」

「ストーリーも含め、言葉の出てくるところが違ってくる?」

「使っている脳が違う感じですね。前はもっと中の方からジワッとくる感じだったのですが、今は外側からくる感じ。不思議なことに、それによって書く人物やストーリーや、文章というのも少しずつ変わってきました」

「僕は長い間、胃潰瘍だったんですね。お腹が痛くない、気持ち悪くない日がないくらいで。仕事場でも錠剤の胃腸薬を目の前に置いて、痛くなるとポリポリ食べてたんです。3日で一瓶なくなるくらい! それがある日、突然治って、どこも痛くなくなった。そうしたら『おぉ、空ってこんなに青いんだ!』と思ったの。それまではどんなに晴れている日でも、いつも痛いのを我慢していたので、どこかで不機嫌だったんですね。ニコニコしていても、どこか神経はささくれていた。でも、こんなに人って変わるんだと思いましたね。今の昼型になった話というのは、それくらい激しい転換なのでは?」

「そうなんです! あと、ヘビースモーカーだったのですが、タバコをやめた途端に眠れるようになりました。不眠症が治って『快調とはこういうことか!』と。自分にとって完璧な状態になると、こんなに世界は輝いているのかと感じましたね。今までの苦労は何だったのだろうと思うくらい(笑)、すごく清々しい気持ちで日常を過ごせるようになりました。それこそ、タバコの煙でモヤモヤした中で生きていたので」

「僕も『分かった、俺って単なる動物なんだ』って思った。『偉そうなことを思っていたけど、単なる動物じゃないか』って(笑)。どこも痛くないと、こんなに変わるものなんだと。でも、それまでずっと長い間、胃が痛いのを目安にモノをつくってたんだよね。

胃が痛くていろいろなことを考えているから眠れない、すると夜明けにいろいろなイメージが悪夢のように湧く、という形で演出をしていたから、胃が痛くないと良いイメージが出ないという脅迫観念があった。だから、治ったら治ったで、今度は『痛い状態に戻した方がいいのかな?』と思ったり(笑)。健康な状態で、きちんと演出をするのに半年くらいかかりましたね」

「私も禁煙してすぐはスランプになりました。全然書けなくなって、パソコンに向かう気にもなれないっていうくらいに。自分が不健康であったり、痩せていたりということをアイデンティティにしていたんだなと、そのうち気がついて。肺炎が治ったから小説が書けなくなった昔の文豪のような状態になったら困る、と担当編集者に言われて(笑)。でも、万全の状態から出てくる違和感のほうが、さらに深いところに到達できるんじゃないかと切り替えて、少しずつ書けるように頑張って。集中力を高められる場所を作り上げることが、一番の条件でした」

「僕も全く同じだと思う。禁煙した時も、ヤクが切れた人みたいにやる気なく、ただベッドに寝ていて、何も創作意欲が湧かなった。昔はものすごい数のタバコを吸っていたんですよ。そりゃ、灰皿も投げるよってくらいに(笑)」

「私も何をするにしてもタバコがないと不安で。禁煙のお店とか、絶対に行けなかったです。そういう自分に依存してしまうというところはありますね。今はそれがまったくないところで闘うしかないという状況を作っているので、それはそれでキツイんですけど」

演出家、映画監督としての本音

「本当にたった一人で誰かに読ませるわけでもなく書いていた作品でデビューして、それをきっかけにいろいろな人と知り合って。今回、長いプロセスを経て映画化という、また新しい形になって、強い安心感がありましたね。たった一人でつくってきたものが、蜷川さんをはじめ、真剣に考えたり、取り組んだり、お芝居で向き合ったりしてくれる人が出てきたということで作品自体に対して、私自身がほっとしたようなところがあります。

映像になったのを観た時は、頭ではわかっていたんですけど、やっぱりショッキングで、『そうか、こういう形になり得るものだったんだ』と思って。私自身は観念的なところで書いていたので、映画化とはこういうことなのかと、肌で実感しました」

「僕はその試写にいなかった(笑)。『絶対に、行かない! 俺、会いたくないんだよ!』とか言って(笑)。特に作者はイヤなんですよ。自身の生理的な感覚も含めて、作品のイメージを持っているだろうから、違和感があるのは分かるわけで。なるべくなら撮影現場に来ないでほしいと思うんです。できたらその顔を見たくない。唐十郎にしても、見せろと言うんだけど『だめだめ! 俺だって作家の第一稿は見ないだろ』って。

金原さんが一回くらい現場に来るのはしょうがないと思うものの、もう来るとそのことが気になるわけ。平常心を装いながら、金原さんの表情が気になってしまう。俳優を紹介するにしても『この俳優にはああいう表情をしたけど、喜んでないのかな?』と、もう何だって気になる(笑)。僕は本をいじったりしないし、なるべく作者が書いた通りにしたいので、一線を越えないように気をつけている。いつでも作者の言葉で自分の世界が入り込んだり、埋めたりできると良いなと思っているから、ことさら作家が気になるんです。作家って言葉を選びながら、道も歩いてるんじゃないかと思うし(笑)」

