田辺誠一の才能「僕は『画伯のおじさん』(笑)」 | Numero TOKYO - Part 2
Interview / Post

田辺誠一の才能
「僕は『画伯のおじさん』(笑)」

自分自身の今に影響を与えた人物や、ターニングポイントとなった出来事、モノ、場所との出会い。それをきっかけに変化し成長した自分を振り返る。田辺誠一のビフォー&アフター。

#102 きっかけ seiichi tanabe
#102 きっかけ seiichi tanabe
──俳優になると決めたのはいつ頃ですか。 「23歳のときです。同級生が大学生活を謳歌していた頃。僕はその4年間でモデルをやる、その間に好きなことを決めて就職しようと考えました。そこで映画を撮る、文章を書く、絵を描くなど、興味のあることに何でもトライしていました。ノンノモデルの先輩である阿部寛さんが当時大学4年生で。真面目な方で、企業からも引く手あまたですし、就職なさるだろうと思っていたら、俳優になる、と。同時期、やはり先輩の風間トオルさんも俳優になり、その選択肢に初めて気づいたんです。僕は自主映画を撮っていたので、そうか、自分が出るほうもあるなって決意しました。映像の製作会社に就職するつもりだったのに」 ──俳優と裏方では真逆ですよね。 「表に出る仕事は、世の中で最も僕に向いていない職業だと思います。今もそう感じている。慣れないし、人より才能があるとも思えない。ただ、人よりできない分、なぜこの表現ができないのか、どうしたらよいのかと人一倍考えます。それで何とかしがみついている。俳優の仕事は、自分の克服すべき課題であり、自分が向かい合わなければいけない使命なのかなと感じることも。成長させてもらっています」 ──俳優として分岐点となった仕事は何ですか。 「出た作品は自分にとってどれもわが子のように愛着があります。あえて言うなら、26歳のときに浅丘ルリ子さんの相手役として出演した蜷川幸雄さん演出の舞台『草迷宮』。その後、『グリークス』『新・近松心中物語』と蜷川作品に出て、本の読み方、役の作り方などあらゆることを学びました。蜷川さんの地獄の鉄拳を受けつつ、そこで芝居の地盤ができたのは大きかったです。同時期にドラマ『ガラスの仮面』で知名度が上がって、テレビでも芝居する場ができて。映画では橋口亮輔監督の『ハッシュ!』で初主演し、賞を頂いて海外に行けたのも思い出深いです」 ──最近は画伯として人気ですね。 「予想もしなかったです。ただ好きで長年描いていたら、話題になって。今の小学生にとって、僕は『画伯のおじさん』(笑)。ざっくりと大ざっぱなイメージで描いているので、写実はできないし、それでいいと思っています。スペインの教会の柱に描かれたキリストのフレスコ画を教会員の80代の女性が修復して、猿みたいな絵になってしまった話があったでしょう? 世界中から年間、何百万人もの人が、あの絵を見に村に来るそうです。修復した女性は敬虔なクリスチャンだそうで、真面目に本気で描いた結果、村にメリットをもたらすことになったんですね。僕が役者を始めた頃も、リハーサルで思い切り演じたら、転んで衣装を破いてしまったことがあったんです。すると原田芳雄さんに呼ばれて『あれでいいんだよ。うまい役者にはなるな。技術じゃなくて、気持ちがあるかどうか。キャッチできる人はちゃんといるから』と。絵も同じで、自分が楽しいか、人にどう伝わるかが大事。僕の芝居と絵は、案外似ているのかもしれませんね」

Photos:Gen Saito
Styling:Kan Nakagawara
Hair & Makeup:Akira Matsuoka
Interview & Text:Maki Miura
Edit:Saori Asaka

Profile

田辺誠一(Seiichi Tanabe)1969年生まれ、東京都出身。87年、『MEN'S NON-NO』の専属モデルに。92年に役者デビュー以降、ドラマ、映画、舞台に多数出演。またデジタルアーティストとして97、98年通産省マルチメディアグランプリで各賞を受賞、映画監督として99年ベルリン映画祭正式招待、現在もイラストレーターとして手がけたキャラクターが大人気になるなど、多彩な活躍をみせる。主演ドラマ『とげ 小市民 倉永晴之の逆襲』(CX系 毎週土曜23:40〜)が放送中。

Magazine

MAY 2024 N°176

2024.3.28 発売

Black&White

白と黒

オンライン書店で購入する