“地元ロス”ゆえにローカルが面白い | Marina Oku
Marina Oku

“地元ロス”ゆえにローカルが面白い

 

私には地元がない。

 

「どこ出身なんですか?」と聞かれれば、「大阪」と即答できる。だけど、その次の質問の「大阪のどこなんですか」を投げかけられるたびに、心の中がモヤモヤっとする。「自分は大阪のどこどこの人間だ」と自信を持って言える場所がないからだ。

 

 

この「地元ロス」感覚は、私の生い立ちに由来する。小学校までは堺市の泉北ニュータウンという郊外のベッドタウンに住んでいたが、中学入学と同時に大阪の中心地である大阪駅から環状線で2駅のところにあるマンションに移り住んだ。堺市の家は残しており、マンションはうちの家族にとっては”第二の家”といった位置づけで、どこか『仮住まい』の感があった。なぜうちの家族がこんな動きをしているかというと、父が滋賀に単身赴任していたからだ。父が帰ってきやすい拠点として都心のマンションに住んでいたのだ。

 

中高時代は、家と学校の往復だった。中学受験をして私立の中高に通っていたので、6年間電車通学をしていた。私立の学校に通うということは、地域性のない生活を送るということだ。「家と会社を往復するだけの毎日です」が常套句の都内の独身サラリーマンと状況は酷似している。しかも、慣れ親しんだ地を中学入学と同時に離れたため、近所には友達も知り合いも誰一人いなかった。つまり、地縁がないのだ。中学時代はさすがに小学校時代の友達が恋しく、ことあるごとに会おうとしていたが、母から「過去にしがみついてたらあかん。今を見なさい」と突き放された。今から思い返してみても、この発言はある側面では正しいけれど、ある側面ではちょっとひどいんじゃないかと思う。だって、要は「心のふるさとを手放せ」と言っているようなものだから。でも、この母の諭しもあって、私は元々いた古巣を心の拠り所とするのを諦め、小学校時代の友達と積極的に繋がろうとは徐々にしなくなっていった。そうこうしているうちに、高校生になる頃には地域社会というものとは無縁な都市型『仮住まい』生活も当たり前になり、卒業後は大学入学のために上京したのだった。

 

 

上京してからというもの、どこにいても「自分は部外者だ」という感覚がある。そもそも東京で生まれ育ってないから当たり前っちゃあ当たり前なのだが、住んでいる土地のほかにも、自分が通っている大学や職場などの組織だったり、業界などの枠組みだったり、どんな居場所にいても帰属意識が低めだ。「一生ここにいるということはないだろう、いつかは離れる一時的な居場所だ」という感覚がどこか付きまとう。

「ここが私の生きていく世界だ」と定めることはない。「ここ」にいると同時に、「ここ」の外に広がる世界もつねに意識するのが私なりの作法でもある。たぶん、中学時代に「ふるさと」を失ったときから、ひとところに根を張ろうとすることを私の心は止めたのだと思う。だから、今までいた居場所を手放すときの私はとても潔く、ドライだ。去ると決めた途端、離れがたさはふっと消える。いつの間にか「過去にしがみつくな」と母が諭した通りのアティチュードを殊勝なほど身につけてしまった。

 

こういったような性質はきっと、転勤族だったり、地域から離れた学校に通ったりしていたバックボーンを持つ、「地元ロス」な人にありがちな傾向だと思う。その最たるものがユダヤ人なんだろうな、と想像したりする。

たとえばこの先結婚してどこか特定の場所を終の棲家としたとしても、この感覚を拭い去り切ることはできないんじゃないだろうか、と予感する。「ここに住んでいるけど、この土地の人間じゃない」とどこかで思いながらその地に居続けるんじゃないだろうか。

また、地方出身の人で「いずれは地元に帰るつもり」ということを言う人がよくいるが、私はいつもその感覚を不思議に思ってきた。というのも、「大阪のどこどこが私のどっしりとした居場所、魂のよりどころ」という風に思えず、「いずれは元々いた場所に帰りたい」と思う宛先がないから。どちらかというと、大阪には私のために空けられている席はもうないんじゃないか、という感覚の方が強い。

こんなことを言うと、「なんて寂しい話なんだ」と思う人がいるかもしれない。だけど、「地元ロス」というのはこういうものであり、それ以上でもそれ以下でもない、ひとつの心の成り立ち方に過ぎないと思う。

 

 

だからこそ、なのだ。

 

地元がないからこそ、私はローカルなものに惹きつけられる。

 

土地に根を下ろした人々が織りなす日常の世界が、私の目には非日常として新鮮に映る。やはりそれは、自分にはないものへの好奇心と憧れなのだろう。そしてそれは、自分の所属先にはなることはけしてないという気楽さが必ずセットになっている。どんなにその街を気に入っていても、どんなにその街の人と触れ合っても、私の立場はつねに「よそ者」から逸脱しない。日本のどこもが私にとっては「外国」だ。

 

だけど同時に、私にとってはあらゆる街が「自分の庭」だという感覚もある。けして自分のものではないけれども自由に借りられる図書館の本みたいに、自分のものにはならない形でコミットすることが可能だという認識だ。すべての人間にとって地球上のあらゆる土地が本来そうであるように。

 

そんな感覚でもって、私は最近、東京のローカルな街をウロウロする「街活」に勤しんでいる。

 

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marina oku

“家帰ってからも、リア充”な、原宿のシェアハウスTHE SHAREの住人。 ヘアビューティ業界誌の編集者。『フツーの人』を主役にするコラム&プロジェクト「個性美の解放」ブログを更新中。

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