「でも蜷川さんも言葉に対して厳しい感じがします。蜷川さんが書かれたものを読んでいても、作家以上に潔癖な感じというか、完璧主義な部分が見えました」

「文字オタクなんだよ、僕。本が大好き。本を読まないと寝られないし、入院した時も管をつけながら読んでたくらい(笑)。快活な武闘派だと思われてるかもしれないけど。今やっている芝居は、40年前の脚本を井上(ひさし)さんが直したのね。昔の原稿のコピーの上に、直した文字を入れていっているんだけど、用紙が真っ黒になるくらい訂正が入っていて。点、丸、語尾……もう新作だと思うくらいに直されていて。

そうすると『こんなに考えているなら、いじっちゃいけない!』と思うんですよね。俳優にも『作家がこんなに考えているんだから、お前ら勝手に語尾を崩すんじゃないぞ!』と見せますし。『ブレスはここでしろよ、ここが点で、ここが丸だ!』って。作家が何かを削りながら書いているのかと思うと、文字に手出しすまいと思うんですよ。だから作家が現場に来るのがイヤなんです(笑)」

世界の蜷川を悩ませた金原作品

「僕は全員に台詞を直してはいけないと言っていたけど、シバを演じたARATAくん(現:井浦新)の場合は『自分が演っている間に言葉が変わってしまう場合はどうですか?』と聞いてきた。自然に出てきて、その方が良いと本能的に選択する場合は構わないと答えて。その場合でも彼は許可を取ったね。それは俳優との関係と、彼の個性を見ながら少しずつ調整していった。

あと原作ではティッシュの箱を投げるシーンがあったけど、僕はそれを描いていなくて。小説としては成り立つのだけど、形となってみた時に、そこをお客さんに違和感なくつなげる自信がなくて……少し僕が逃げたんですね。そういう箇所はいくつかあるんです。もう少しやっても良いと思いながら、これはスレスレのところだなと思ったのね、描く場合は」

「私も文章だから書けていることがたくさんあって。映画化が前提にあったら書けなかったと思うところもあります。でも、そこを取捨選択していくのがセンスなのかなって」

「そこが難しいんだよね。『これを書くから金原さんなんだよな』というところと、『映像にした場合はなぁ……』というところで。この話は誰にもしていないけど、悩む箇所がいくつかあって。そういうところが面白いと言えば面白いし。でも、そこを突破すべきだったか、ちゃんと描いた方が良かったかというのは、ちょっと自分の中に残っているね」

「そこを選び取るセンスが確固としてあったから、この小説の世界観が崩れなかったと思うんです。小説に書いてあることをそのまま演っても、飛び抜けたものになってしまうと思うんです。本当にすごくきちんと一つのラインがあって、それを見定めてやっているんだなというのは観ていて感じました」

「金原さんの本の難しさって、実は微妙な細かい選択によって成り立っているんだよね、そう見せてはいないけど。そこの取捨選択が本当に難しかった。男の細かい仕草や眼差しなんかによってディテールが埋まっている、その細かいディテールが世界を成り立たせているところがあって。『くそー、金原め、難しい本を書きやがって!』と思った(笑)。本当に、その選択は難しかった」

「やった!(笑)」

「本はもう何十回も読んだ。意味を考えたり、イメージを考えたり、そこから再構成していくんだよね。撮影所では台本と、鉛筆でいろいろな書き込みをした単行本を並べてやっていましたね。今日、その本を持ってこようかなと思いながら、やめたの。取りかかったけど、やめたんだ」

「見たいですね、是非」

「線を引くにしても、定規で引かず、読んでいる感覚で引いていくわけなんですね。受験勉強みたいで面白かったですよ(笑)。そういう作業をしている時、自分の世代が勝手に若くなっているから、互角の勝負をしているわけ。そういうのは面白いな。

撮影で役者がそれぞれの役を演じているのを見ている時、僕自身が役になりきって、息を詰めながら見ているんです。息を詰めるというのは、どうも僕のモノをつくるときのポジションみたいで。一つ一つどの役も全部、息を詰めながら見て、追体験する。疲れるんだよ、これが。息を吐きながらだったりとか、いろいろなタイプの人がいると思うんだけど、息を詰めながら見るのが、どうも僕の快楽らしい」

「撮影所にお邪魔させていただいた時、こんなに緊張感があるのかとビックリしたんですよ。想像していた撮影所の、何倍もの厳粛なムードで、冗談を言ったり、笑ったりできないような張りつめた空気があって。それは蜷川さんのやり方から生まれている緊張感なんでしょうね」

「どこかで、『蛇にピアス』は僕にとってギリシャ悲劇みたいなんだよ。舞台は現代だけど、人のあり方の条件が深い神話に思えた。だから、いろいろなものを排除して、息を詰めていったんだと思う」

「そこまで考えたことはなかったんですけど、私が蜷川さんに監督してもらいたいって思ったのは、古典を演出していらっしゃるからこそというのはあります。この作品を古典的なものだと、私自身も考えていて。この世の中に対して、冗談を介入させず、斜に構えることなく真剣に生きている登場人物たちの真っ当さはクラシカルな形に当てはまるのかもしれない」

それぞれの中に根付くクリエイター魂

「僕は子どもの頃から、小さい世界をつくり上げるのが好きだったのだけど、歳をとるにしたがって、そういった自己資質が強くなっているかもしれない。妄想のような世界が、舞台や映画のサイズになっていくんだけど、コツコツとミニチュアみたいな小さな世界をつくっていると、(現実の)世界やいろいろなことを忘れるからいいみたい。オタクのジジィみたいだけど(笑)。

でも今、すごく良い状態にいて。別にお金も名誉も欲しいわけじゃないし、その小さな世界以外のものはいらないと思う。純粋にその小さな世界に浸っていられるのは、子どものときの状態に帰っていく状態なのかな。なんだ、ボケじいさんみたいだな(笑)」

「私にとって小説を書くことは食事をしたり排泄したりするのと同じレベルのことで、何かを生み出し続けているのはすごく自然なことなんです。排泄も出産も執筆もそうですが、何かを取り入れて出す、何かを育てて出す、ということを繰り返して自分も循環していくんです。

何かをつくり出す、生み出していくことは、やっぱり人間の本能なんじゃないかなって感じています。私にとってモノをつくるのは敷居の高いことではなく、日常の中にしかないもの。だから仕事という感じでもないし、趣味というわけでもない、すごく自然な行為。普通に生きていたら、何かつくっていたみたいな感じです」

「きっとまだまだ奔放に、自己変革をしていくんだと思うよ。金原さんの歳の頃、僕はボロボロだったよ! ふられ続けでしょ、いい仕事していないでしょ……最悪だよ(笑)。劇団とかで“僕はあなたたちを馬鹿にしてます”って、不快感を顔に出してやっていたもの」

「あんまり今と変わってないということですか(笑)」

「成長してないのかな? マズイよな(笑)」

『蛇にピアス』

蛇のように舌を二つに割るスプリットタンに魅せられたルイは舌ピアスを入れ身体改造にのめり込む。恋人アマとサディスティックな刺青師シバさんとの間で揺れる心はやがて…。原作小説は文芸誌『すばる』2003年11月号に掲載され、第27回すばる文学賞、第130回芥川賞をW受賞した。08年、蜷川幸雄監督により映画化された。

小説『蛇にピアス』
著者/金原 ひとみ
価格/¥528
発行/集英社

©2008「蛇にピアス」フィルムパートナーズ
©2008「蛇にピアス」フィルムパートナーズ

映画『蛇にピアス』
監督/蜷川幸雄
出演/吉高由里子、高良健吾、ARATA(井浦新)、あびる優、ソニン
Netflix、U-NEXT、Amazon Primeほかでデジタル配信中。

Photo:Chikashi Suzuki Text:Miki Hayashi Hair&Makeup:Yoko Yoda(Hitomi Kanehara)

Profile

蜷川幸雄 Yukio Ninagawa 1935年10月15日生まれ、埼玉県出身。69年『真情あふるる軽薄さ』で演出家デビュー。以後、話題作を次々と世に送り出す。83年より、毎年海外公演も実施。現在ロンドングローブ座のアーティスティック・ディレクターの一人。81年に『海よお前が―帆船日本丸の青春―』でデビューしてから、『魔性の夏 四谷怪談より』(81)、『青の炎』(03)、『嗤う伊右衛門』(04)と映画監督としても活躍。その功績を讃えられ、10年に文化勲章を受賞した。16年没 享年80歳。没後に従三位に追叙。
金原ひとみ Hitomi Kanehara 1983年8月8日生まれ。2003年に『蛇にピアス』ですばる文学賞を受賞し、04年に同作で芥川賞を受賞。織田作之助賞、谷崎潤一郎賞、柴田錬三郎賞など受賞多数。12年にフランスに移住し、18年に帰国。近作に『ハジケテマザレ』『ナチュラルボーンチキン』ほか。22年の作品『ミーツ・ザ・ワールド』の松居大悟監督により映画化されることが決定し、25年10月に公開予定。

Magazine

JULY & AUGUST 2025 N°188

2025.5.28 発売

Inspire Me

インスピレーションと出会おう

オンライン書店で購入する